発達障害の私にとって追い詰められた言葉・3つ(幼少期編)
私は、高校生と中学生の2人の子を持つ30代の母親です。
2人目を出産後、発達障害(学習障害や強迫性障害、感覚過敏など)と診断されました。
発達障害の私が、幼い頃に言われて
「追い詰められた言葉」
3つを書きたいと思います。
①【早くしなさい!・早く〜・〜しなさい】
私の場合、どうしても時間に対してルーズになってしまうので、「早く」と言われるのは仕方がない言葉だと思います。
しかし、私は「早く」と言われると、その「早く」という言葉が頭に強く残り、90%の 意識が一斉に「早く!!」に向きます。
やるべきことが「早く」の後付けになってしまい、その時の優先順位を冷静に考えることができなくなるのです。
頭が「早く早く」と指令を出すのですが、なぜか身体までの伝達がうまくできず、頭だけが忙しなく動いているような状態なのです。
そして、あたふたとしているうちに、どんどん時間が過ぎていきます。
予定より遅くなってしまっている現実に、頭だけが更にパニックになってしまいます。
身体が、脳と連動しないような切り離されている感覚なのです。
加えて、「しなさい!」と言い切る言葉が、逃げ道もなく、とても追い詰められているように感じていました。
②【どうにかなる、なんとかなる・みんな(皆)そうなんだから、みんな(皆)同じ】
私は、幼い頃から普通の人よりもできないことが多かったので、自分は何をやってもできないんだと、幼心に自信を喪失していたことを覚えています。
口下手の私にとって、「どうにも・どうにかならないこと」をうまく言葉で伝えるのは、さらに難しいのです。
しかし、意を決して親にその悩みを話したら、
「なんとかなるわよ、みんなそうなんだから」
という一言で突き放されました。
その後、私は何も言えなくなりました。
「みんな、そうだよ」
が、幼い頃の私にとって、とてつもなく絶望的な言葉だったと思います。
③【兄弟姉妹〇〇はできる、できたのに・友達〇〇くん、〇〇ちゃんはできる、できたのに】
やはり、どの人も身近にいる兄弟姉妹などと比べられることが多いと思います。
私の場合は、物心がついた時から、ひっきりなしにそう言われてきたので、
兄弟姉妹=できる
私=できない
と、短絡的な考えになっていきました。
自分なりに、少しできたと思ったことが、親には全然だめだと思われていました。
私自身の少し自信があった部分を、親から褒めて・気づいてはもらえず、兄弟姉妹レベルの基準に達しないと、認められなかった・褒められなかったのです。
③の詳細は↓の記事です。
上記の3つは、誰でも皆言われたことがあるような言葉だったと思います。
私にとって、これらの言葉は、
重く深く奥底にあり、どうすることもできないものです。
反対に、今もすぐ隣にあり、軽く取り出せてしまうものでもあります。
※障害の有無にかかわらず、言葉の受け取り方は、人それぞれだと思います。