新居 零(アライ レイ)@電子書籍作家

1985年生/北海道出身/札幌市在住/(電子書籍による)作家活動を行っています。

新居 零(アライ レイ)@電子書籍作家

1985年生/北海道出身/札幌市在住/(電子書籍による)作家活動を行っています。

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書いていたブログの話

数年前に、誰に読まれる為でもなしに、ブログを書いていたことがある。 アクセス数や誰に読まれるか等の分析などお構いなしに、自分にしか分からないような一文を書いて満足していた時期があるのだ。気分的には、実に有意義だったと思う。 今は纏まった文章を書くことに意義を見出しているが、あの頃は、ただ「書きたいように書く」ということが重要だったのではないかと考えている。いわば、表現するという行為への抵抗を無くす為の発表だったのではないか。自分ではあの頃を、そう分析している。 ブログは

    • 創作論

      何かを書き続けることに、想起することは不可欠となる。 本を読んでいる時でもいいし、ぼんやりと物思いに耽っている時に、ハッと思い浮かぶ場合でも良いのであるが、とにかく「書きたい」という願望が出る、何かしらが必要なのである。 書くことが常態化しているので、メモをキーボードで打ち続けることは日常的な行為になるのだが、こういうことの積み重ねが、アウトプット的なものを自然に打ち出す機会を生む。それを捉えることをきちんと行えば、何か価値のある文章を書き出していることが多い。その価値は

      • 1999年

        TVゲームの思い出である。 この年の私は14歳、つまりは中学生だった訳だが、そんな頃、頭の中はゲームのことで一杯だったのである。ゲームと言えば、この頃はTVゲームを指すことを意味し、(携帯ゲームも当然にあったにせよ)新作TVゲームの発売をゲーム雑誌などで知れば、その発売日が待ち遠しい日々を送っていた。 1999年に購入したのは、『ファイナルファンタジーⅧ』である。当時は予約するのも手一杯であり、在庫確保すら難しい人気ソフトであったという記憶がある。なんせ前作が爆発的ヒット

        • 『或るエッセイ』(改訂版)

          2019/5/19に発売した電子書籍である『或るエッセイ』を、ここで読める形式にして、尚且つ改訂版として改めて執筆してみることにした。 この本を執筆した当時は、特にネットワーク上での発表を行っていた訳ではなくて、時が経った現在の目線で見ると、拙いことが多い。なので書き直すような気持ちで、再び取り掛かることにしたのである。幸いにして、noteでの執筆と発表が、私を磨いてくれたようで、今のその気持ちが、この作品を新しい目線で再構成してくれる気がするのだ。 加筆修正しながら、新

          ¥250

          美術的

          <『デ・スティル』著:ポール・オヴリー 訳:由水常雄>を再読した。 タイトルの意味はオランダ語で「スタイル」を意味し、そして、過去に存在したオランダ人の芸術家グループの名称でもある。 そこには私の敬愛する画家のピエト・モンドリアンや建築家のヘリット・トーマス・リートフェルトも在籍し、その同時代に存在した芸術学校バウハウスとも比較されることの多い、実に強い知的刺激を持つ芸術運動なのであった。 「美術家はプロレタリアートでもブルジョアジーでもない。彼らが創造するものは、プロ

          フリーゲーム『さようなら海底へ』レビュー

          このフリーゲームの作者様は*ミ様(@rnoonet)です。不思議な雰囲気のあるアドベンチャーゲームをご紹介させて頂きます。 画面をクリックしていく方式で、そのやり方でエンディング分岐が4つ発生します。海底を走る列車というものに、いつの間にか乗っていた主人公と、対面座席にいつの間にか座っていたヒロインが、何処かの目的地に向かって行くというストーリーです。 周回プレイ推奨となります。何度もこの列車を乗っていく内に、主人公たちの置かれている境遇が、やんわりと伝わってくるようにな

          フリーゲーム『さようなら海底へ』レビュー

          ポメラで書くということ

          主な使い道は、「思いついた一文を保存する場所」である。 メモとしては長く、かといって長文を書くという訳でもない、そんな文量を収めることが主な用途となる。使い続ける内に、そうした使い分けが可能となっていき、それ故の在り方を獲得しているのが私のポメラとなる。 Wordでもない、Google Keepでもない、そうした選択肢があることが、私の書くことを一様に終わることをさせない。PCと分離した機能があるということが、書くことを多様にしてくれることになる。 ポメラというものを使

          絵画

          アートポスターをいくつか所有しているが、それである程度の満足を得ていることも本当であるのだけれども、本物の美術品から得られるものは、やはり違う。 絵画は特に、その世界観や技法に取り込まれるような気分に、見ていると浸ることができる。構図の美しさや、美を極めようとする気迫が感じられ、それを見るこちらの意識も整序されることとなる。 それは流行に乗ったり、世俗的な受けがあって評価されることもあるが、基本的にはそれ独自の単体としての完成がある。そして時代を選ばない性質を持つ。気に入

          デジタル

          前回書いた記事である『アナログ』の続編となるようなものである。 デジタル機器に生活全般が囲まれている現在、私もそれなしでは生きていけない「側」であるということを補足するために書こうと思ったことがある。気持ち的にはアナログな生活が可能という趣旨のことを書いたが、それはあくまでも気持ちの問題であって、実際的には、きっと、とてもその状況に耐えられるものではないとも思うのだ。 デジタルは「書くこと」に、個人的には関係の重点を置いていると言ったが、それは何も執筆状況を指し示すだけで

          アナログ

          私は現在、ノートPCを使って執筆をしている。だから「デジタル生活」をしていると言っても良い。 では、急にデジタル生活が終わりを迎えることになったとしたら、どうなるだろうか?私は困るし、世の中も大混乱を起こすであろう。 実際としてはそうだとしても、意識的にはどうか。私はPCというものを認識したのは、Windows95が世の中に出現し、その時に家に導入されたPCが、初のそれということになる。1995年なので、私の歳は10歳になったぐらいだろうか。つまりは、10年はデジタルなも

          書籍

          紙の本について述べてみる。 一冊一冊が完結した形態となって、人は書籍を手にする。その一冊はどれも世界観を構成していると言っても過言ではなくて、そしてそれは実際の機能でもある。 「わざわざ」紙を書籍という形態にするのは、その内容が、そうするに値するものだと判断された、証左でもある。昔は丁寧に箱に入れられた文学作品も珍しくなかった。そうした丁寧さが、その内容の格を示す、絶好のメルクマールでもあったのだ。 情報の束ではあれど、過去はモノとしての側面も強かったのではないかと思う

          環境的

          ノートPCを、もう何年も変えていない。気に入っているというのも当然にあるのだが、もはやこれでなければならない、という認識があるからだと思う。 気に入っているが故に壊れるまで使い続けようという目論見があるのも本当なのだけれども、その他に「何に変えていいのか分からない」という理由もある。 ずっと使い続けてきた、という事実が、それのある環境というものを形成しているのである。だからそれなしの状態というか、その環境下をうまくイメージ出来ないのだ。それはもう道具であることを超えてしま

          準備

          キチッと道具を揃えておくと、文章がスッと出ることが多い。 それは「セッティング」と言っても良くて、普段遣いのモノをきちんと選んで、それらがトリガーとなって、私の発想力は無理なく出力できるようになる。 「全部ある」と思えることが、重要なのではないかと思っている。今必要なものは、全てこの手の内にあるという認識が、書くことにおける懸念事項を消して、出力することに躊躇いを無くするのだ。 ペンと手帳だけで十分の時もあれば、それらに加えて(何かしらの)新書の本や、大量のペンの入るペ

          熟考

          物事について考えることは、何もアイデアを生み出す為だけとは限らない。 考えることそのものから副産物的にアイデアが生じることもあるが、それはたまたまそうなったようなものであり、やはり考えることそれ自体に価値があると言える。考えることは指向性を持たずとも全体的に波及することがあるのだ。 本を読むことも、考えることの延長線上にある、その一環となる行為である。考えることなしにただ鵜呑みにして本を読み終えることは、本を読むことの滋養を削減していると言っても過言ではない。名著に出会っ

          フリーゲーム『代筆屋ワールドワード』レビュー

          このフリーゲームの作者様はうた様です。短時間でプレイ可能なアドベンチャーゲームを今回は紹介させて頂きます。お手軽に遊べるコメディチックなゲームです。DLかブラウザ版のどちらかでプレイ可能となります。 代筆屋「ワールド✕ワード」で代筆屋に勤めることになった主人公。先輩代筆屋のモノが教えてくれるには、代筆とは筆一本ですれちがいをなくし、言葉を使って人の心を繋ぐ、素敵なお仕事だという。 しかしこの仕事は近年人手不足。という訳で、「新入りクン」であるプレイヤーは、ぶっつけ本番で代

          フリーゲーム『代筆屋ワールドワード』レビュー

          何だかんだと

          夏真っ盛りである。 暑さには参っているし、エアコンがないし(扇風機ならある)、そもそも暑さというもの対して苦手意識がある為に、結構に大変なのである。 毎年のことなのだが、慣れることはない。涼しい場所に繰り出せばいいではないかというのはご尤もなのだが、どうにもその元気すら失せる。扇風機の風を受けながら、室内で大人しくするのが、最も懸命な選択肢となる。それで耐えられるものならそのままだが、そうでなくなったら、流石に涼しい場所へと、私でも無理矢理に足を運ぶかもしれないが。 夏