by noriko
今日私はどの絵をこの目に焼きつけて帰ることになるのだろう?
ここは茨城県近代美術館。中村彜展が開催されていた。没後100年。順路にしたがってたくさんの絵を観てきて、いよいよ残りわずかというところに差しかかる頃、ふとそんな言葉が頭をよぎった。と同時に私の目に止まったのは、白い花瓶に生けられた色とりどりの花。何の花だろう?百日草のようにも見える。庭に咲いていたのだろうか?夏から秋にかけて長く咲き続けるこの花に、何か想いがあったのだろうか?
小さな絵だ。
牛久シャトーとボンジュール
by noriko
秋になり空気が澄んできたせいなのか、恋瀬川を渡る頃になると、筑波山が大きくはっきりと見えた。万葉集でも詠まれた恋瀬川だが、私の知る限りこの川付近は、いつも交通渋滞で、景色を楽しむ余裕はほどんどなかった。今回久しぶりに渡ってみると、山を見るぐらいのゆとりはできていた。
牛久シャトーに向かっている。昔、ここのワインが近所の店で売られており、買って飲んだことがあると記憶している。随分ご無沙汰だったが、今日は現地で買ってみよう。
「牛久シャトー」は、ある
茨城県立歴史館
by noriko
「歴史館の開館五十周年記念特別展」ということで、いつもなら庭園を散歩しただけで通り過ぎてしまうところだが、今回は展示品を観てみたくなった。ポスターにあった「馬のモチーフの冠」に魅かれたからだ。中央部分はリボンを結んでいるようでもあり、全体にドットのような装飾が散りばめられていて、今でこそ剥がれてしまっているが、銅に金メッキが施されていたという。耳元で揺れる耳飾りもあった。光に反射してどれほど輝いていたことか。想像しただけで瞼が眩しくなる。
交通手段が
おいしいもの 10月
by noriko
りんごの季節がやってきた。
紅玉が手に入ったので、何かお菓子を作ってみることにする。
紅玉を見ると一度は買ってみたくなる、魔法の食べ物のひとつだ。どんなに昼間、夏のように暑くたって、朝晩は冷やりとしてきて、季節の移り変わりを徐々に実感していくことになる。りんごの銘柄にそれほどこだわりはないが、紅玉だけは別だ。
その年のりんごの出始め頃に店頭に並ぶので、真っ先に秋を感じることができ、独特の香りと甘酸っぱさ、生でも火を通してでもおいしく頂けること、そ
by noriko
水戸市にある常陽史料館は、京成百貨店の裏手にあり、ここ数年は、その界隈を散歩することが楽しみのひとつとなっている。昼間なのに比較的静かな街並みと、目に飛び込んでくる季節感、そして近くの公園がセットになって、私にやすらぎの時間を提供してくれている。
入館するとすぐに、下っていく階段があり、期間ごとに入れ替わる芸術作品が展示されているのだが、階段を降りることによる明るさと開放感が、よりその奥にある部屋とのコントラストを生み出し、音楽に例えるならば、第一
by noriko
ゆるやかな丘を、彼岸花があちらこちらの畦などに群れて咲くのを辿りながら進んで行くと、向こうの方に見えていた低い山が、いつの間にか消えて、うす暗い山道を蛇行しながら登り、ああ、さっきまで見えていた山の中を車は走っているのだな、と気づいた。
こんなうっそうとした山の中にしては、たくさんの車とすれ違った。いったいどこから来てどこに向かうのだろう。不思議に思うような山道だった。
木々に当たる陽の光が作り出す強烈なコントラストが、かえって不安をあおってくる。
by noriko
夏もそろそろ終わりに近づき、秋の気配を感じ始めることのひとつに、萩がある。以前は夏山を歩いた折に見つけると、暑さがスーッと引いていく感覚がなんとも心地よかった記憶として覚えている。小さな紫色の花をつけた茎が垂れ下がり、風に揺れる様が、ほっとひと息つくのにふさわしい涼しさを与えてくれた。
さて、偕楽園の萩は、よく手入れされていて美しく形作られ、それはまさに大きな「おはぎ」のようだ。
庭園に点在するおはぎとおはぎの間をすり抜けながら妖精たちが笑い、踊
by noriko
岩間駅を過ぎたあたりで、車の中からこんもりとした山が見え、おそらく、これが愛宕山だろうとすぐにわかった。
約300メートルの、小高い丘のような山を上っていくと、駐車スペースにカフェを見つけ、登山したわけでもないのにひと息つこうとコーヒーを飲みながら、眼下に広がる景色を眺める。さわやかな風に吹かれていると、時間が経つのも忘れていつまでもこうしていたくなるが、まだここは頂上ではない。
鳥居の向こうに山の頭が見えた。この上に神社があるのだろう。鳥居をく
by noriko
親鸞の弟子である唯円が開基したという、水戸市にある報佛寺は、しだれ桜が美しく、ちょっとした名所になっていて、今ならスマホなどで情報を簡単に得られるが、そうでなかった時代でもどこから聞きつけてきたのか、あるいは今が見頃だと感知する能力が備わっているのか、この時期はいつも人だかりになっていた。
だからといって、その中の一人として毎年桜に見とれているのか、というわけにはなかなかいかないもので、隙間からわずかに見える桜をよそめに、寺の横を通り過ぎてしまうの
by noriko
夏の土用の丑の日には「う」のつく食べ物を食べるとよいとされ、鰻を食べるのが慣わしとなっているが、それほど年中行事を忠実に守るというわけでもなく、我が家にとっては高価な食べ物であり、しかも今年は二度あるという。
亡くなった父は大変鰻好きで、土用とは限らず食していたので、お供養と称して土用の丑の日ぐらいはぜいたくさせて頂くとしても、二度目はない、と思っていた。ところが……。
普段の買い物のつもりでスーパーの中をぷらぷら歩いていると、ふと目に留まったもの
by noriko
参道の並木を作っているのは、やぶ椿かしら。うねりながら、空に向かって伸びている。花をつける季節ではない。長い間、多くの人々に寄り添ってくれている、ここは酒列磯前神社。
お参りを済ませると、海を見下ろすように立つ、小さな鳥居。こんな夏の暑い日なのに、涼し気に鮮やかな青い紫陽花が花をつけて、海の色と競っていた。
この由緒ある神社に連れてきてくださったのは、もしかしたら、ここに祀られている少彦名命(すくなひこなのみこと)だろうか。大黒様を手伝って、国づく