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日立の旅 2

by noriko


 山側は夏の強い日差しで育った深緑色の常緑林が続く。谷側に目をやると、ザワザワと水の流れる音がした。川は勢いがよく、時折石にぶつかる水が跳ね上がって踊る。
 道路に平行して前方へ伸びる空の色が、うっそうと茂った黒々しさを幾分やわらげて、森への進入を拒まれずに済んだ。

 迎えてくれたのは、御岩神社。

 一度訪れてみたいと思いつつ、なかなか機会に恵まれずにいたのだが、ついにその時がやってきた。

 鳥居をくぐったとたん「えっ?」驚きを隠せない出来事が起こった。
 鳥居をくぐる前と後との体感温度がまるで違うのだ。「冷やり」を通り越して「寒い‼」初めての体験だ。背筋が冷気に襲われた。けれど、決して怖いものではなかった。むしろ感覚は、浄化に近かった。一瞬にして穢れを落としてもらったように思われた。

 森の中の静かな拝殿。御神木の三本杉は、空を突き抜けていくのではないかと思うくらい、まっすぐ高く伸びていた。
 苔に覆われた地面や朽ちた樹木が、私を歓迎し、やさしく包み込んでくれている。心が静かになり過ぎて、祈ることさえ忘れてしまいそうになる。それほど、たとえ一瞬でもここに身を置くことに満足していた。

 そして、なんとここでも龍に出会ってしまった。天井絵として現れたのである。

 宇宙から光の柱が見えたと言われる御岩神社。是非山頂まで登ってみたかったが、身体の都合で叶わなかった。それでも見捨てられることなく、光を分けてくださった。太古の昔から祈りの場であったことがうなずける。

 今日一日、野を山を駆け回るように巡り、遊んだ。神聖な場所を巡ったのに「遊ぶ」という言葉が出てきたのは何故だろう。たぶん「私の魂は、龍の背に乗って遊んでいた」ということにでもしておこう。


by reiko


 日立では、二か所の神社を訪れた。

 一か所目は泉神社。
 JR大甕駅が最寄り駅。参拝客が割と多いなあと思っていたら、今年の開運神社として年始にテレビで紹介されていたらしい。

 昭和始めに落雷によって損傷を受けたという御神木は、地面から3メートルあるかないか位の高さ。割れた太い幹だけが立っている。枝も葉も無いけれどその姿に悲壮感はなく、雷に打たれてなお、そこに在ることがとても力強い。杉の木に桜が根付いた宿り木なのだそうだ。

 本堂にお参りをして、湧水があるという方へ小道を入っていく。すると奥に、大きな龍の頭のような形をした木が横たわっている。眺めれば眺めるほど龍に見えるから不思議だ。泉の近くにあるから、水場で体を休めているようにも思えてくる。

 そして神社の名前にも冠している泉は、まずその蒼さに目を奪われた。綺麗に澄んでいるから底まで見える。白い泥をぽこぽこと噴き上げながら、水底から水が湧いていた。神秘的だ。透明な湧水の中でふよふよと泳いでいる赤い魚が、神様の使いのようだった。


 二か所目は御岩神社。
 御岩神社は山の東西を結ぶ約36キロの地方道の中ほどにある。御岩山という霊山の入り口に御岩神社があるのだけれど、御岩山全体を指して御岩神社と呼ぶこともあるらしい。

 パワースポットとして有名で、宇宙からこの場所に光の柱が見えたという話もある。パワースポットという言葉が流行りすぎて、そう呼ばれる場所に懐疑的なところもある私なのだが、御岩神社では、鳥居をくぐった瞬間に急にヒヤッと空気が冷えたことで考えを改めた。
 当たり前だが、地続きの屋外を歩いているのに、まるでカンカン照りの外からエアコンの効いた室内に入ったくらいの温度差が、鳥居のあたりを境に生まれている。
 神聖な力だとしても、自然の力だとしても、すごいことだ。

 鳥居を過ぎれば、山に足を踏み入れる。苔むした緑がきれいだ。美しく神聖な自然の景色が広がる。御神木の三本杉はどっしりと大きく、空に向かってまっすぐ立っていて、まさにご神木であるといった様子である。

 御神木を過ぎると、楼門があり、小さな池と湧水があり、御堂や灯籠をひとつひとつ拝見しながら通り過ぎ、そして御岩神社の拝殿に辿り着く。
 今回はそこで終わりにしたが、さらに奥へと進めば、御岩山は登山の道中に188柱もの神様と触れ合える、ぜいたくな場所だ。

 泉神社の時にもチラッと思ったのだけれど、今回訪ねた二か所の神社は、敷地内に色々と見るものがあり、その場の作られ方が、アミューズメントパークのように感じられた。
 ここは昔の人々にとって、信仰と並行して、『歩いて見てまわる楽しみの場所』にもなっていたかもしれないな、と想像を膨らませた。

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