議論から始まる語学学校。
語学学校が始まった。
私は15日間あるコースの5日目からスタートという、ちょっと半端なスタートだ。前回のクラスで色々あってリタイアした関係で、今回のコースを5日目からスタートすることになり、こんな感じになっている。
語学学校のスタートはもう3度目になるけれど、やっぱり慣れない。
人との距離感、通じる言語、クラスメイト間のコミュニケーションへのモチベーションにも違いがあるから、多かれ少なかれみんな探り探りなのだ。
しかし今回はいままでの3回の中で一番特異な状況だった。
授業がスタートしてすぐ始まったのは、生徒たちのカンバセーション。聞こえる限りでは、教え合っているような雑談のような、線引の難しい会話を延々としていた。
本来は宿題の確認が目的だったはずなのだけれど、そんなものを飛び越えて話し続けている。先生はそれをとめるどころか見守るばかり。生徒たちがずっとドイツ語と英語6:4で話し続けていた。
先生は教員机に座ったままで、ほとんど板書もしないし率先して授業を進める感じがなかった。質問されると答えるだけで授業が進もうとしていた。
グループで話し合いながら答えを考えるグループワーク的なスタイルは、海外の大学の授業には割とあると聞く。
まさかそのスタイルということか…!? 私はそのシステムの授業は受けたことがないし、ドイツ語はおろか英語も話せず、クラスメイトにまともに通じる言語を一つも持たない私は何をすればいいのか。
今回もまたもやハードモード語学学校なのか……と絶望しているうちに、1回目の休憩になった。
席で落胆していると、クラスメイトで年上の中国人女性が話しかけてきてくれた。
「授業、どう?」みたいなことを聞いてくれたので「私には難しいです…」と素直に伝えた。すると、「私も。というかこの授業おかしい! 授業じゃない。(指差し)あそこらへんに座ってる人たちばっかり話してて」とタッパーに入れて持ってきていた何かをかじりながら熱っぽく語りだした。
よく見ると、かじっているのは細長くカットされた生のにんじんだ。
このお姉様、生のにんじんを食べながら怒ってるぞ。
(ドイツではミニキャロットや、野菜スティックのようにカットした生の人参が、定番のスナックである)
にんじんが気になるものの、言っていることは共感できることばかりだ。
お姉様曰く、このクラスの先生は新人らしく生徒を上手くコントロールできないまま、コース1週間目を終えようとしているらしい。
「行けるなら別のクラスへ行きたい! そっちのほうがハッピーだから!」と不満タラタラである。声を掛けてもらうまで落胆していた私からすると、そういう気持ちを言葉にできる言語力がとてもうらやましかった。
そんな挨拶をしてもらったあと、授業が再開されることになった。今回のクラスの人達はちょっと自由かつ時間にルーズなので、時間になっても席には戻らないし、授業中に電話やトイレでばんばん許可なく席を立つ。
授業再開の時間から5分以上過ぎ、やっと全員が集まったところで表情筋をほとんど動かさなかった先生が、どこか暗い表情で話しだした。
先生が話したのは、そんな態度の注意でもなく、授業のやりかたについてだった。今の進め方でやるべきか、意見を聞きたいみたいな感じのことを言っていたと思う。
先ほど話しかけてくれていたお姉様が、ここぞとばかりに話し始める。
クラスの中で話す人が偏っており、先生でなく一部の生徒がずっと話し回答を続けている。勝手に話し出すから、リスニングで聞いた内容から回答を考える時間もない。先生が授業をコントロールし、話す機会を平等に与えるべきである!というようなことを話していた。
するとすかさず、ずっと話していた人のうち一人の男性が反論する。語学は話さないと上達しないし、レッスンなら話す機会を増やすべき。みんなもそれぞれ話せばいいのだと言うようなことを言っているらしかった。
もう一人の男性も、大学などの授業は先を学んでおくのが当然で、そうやって先に学んで知識の豊かな人がイニシアチブを持つのは当然なのではないか、みたいな話をしていた。
お姉様も負けない。話しているメンバーがクラスの中でも語学力が高く、だからこそ話せている。それが素晴らしいことなのは確か。
しかしここは大学ではなく語学学校。言葉を話すレッスンに来ている。みな同じ料金を払ってここに来ているのだから、話すチャンスも回答を考える時間も、文法を学ぶ時間も平等にあっていいはず!みたいなことを言っていた。
もう一人の女性は、一部がたくさん話していることは確か。
しかしそこで聞こえた言葉を調べるという勉強も出来ている。まあ、調べているうちにどんどん話すから置いてかれ続けてるけど…みたいなことを言っていたと思う。
すると先生が再び話し始めた。
先生はどうやら話す人の偏りというより、授業中すぐに英語を使い始めることが良くないという。この先のクラスはもっとハイレベルになっていく。細かく文法を教えることもなくなるだろう。でもだからこそ今から英語に逃げず、もっとちゃんとドイツ語を話せるようにならなければ……みたいな話をしていた。
今日から参加した私は、「なんだかなぁ……」と思いながら見るしかなかった。
そう思った理由は二つある。
一つ目は「結局、先に学ぶべき言語はドイツ語ではなく英語」ということ。
実は、上に書いた議論で使われた言葉は、全部英語だった。
先生すらも議論中は英語を使っていて、英語で「皆が英語を使うのが不満」と言っていたのだ。
英語がままならない人間からすると、「英語を使うのは良くない」と英語で言ってるのは、大声で「静かに!!」と周りに注意するのと感覚が似ている。
英語力のなさに絶望している人間からすると、正直ブーメランにしか見えない。(笑)
けれど、それだけ英語が世界で通じる共通言語ということなのだろう。そういうところからも、今ヨーロッパで英語が話せるのは大前提なのだなと思い知らされた。英語を話せることはすごいことでもなんでもなく、「普通」だ。つまり、英語が話せないのはむしろマイナスということなのだろう。
語学学校に通うようになって何度目かの、「先に学ぶべきはドイツ語よりも英語」を強く感じる時間だった。
そして「なんだこれ」と思ったもう一つの理由は、「この議論の時間はなに?」ということ。
なんで授業が始まって5日目に今更……というのもあるし、なにより20分以上かけて授業の進め方について議論しているのかが不思議で仕方がなかった。そんなの、学校や先生が教育方針として決めてしまえばいいことなのに……と私は思ったのだ。
もともとドイツの人は議論好きな人が多い。
ケンカがしたいわけじゃなく、自分が思っていることをとりあえず相手に届ける、お互いに思うことを言い合うというのが生活に組み込まれている感じがある。
この議論は勝ち負けを決めたり論破が目的というより、各々の主張を聞き自分の主張を伝えるためにしているのだ。
夫の職場では以前、「誰が汚れた共有の机を掃除するか」ということについてずっと議論している同僚たちがいたらしい。日本人の感覚でいけば「気付いた人がやる」とか「汚した人がやる」、もしくは週や月替りの「当番制でやる」あたりで決着がつきそうなものだけれど、そう簡単にはいかないらしい。
私も前に語学学校で、コース期間中にある祝日1日分の授業時間をどう補うかについて、いちいちクラスで議論と多数決をしはじめたことに驚いた。
日本だったらルール化して対応を統一してしまうところだけれど、コース期間内に祝日があった場合に、毎度クラスごとに決めているらしかった。
だから今回の先生も、授業の進め方について皆で議論しようとしたのだろう。
こういう事前にルールを統一すればいらない議論を、15分や20分かけて議論する、みたいなことはドイツに来てから度々遭遇している。
以前の先生はそんな動きを「die Demokratie」と言っていた。デモクラシー、つまり民主主義だ。
ドイツの民主主義は日本の民主主義と少し違っている。
日本では少人数で決めることでも、多くの場合いろいろな事情から「世間一般の総意」を選択しようとする。だからルール化して平均化しようとする。
一方ドイツは、その場にいる「当事者たちの総意」を選択するという感覚が強いのだと思う。だから、毎度その場にいる人の中で最善の選択をしようとする。
民主主義で対象とする範囲が日本は広いままであることが多く、あまり可変的ではないけれど、ドイツはそのときどきに合わせてかなり範囲が変化する。
大勢を対象としてルール化しておくことで決める手間は減らせても、その場にいる人全員にとって不都合になる場合もある日本と、毎度議論して決めるという手間あるけれど、その場にいる多くの人に対して都合が良くなるようにするドイツ。
決断する手間を省きたいか、自分(たち)で決めたいかの違い、とも言えそうな気がする。どちらも一長一短なので、どちらがいいという話しでもない。これは文化の差だと思う。
そんなこんなで揉め続けること20分。
結局、先生が主導権を握るタイプの授業にシフトチェンジした。
回答する機会は席順で与えられ、発言した人の回答を皆で正解か吟味、最後に先生が回答を伝える……みたいな日本人にとっても馴染みのあるスタイルになった。授業中にドイツ語を使う割合がぐっと上がった。
先生は休憩前よりも、笑顔が少し増えた気がした。
先生も今日までの4日間、色々考えていたのだと思う。それもあって、思い切って議論の時間を取ったのかもしれない。
今回も自分の英語力不足を嘆くスタートとなってしまったけれど、授業中の議論をきっかけにまた一つドイツ(やヨーロッパ)の文化について考えられたのは良かったと思う。
とはいえ、英語力(とくにリスニングとスピーキング)、いい加減どうにかしないとなぁ……と、今日も心がえぐられて家に帰ってきた。
もしかしたら「せっかくドイツに居るんだし……」という考えを捨てて、英語を優先したほうがいいのかもしれない。
とはいえ、今回は前回よりも話すすべのない私とも話そうとしてくれる人がいたのがありがたい。不甲斐ないのだが、話せる言語のない人間は自分からの声かけは不可能なのだ。
この状況に甘えすぎずでも前向きに、いい関係が築けたらいいなと思っている。
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