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はじめてのライバルであり、親友。
彼は今どこで何をしているのだろう。幸せな人生を送っているのだろうか…
小3の時、何をどうやっても、かなわないヤツが現れた!
記憶にないチビの頃からジャイアン気質だった私は、公園などでファーストコンタクトの相手と接触をすれば、ほとんど「たたき合い」になって、泣かしてしまっていたことを、よくオカンが話していた。
うーん、・・・まぁ、そんなきらいは確かにあったのかもナ(笑)
小3で同じクラスにな
怪童「プーさん」、との出逢い。
関東に越して1年経ったくらいかなぁ…妻が突然、犬を飼いたいと言いだした。幼い頃から犬がいる生活をしていた彼女、知り合いのいない関東の街でふと、ペットを飼いたくなったようだ。半ばムリからペットショップへ連れて行かれた。
私も幼い頃から、鳥や爬虫類、といろんな動物を飼ってきていて、大の動物好き。実家では長老の愛猫がいたほどだ。犬も嫌いではない。だが、あまり詳しくはなかった。だから、もしも犬を飼うのな
時が経っても色褪せない豊かさ。
20代のころの音楽に賭ける「熱量」ったら、ものすごいものがありました。独身でしたし、結婚しても、しばらくは子どもがいなくて妻の理解もありましたし、親は若く元気で、社会的に背負っているものはなく、年齢的に勢いよく向こう見ずでいた時代でした。安定した収入と購入したばかりの新居を置いて、デビューを目指して仲間たちと上京したくらいです。注いだ熱量のぶんだけ、彼らと作り上げた音楽はとてもいいものでした。事実
もっとみる人生は「ほうれい線」との戦いだ!
物心ついたとき、既にヒデキの大ファンでした。
未就園児?幼稚園児?…まぁその頃から、ヒデキとジュリーとが双璧の私のアイドル !
そんな幼少児がすることと言えば、似顔絵。
ジュリーの帽子にピストルに加えて、白いスーツに赤い薔薇や、USAタイツ姿のヒデキをクレヨンや色鉛筆でひたすら画用紙いっぱいに描きました。
その時の私の目に焼き付いたのが「ほうれい線」。
〜なるほど、カッコいい大人になればこんな線
フィエスタレッドの誘惑。
あまり馴染みのない色、フィエスタレッド。
15歳からバンド活動を始めてグラムロック?にもひと段落ついた20歳くらいのころ、傾倒してた音楽は ロバート・クレイ や デイブ・ギルモア、エイドリアン・ブリュー …すなわち「ストラト」の音楽。
クラプトンも盛り上がっていたし兎に角、ストラトありきで音楽を聴き漁っていました。
当時の流行であったパワーのあるハムバッカーのピックアップよりも、なぜだか
「3っ子のタマシイ、100まで。」
70s後半〜80s前半の幼少期、映画館へ連れてってもらうのは、胸が高鳴る最高のレジャー!
梅田OS、敷島シネマ … 三宮新聞会館など、〜もうそれはそれは。
チビだった私は「スターウォーズ」に「E.T.」が観たいにきまってるが、父親がそれを許さない(涙)、
Bレイノルズ か Cイーストウッド、もしくは Sマックイーン。(Pニューマンはなぜか❌)
「トランザム7000」や「ダーティーハリー」シ
「これでおよしよ〜♪」
前回は阪神大震災にすこし触れましたが、家族でほとほと困り果てたのがズバリ「断水」です(~_~;)
これにより👆オカン に火がつき、救援物資が届く近くの公園まで、まいにち早朝から大きな「カメ」を台車にのせ、テンション・アゲアゲの腕まくり姿で被災地を非常識なほど元気に(笑)何往復も、何往復も…そしてカメに擦り切れいっぱい、水を汲んでくるのです(~_~;)
…1日に何度も(−_−;)
〜その水が