日立の旅 1
by noriko
車は本道を外れ、狭い農道を走る。草を掻き分けるようにして進んでいくと、小川の上に架かる沈下橋が現れた。車一台がやっと通れるような橋。渡っても大丈夫? 落ちたりしない? ちょうど草刈り作業をしていたおじさんが、大丈夫だよ、と手を振って招いてくれた。おそるおそる渡り切り、土手を登るようにしてまた行くと、もう一度、沈下橋。木造で、まあ美しい。絵の中にいるようだ。
小さな冒険を終えて、着いたのは、泉神社。
数年前に何度か訪れたことがあるが、静かな森の中にコンコンと泉が湧き出ていてとても神秘的だ。ご神木も落雷で損傷を受けたらしいが、幹の玉杢からは、痛々しさを超えて力強ささえ見受けられる。
あの頃は訪れる人が少ない印象だったが、今回は人であふれ返っていた。目的は「泉龍木」と呼ばれる倒木らしい。たしかに龍の頭に見えてくる。ご神木といい、泉龍木といい、「常陸風土記」にも記されているとされるこの泉には、特別の力が存在することを疑う理由がなくなってくる。
さらに北へと足を延ばすと、神峰公園がある。随分御無沙汰だったが、子供の頃は数えきれないくらい訪れていた。遊園地、といえばここだったように記憶している。
遊具がどれくらい変わってしまったかは覚えていないが、小ぶりなジェットコースターは健在だった。色は塗り替えられたであろう、ピンクの骨組みに惹かれるが、子供に帰って無邪気に乗るには怖さが勝った。
そろそろ、お腹がすいてきた。記憶からは遠ざかってしまったが、多分その頃からあるんじゃないかと思われる、レストランで昼食にした。昭和情緒たっぷりの場所では、その頃からメニューにありそうな、ラーメンと炒飯を。テラスに設置された花壇やテーブルとイスまでが、「昭和」に思えてくる。今なのか、親に連れられて来た子供の時分なのか、だんだんわからなくなってくる世界観。
店を出ると、またピンクのジェットコースターが目に留まった。曲がりくねったそれは、川を渡って、龍頭に出会い、天に登る龍のようでもあった。「神峰」とは、いかにもそんな物語を紡いでくれそうだ。
by reiko
日立には小高い丘に住宅地があり、そこから景色を望むと、ちょっとテレビドラマや映画の世界に入り込んだような気分になる。
坂は急で、自分の足で登ろうものならぜーはー息が切れるだろうし、車で登っても、後ろにひっくり返るのではあるまいか……と、ほのかな不安が胸をよぎるほど傾斜がキツイ道もある。暮らすには大変そうだ、と車の運転もできず、体力もそう無い私は思うのだが、丘の上からの眺めはとても良くて、空と海のパノラマ、それから海際の低い土地に街が広がっているのが見渡せる。
海があり、土地に高低差があるロケーションは、そこにたくさんのドラマがありそうな気がしてくるから不思議だ。平地に住む私の日常には無い人々の動きが想像できるからだろうか。
移動する車の振動に揺られながら、ぼんやり思考する。遠い昔、まだ年齢が一ケタだった頃の記憶が浮かんできた。
親や祖父母に時々、動物園に連れていってもらった。茨城に住む私は、動物園というと上野動物園もしくはかみね動物園だった。
大人たちはどちらの動物園に行くか、ちゃんと私に伝えてくれるのだが、地図がわからない子どもの私は、上野動物園は『上の動物園』だと思っていて、「下の動物園はどこにあるの?」とたずねて笑われたり、かみね動物園は『上じゃない方の動物園』という、あやふやでざっくりした覚え方をしていた。
大人になった今地図を見れば、上野動物園は住んでいる場所の下にあり、かみね動物園は上にある。子どもの頃の私の脳内と現実が、まるでチグハグなのが面白いなと一人でこっそり笑った。
そうやって頭の中の世界に耽っている内に、気づけば、その『上じゃない方の動物園』日立かみね動物園のある場所に到着していた。もう何十年ぶりかという年月が当時から過ぎている。
こちらも丘陵の上にあり、動物園のほかに遊園地、それからレストランに大浴場が併設された施設などもある。駐車場にある展望台に登ったけれど、以前来た時の記憶はまるでなかった。
それでもピンク色の低いジェットコースターや、スカイサイクルという高い所にあるレールの上をペダルを漕いで進む乗り物はなんだか懐かしい。子ども時代を過ごした頃のレトロな雰囲気がそのまま残っていて、まるで過去にタイムスリップしたような感じがした。お腹がすいたのでレストランでお昼を食べたのだが、頼んだ醬油味のチャーシュー麺がこれまた『昔、遊園地で食べたラーメン』そのもの。「あ~~~、これこれ! このラーメン、久しぶり」とテンションが上がった。自分でふりかけるコショウがおいしい醤油ラーメンってこれだよな、と体が思い出したような感覚がした。