震災があった年の5月、私は高校2年生になっていた。余震や原発事故の不安は残るものの、授業や部活などが少しずつ再開し始めた。 そんなある日、同じ部活の友人から久しぶりにライブを観に来ないかと誘われた。彼らはバンドを組んでおり、部活が休みの日に何度かライブを観に行ったことがあった。 しかしながら、彼らのやっているジャンルはハードコアパンク。3人の轟音を煮詰めたようなサウンドと共にボーカルの叫び声が耳に叩きつけられる。ライブに行くたびに耳鳴りに悩まされていた。 とはいえ、震災後の
8月31日朝8時、私は妻と一緒に東北自動車道を北上していた。秋田市で開催される秋田ミュージックフェスティバルに参加するためだった。 とはいえ、心配なのは天候。台風10号の影響のためか窓に映る雲はどんよりと鉛色だ。 秋田県に入ると、滝のような雨に何度か降られながら秋田市内にたどり着いた。 会場に入ると、すでに他の出演者の方が演奏されていた。 ブルーシートが被せられたスピーカーや重りで補強されたテントが、係の方々の涙ぐましい努力を物語っていた。 中には、中学生?ぐらいのボラン
高校1年の夏に長距離走を走るのが好きになった私は、部活を引退したあともランニングを続けていた。 というのも、10月に強歩大会(「強く歩く」という願いを込めてこういう名前になっていた)という学校行事があったからだ。 歩くことも走ることも認められており、全長28キロメートルをどうにかしてゴールするというものだった。 部活を引退した友人たちの多くは、徒歩で道を行くことを選ぶ人が多く、背中にはリュックサックを背負っている。 私は少しでも体を軽くするために、電話するための20円のみをポ
この夏休み、私はほぼ毎日走りまくった。1日平均5キロ以上は走っていたように思う。 仕事のある平日は難しいが、土日はほぼ必ず走ってきた。これは、大学時代から続いている私の大切なルーティンだ。 しかし、中学時代まで長距離走は大嫌いだった。 中学高校と野球部だった私は、練習でとにかく走らされた。中学時代、夏休みなどは朝早く駅伝の練習で陸上部と一緒に走らされた。私は短距離は得意だったが、長距離は大の苦手だった。すぐにふくらはぎは、パンパンになるし、吸っている酸素がどんどん薄くなる
小中学校の夏休みが中盤に差し掛かる今日この頃、この問題に頭を悩ませる学生の方も多いのではないだろうか? 宿題をいつやるか、古より続く永遠のテーマではないだろうか。(全くやらなかったというパンクな方もいらっしゃるかもしれないが) 皆さんは子供の頃、宿題は早めに終わらせていただろうか?それとも後からやっていただろうか? 私は、夏休みの宿題は、ほとんど7月中には終わらせていたように思う。それには理由が2つある。 1つ目は、私が心配性だからだ。お盆休みに宿題が終わっていない状態
境港駅前の広場でのライブを終えると、町を観光してみることにした。というのも、この町は漫画家水木しげるさんの故郷なので、通りの至る所に妖怪の像がある「水木しげるロード」があるのだ。 背の低い木造の建物が並び、鬼太郎やねずみ男などの土産物があちらこちらで売られていて、なんとも懐かしい気持ちになった。 通りを見ていると、一反もめんや猫娘、そして目玉のおやじなど、懐かしい妖怪の像がたくさん出迎えてくれた。 さらに進んでいくと、和服姿のにこやかな夫婦の像があった。水木しげるさんと奥
2019年8月7日、私は浦和での研修を終え、ギターを抱えて東京駅へと向かっていた。 今回向かうのは島根県や鳥取県、山口県といった山陰方面、そちらで路上ライブを行うのだ。これまで様々な場所で路上ライブを行ってきた私だったが、これらの地域は行くのも初めてだった。 今回も幸運にも、寝台特急のチケットを手に入れることができた。今回乗るのはサンライズ出雲、これに乗って米子まで向かう。 東京駅には、発車の30分前に到着した。 2回目の寝台特急ということもあり、少しは余裕を持って向かうこ
あれは小学生2年生の夏休み前最後の登校日だったと思う。 通信表を手渡され、午前中で学校が終わり防災頭巾や鍵盤ハーモニカなどの荷物を手提げに入れて、家に向かっていた。とはいっても、私の実家は、学校から離れた山奥にあったため、6年間ずっとバス通学をしていた。 大きな荷物のせいか、夏の暑さのせいか、バス停までの道のりがいつもよりずっと遠く感じた。 バス停に着くと、2つ上の学年の先輩がすでに到着していた。この先輩とは仲が良く、学校の話や好きな映画(ハリー・ポッターなど)の話をよくし
昨日、私は仙台enn3rdにて、「みやぎのぷらっつvol.8」に出演した。このイベントは、大学時代からつながりがある音楽仲間たちが8年ほど前から行っているイベントである。 「大学を卒業しても音楽を続けられる環境を作りたい」という思いから、年1〜2回ほどのペースで、様々なアーティストに声を掛けている。 私のような弾き語りをする出演者もいれば、メタルバンドもパンクバンドも、はたまたピアノの弾き語りもあったりと、普通のライブイベントであればなかなか対バン出来ないような方々と同じステ
最近、私の周りでは結婚出産ラッシュが続いている。 新たな人生の始まりや新たな家族の誕生など、めでたいことがたくさん起きる。生まれたての友人の赤ちゃんの顔などを見ていると何ともほっこりする。しかし、一方で困った事も起きている。 私のライブに来れる人が減っているのだ。 私のライブがあるのは、主に土曜日の夜、ライブハウスでの出演が多い。以前、ライブに来ていた方でも、お子さんが生まれれば、この時間にライブハウスに足を運ぶことは難しい。小さいお子さんを連れて暗いオールスタンディングの
6月8日土曜日、午前中の仕事を終え、定禅寺通にあるカフェに私はいた。すぐそばの東京エレクトロンホール宮城でこれから始まるクロマニヨンズのライブに参戦するためだ。 クロマニヨンズのライブはこれまで何度も観てきたが、今回は妻も一緒である。一体、クロマニヨンズを見て何というのだろう。 そんなことを思っていると、あっという間に開場の時間となった。 何度も足を運んでいるもののこの瞬間はいつも心臓が高鳴る。今回は2階席であるため、間近でというわけにはいかないが、それでも楽しみなのだ。
先週、福島駅でライブをした際にギターストラップが切れてギターが落下し、ギターの端を割ってしまった。 今回はその修理に関する一部始終をここに記す。 1.ギターのダメージ ギターの縁を飾るパドック(茶色の木)のバインディングにヒビが入り、トップ板の塗装も割れて剥がれてしまった。今回は、その2箇所を修理していくこととした。 2.タイトボンドによる接着 ギターを組み立てる際にも使われるタイトボンドをホームセンターで購入。固まるまでに1時間ほどかかったが、接着場所を手で押さえて
昨日の夜、福島駅で路上ライブをしているときに事は起こった。 ライブ中盤、遠目ながらも少しずつ聴いて下さる方が増えてきて、さあこれから!というところ。とっておきのバラード「青リンゴ」のイントロでDのコードを鳴らしたときだった。 突如手からギターの感触がなくなった。驚いて手元を見ると、悲しい背中を見せながらギターが地面に落下していくのがスローモーションで見えた。 ゴトッ 鈍い音がした。急いでギターを拾い上げると、トップ板の端が欠けてしまっているようだった。 そして、足元に目
6月7日金曜日、私ジャージたばたの7枚目のアルバム「カッパのレコード」が、各種ストリーミングサービスにて配信リリースされた。4曲入りの26分の中に30歳になった自分の思いの丈を詰め込んだアルバムになっている。 自分の20代を振り返れば、もがいてもがいて、あまりうまく行かなくなったことが多かった。仕事にしても、音楽にしても…。そんな自分を肯定するような、味わった苦労を肯定するようなアルバムである。 大学4年で就職を決められなかったこと、会いたくて仕方なかったミュージシャン
阿波池田から特急南風に乗り込み、一路高知を目指した。特急は断崖絶壁を沿うように駆け抜けていく。振り子式車両なので揺れる揺れる…。自由席が満員だったので通路に立っていた私は、右に左にラムネのビー玉のように揺られていた。 ふと、座席の方に目をやると、家族連れが楽しそうに4人で座っていた。子どもたちは、おそらく2〜3歳くらいの男の子と女の子だ。それぞれお父さんお母さんの膝の上で笑っている。お父さんとお母さんは若い。おそらく私と同い年ぐらいではないだろうか。 私はふと思った。いつま
時刻は朝8時を回ったところ。私はJR四国の高松駅に降り立った。駅の「土讃線」の文字、駅の外に覗く車はどれも香川ナンバー、そして聞き慣れないイントネーションと、昨日の夜から遥か遠くに来たのだと思い知らされた。 まずは朝食のため、駅構内にある有名なうどん屋「連絡船うどん(現在は閉店)」へと入った。歯ごたえのある讃岐うどんと透き通った黄金色のスープが印象的だった。 簡単に朝食を済ませると、ホームを出て3分も歩くと高松の港であった。 小豆島や淡路島方面へと向かうフェリーや遊覧船が発着