佐井大紀監督 『日の丸 寺山修司40年目の挑発』 : テレビ局が作った「劇場用ドキュメンタリー映画」の挑戦
映画評:佐井大紀監督『日の丸 寺山修司40年目の挑発』(TBS DOCS)
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本作は、テレビ局である「TBS」が、劇場公開用に製作しているドキュメンタリー映画のブランド「TBS DOCS(TBSドキュメンタリーフィルムス)」の一環で、制作された作品である。
(テレビ)ドラマ部所属のプロデューサーである、弱冠28歳の佐井大紀による、初監督作品だ。
本作は、1967年にTBSが製作放送して、物議を醸したドキュメンタリー番組「日の丸」に触発された佐井が「これと同じことを、今やったらどうなるだろうか?」といったところから、ドキュメンタリー映画制作のチャンスを得て制作したもので、今の日本では、「テレビ番組」としては作れないし、およそ放送もできないような作品だと言えるだろう。
と言うのも、ちょうど現在、総務大臣であった自民党の高市早苗議員と当時の安倍晋三首相に関わる「放送法めぐる行政文書問題」が取り沙汰されているとおりで、テレビ局というのは放送事業者として「放送法」の縛りを受けており、監督者である総務省という「お役所・政府機関」の顔色を窺わなくてはならない、弱い立場にある。だからこそ、以前、「NHK番組改変問題」で「政治的圧力の有無」が取り沙汰されたのだ。
つまり、総務省や政治家などから「この番組のこの表現は、政治的公平性に欠けるのではないか?」などという注文がつくと、場合によっては、責任問題になるから、テレビ番組作りにおいては、どうしても「無難」なところで、まとめてしまうことになる。
その点、観たい人だけが自腹で観に行く「映画」の場合は、「公平性」だの「中立性」だの「客観性」だのといったものを、何かにつけてうるさく問われる必要はない。
「刑法」の触れるような、よっぽどのことをしない限り、自分の描きたいことを描き、言いたいことを言えばよく、作り手としての「言論・表現の自由」が担保されていて、その分やりがいもあるというわけだ。
で、話を戻すと、問題のドキュメンタリー番組「日の丸」には、構成作家として、かの「寺山修司」が関わっていた。
寺山は、高度経済成長期に突入していた当時の日本人の心のあり方に『情念の反動化』というものを感じており、それを可視化するための挑発として、全編、街頭インタビューだけで構成された番組を作った。
「情念の反動化」という言葉の意味は、同番組の制作スタッフも、それに触発されて本作映画を作った佐井監督も、正確な意味を知っていたわけではないはずだ。
なぜなら、「それは、こういう意味だ」などという特権的な「正解」など、寺山は遺さなかっただろうからで、それがわからないのは当然だからだ(言い換えれば、「情念の反動化」という言葉は、詩的言語としての多義性に開かれていただろうからである)。
要は、その言葉を耳にした者個々が、その言葉を「どう捉えるか(解釈するか)」が重要であり、肝心なのは、どのように「自分の問題として捉えるか」、個々の主体性が問われているのである。
そう考えた場合、私なりの解釈を示しておけば、それは「日本人が、高度経済成長によって、守り(保守)に入ってしまい、敗戦時に、かえって感じられていた自由と解放を、いまや自ら手放しかけているのではないか」という、直観なのではないだろうか。
そして、そんな「今」だからこそ、「日の丸」だの「君が代」だのという、依存的な「祖国」概念に直結すると同時に、いっそ忘れてしまいたいと感じて、半ば無意識に目をそらしている「戦争の悲惨な記憶」を、あえて呼び覚まし、再考をうながす「言葉」をぶつけてみよう、と考えたのではないだろうか。
この番組では、インタビュー慣れしているプロのアナウンサーではない、若い女性を使って、街頭で無作為インタビューを行った。
その「質問内容」は、次のようなものである(回答によっては、質問事項が増える)。
これを、無機質に、間髪入れずに次々と質問していき、相手が途中で当惑して、反問してきても、それには応じず、質問を続ける、という手法である。
プロのアナウンサーを使わなかったのも、無難に円滑な「コミュニケーション」を、あえて断つためだった。
今でもそうだが、テレビ局の街頭インタビューなどというものは、だいたい「正解」が決まっていて、型どおりの「馴れ合い」めいたものが多い(例えば「大リーグ・エンジェルスの大谷選手をどう思いますか?」と問われて「興味ない」と答える人は、まずいない。正解は「日本の誇りです」「憧れです」といった、型どおりに陳腐な回答である)。
だからこそ、少なからぬ人が、インタビューを恐れることはなく、逆に自分がインタビューをされると、嬉々としてそれに応じるのだが、このインタビューは、そういうものではなかった。
つまり、インタビューの導入部分となる(1)から(3)までなら、クイズと大差のないものだから、わりあい気楽に答えてしまう。
ところが(4)の質問に「えっ?」となり、(5)の質問は、質問の意図が読めないまま答え、(6)の質問でギョッとさせられると同時に「ハメられた」という印象を受けるのではないだろうか。
(1)から(3)までなら、後で「テレビに映ったよ!」などと人に自慢して済ませられるような話だが、(4)以降の質問は、その人が、「戦争」やそれに関わる確固たる「歴史認識」を持っていなければ、答えることができず、無知の醜態を晒すことになるものなのである。
だが、当然のことながら、多くの人は、そんな「天下国家」的な問題について、まともに考えたことはないだろうし、まして、当時は、前述のとおり、高度成長の真っ最中であり、3年後の1970年には「人類の進歩と調和」をテーマとした「未来志向」の「大阪EXPO70」が開催され、同じ年に、ジローズの「戦争を知らない子供たち」が大ヒットするといった具合だったから、誰もが「暗い過去」から目を逸らして、あるいは忘却して、もっぱら未来志向の「平和と繁栄」を謳歌しようとしていたのではないか。
だからこそ、そんなタイミングで、わざわざ「暗い過去」を突きつけてくるような質問を、いきなりされても、当惑するしかなかったのである。
だが、寺山の狙いは、まさにそこにあったと言えるだろう。
反問と議論には応じず、次々と質問を浴びせることで、相手に「考える余裕」を与えない。頭を使って即興的にひねり出した「その場しのぎに取り繕った、もっともらしい正答」など許さず、その人が、日頃から持っている言葉でしか答えられないように、故意に仕向けた。
ありがちな「出来レースのインタビュー」ではなく、「あなたの本性を見せなさい」というような、「逃げ」を許さない(「知らぬ存ぜぬは許しません」というような)質問だったのだ。
そして、そうしたインタビューの様子から浮かび上がるのは、「余計なことは考えない」「昔のことなど考えたくはない」という、当時の日本人の姿だったのではなかったか。
一一では、その同じ質問を「今の日本人」にぶつければ、どうなるだろう?
1967年の日本と、2022年の日本。似ているところもあれば、違っているところも大いにあろう。
例えば、かつての日本は「専守防衛」「絶対平和主義」が当たり前だったが、今ではそうではない。当時だって、ベトナム戦争があって、日本も決して戦争と無縁ではなかったのだが、多くの日本人は、それを「アメリカとベトナムの戦争」だと考えていたから、今の、北朝鮮や中国を、リアルすぎる仮想敵国とした「当事者としての危機意識」とは、まったく違っていると言えるだろう。
だが、だからと言って「今の日本人」の多くが、「過去の戦争」を省みて「戦争のリアル」を考える、といったことをしているかといえば、無論そんな「高度なこと」などしてはいまい。
「北朝鮮や中国の脅威」で煽られれば、ほとんど脊髄反射的に「防衛力を高めなければならない。それがリアリズムだ」などと、利いたふうな口を叩くけれど、「かつての自国の戦争」については、相変わらず無知なままだし、戦争をするのは「国」ではなく「自分」や「家族」なんだ、といった「当事者意識」もなく、「戦争ゲーム」の指揮官のノリで、「戦争」を抽象的に、つまりは他人事のように考えてしまうのは、今も昔も、大して変わってはいない、「提灯行列的感性」のゆえなのである。
だからこそ、同じ質問をぶつければ「何かが見えてくるのではないか」というのが、この映画の出発点である。
だが、この映画は、そう単純には進行しない。
いくら、テレビの放送コードを気にしなくてもよいとは言っても、時代が違うのだから、インタビューを受ける側の意識も違って、昔のように問われるがままになってはいない。テレビの権威自体が、昔とは違って低下しているからである。
そのため、本作の場合は途中からは、質問の仕方を変えてみるなどの試行錯誤が見られ、それがそのまま作品の「幅」となって、独自の魅力を発し始める。
言うなれば、1967年のそれは「まっすぐに刃を突きつける」脅すような信念型であり、本作映画は「相互性を取り入れた」問題提起型だと言えるだろう。
したがって、どちらにもそれなりの魅力があるわけだが、当然のことながら、今の世の中では、本作のようなやり方のほうが、「ウケ」が良いはずだ。
今の感覚からすれば、寺山がやったことは「言葉のテロリズム」と表現しても良いような、仮借のないものだったから、「お客様扱い」になれ、「人を傷つけてはいけません」「言葉の暴力は許されません」と教えられてきた世代には、寺山のやり方は「独善的で暴力的なもの」に映るのではないだろうか?
だが、だからこそ本作映画が、1967年のオリジナル版「日の丸」よりも、「他者」の「人権」に配慮したものという理由で、「進歩した」などと考えるのは、浅はかであろう。
たしかに私たちは、昔は持っていなかった視点を手に入れ、見えていなかったものが見えるようになった部分もあるだろう。
しかし、当時の寺山らには見えていたものが、今では見えづらくなっている部分も必ずあるはずで、むしろ、そこを凝視しなければ、結局のところ、安易な「俗情との結託」において「今の自分」の立ち位置を肯定する、ある種の「アイデンティティ・ポリティクス」的な「自己賛美」にしかならないはずだ。
本作は、とても刺激的で面白いドキュメンタリー映画である。
けれども、それは、それが作れる環境を「与えられた」から作れた、という側面があることを、決して忘れてはならない。
無論、1967年の寺山が「日の丸」をやれたのも、それは「それがまだ許される時代であったからやれたのであり、その意味では、今回の映画と同じだ」というような言い方も、可能ではあろう。
しかし、1967年当時であっても、番組「日の丸」は、現に物議を醸し、閣議でも問題にされ、総務省から調査が入ることにもなったのである。
それに比べれば、今回の映画は、そのようなことになる恐れは無いと断じてもいいだろう。そのような恐れがないと確信できたからこそ、テレビ局であるTBSは、テレビ屋であるにもかかわらず、「映画」ブランドの「TBS DOCS」を、「抜け道」的に立ち上げた、という側面があるのは否定できないはずだ。
であるならば、その事実に目をつぶって「われわれも、テレビとは違った手法で、現実に切り込んでいくのだ」などという「きれいごとの自己賛美」だけではなく、それが、自分たちの「良心のアリバイ」として機能している事実を直視しなければ、「会社組織」のバックアップなど無しに、フリーの立場で「ドキュメンタリー映画」を撮ってきた人たちに対して失礼でもあれば、身の程知らずの傲慢でもあろう。
本作の佐井監督自身、ドキュメンタリー映画も所詮は「主観」を(で)描くものであると、森達也や原一男などが、さんざ口にしてきたことを繰り返しているが、そう思うのであれば、映画に映し出されるのは、「他者」ではなく、まず「自分自身」なのだという認識を、厳しく持つべきであろう。自分自身の「姿」ではなく、自分自身の「精神の立ち姿」だ。
例えば、「TBS DOCS」というブランドがポシャった場合に、それでも、手弁当で、同じようなドキュメンタリー映画を撮り続ける覚悟があるのか、それとも、そうなれば無難なテレビ番組作りに専念して、糊口をしのぐことを第一とし、時代と寝ることも良しとするのか。
このくらいのことは、あらかじめみずからに問うて(インタビューして回答を要求し)、それを「公開」しておくくらいの覚悟なければ、「テレビ屋のドキュメンタリー映画」など、所詮は、資本主義経済における「娯楽番組」の一種でしかなく、「時代」を相対化しうる「問題提起」になど、なり得ないだろう。結局のところ、「殿様商売」ならぬ「意識高い系の殿様ドキュメンタリー」になってしまうのではないだろうか。
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最後に「日の丸」の質問事項に対する、私の回答を示しておこう。
不意打ちにされても、今の私なら、この程度の質問になら、戸惑うことなく、顔出しで回答できる自信はある。
(1)日の丸といったら、まず何を思い浮かべますか?
一一「日の丸・君が代」(国旗・国歌)法。
(2)日の丸の赤は何を意味していると思いますか?
一一太陽。
(3)日の丸をどこに掲げたら美しいと思いますか?
一一青空。
(4)あなたは、国と家族とどちらが大切ですか?
一一家族。
(5)あなたに外国人のお友達はいますか?
一一います。
(6)もし戦争になったら、その人と戦うことはできますか?
一一できません。
(7)ならば、国家に逆らうのですか?
一一どこまでそれがやれるのか、自分を試してみたい。私は昔から、非国民になれるか、モハメッド・アリみたいにやれるか、小林多喜二になれるか、などと自問してきました。それが試されるわけです。
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ともあれ、本作は、埋もれたテレビドキュメンタリー番組「日の丸」を現代によみがえらせ、それと向き合った作品として、たいへんな意義もあれば、間違いなく、刺激的で面白い作品である。だから、問題意識のある人には、ぜひ観て欲しい。
だが、問題意識のない「ぬるま湯の住人」が観れば、きっと「不愉快」になるだけだから、「あなたはやめておいた方がいい」と、そう助言しておくことにしよう。
(2023年3月11日)
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