四国での路上ライブの思い出その2
阿波池田から特急南風に乗り込み、一路高知を目指した。特急は断崖絶壁を沿うように駆け抜けていく。振り子式車両なので揺れる揺れる…。自由席が満員だったので通路に立っていた私は、右に左にラムネのビー玉のように揺られていた。
ふと、座席の方に目をやると、家族連れが楽しそうに4人で座っていた。子どもたちは、おそらく2〜3歳くらいの男の子と女の子だ。それぞれお父さんお母さんの膝の上で笑っている。お父さんとお母さんは若い。おそらく私と同い年ぐらいではないだろうか。
私はふと思った。いつまで、一人でこんなに好き勝手にライブができるんだろう。ずっとこのままでいいのだろうか…。一人で気ままな旅は気楽ではあるが、時折こんな不安に駆られることがある。
いつか、私も誰かと…
考えても仕方がない。正真正銘の一人旅だ。私は高知でのライブに集中することにした。
高知駅につくとすっかり影が長くなっていた。駅前ではイベントが行われていたため、路面電車に乗って高知城を目指した。
高知城の麓、大きな木の下をステージとし、ライブした。ここでもまた年配の方や家族連れなどに楽しんでいただけた。
ライブを終え、ホテルに機材を置き、夜の街に繰り出すこととした。せっかく高知に来たのでカツオを食べるのである。
しかし、ちょうど時を同じくしてとてつもない頭痛が襲ってきた。何とか近場のレストランに入り、カツオの定食を注文した。しかし、頭痛のほうが勝ってしまい、泣く泣く半分ほど残して撤退した。
ホテルのベッドに寝転がってラインを確認すると、大学の同期たちが近況報告をし合っていた。
私はそれを尻目に倒れるように眠りについた。
翌日、頭痛も良くなり、すっかりリフレッシュできた。残る1つの県、愛媛県を目指すこととなった。
朝食もそこそこに荷物を抱えてバスに飛び乗った。
山の間を縫うようにして進むこと2時間弱、四国最後の場所、愛媛県松山市にたどり着いた。
駅前広場に陣を構え、そそくさとライブの準備をしていると、中年の男性がこっちを指差し、「流しがおるぜ!珍しいのう!」と、声をかけてくださった。なんでも仲間と一緒に高知から道後温泉に入りに来たのだとか。
その後、男性の連れの方が数名合流して、私のライブを聴いてくださった。お酒も飲んでいないのにハイテンションであった。
そんなこんなでライブを終えると、肩の荷も降り、温泉に入りに行くことにした。路面電車で向かうと、すぐにたどり着いた。荘厳な建物…。
千と千尋の神隠しの油屋のモデルの一つとなったことでもさらに有名になったが、私の中ではやはり「水曜どうでしょう」の名企画、サイコロ旅で何も聞かされていない大泉さんが連れてこられたことを思い出す。「母さん、僕は今松山にいます」が忘れられない。そんなことを思って歩いていると、私も大泉さんと同じところで転びそうになった。
大変混雑しており、40分ほどしか入浴できなかったものの、石造りの歴史ある湯船が素敵だった。お土産に小さなみかんの石鹸も買っていった。
そして旅の締めは鯛茶漬けだ。生の鯛とご飯に熱いだし汁をかけていただくとても美味しい郷土料理だった。
時間はあっという間に過ぎ、再び松山駅に戻って特急に乗り込んだ。特急は滑るように四国を後にしていく。瀬戸大橋を渡りながらふと思った。
「また来れるだろうか?」
次は誰かと一緒かもしれないし、やっぱり一人かもしれない。それでもギターを抱えて日本中を旅できればいいなぁ。そんなことを思っていた。社会人になって忙しくなっても、結局学生時代とやることなすことは大きく変わっていない。そうやって、音楽や旅とともに歳を重ねていくのも悪くはないではないか。
岡山で新幹線に乗り換え、川口のアパートについたのは午後10時を回った頃だった。
明日は実家に帰ろう。