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レオ・マッケリー監督 『邂逅』 : 信仰的美意識における愛の限界
映画評:レオ・マッケリー監督『邂逅』(1939年・アメリカ映画)
戦前の「絵に描いたようなメロドラマ」である。原題は『Love Affair』。
同じ監督によって、1957年に『めぐり逢い』(An Affair to Remember)のタイトルでリメイクされており、また、1994年には『めぐり逢い』(Love Affair)のタイトルで、グレン・ゴードン・キャロン監督によってもリメイクされている。
このように、時代を超えて何度もリメイクされるのは、本作の骨子となるところが、普遍的な「人情」に訴えるところがあるからで、時代やキャラクター設定に変化を加えながらも、物語の骨子の部分は、時代を超えているのである。
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それにしても、そのオリジナル版である、このような古い作品を、しかもロマンス映画が趣味ではない私がなせ見たのかというと、それはたぶん、映画評論家の淀川長治が、自身の「オールタイムベスト100」に挙げていたからなのだろうと思う。「だろう」というのは、思い当たる淀川の著書『淀川長治映画ベスト100&ベストテン』を読んだのが半年ほど前のことで、その本もすでに手元にはないからである。
だが、それ以外で、本作を強く推すような人も他に思い浮かばないので、きっとこの本を読んだときに購入したのだろうというわけである。
さて、そんな本作の「あらすじ」は、次のとおり。いかにも淀川長治好みの、古風でロマンティックなお話である。
『プレイボーイ、ミシェル・マルネーはアメリカの大富豪の令嬢ロイスとの婚約が決まると、世界中のラジオニュースで紹介される程の有名人だった。彼はヨーロッパからアメリカへ向かうナポリ号の船旅の中で、一人旅を楽しむ貴婦人、テリー・マッケイと偶然に知り合う。ミシェルは言葉巧みにテリーの部屋へ上がり込むと、船旅の9日間のパートナーとして誘いかける。彼女はニューヨークのナイトクラブから身を立てた歌手で、今は実業家のケンがパトロンだった。船内で、テリーは徐々にミシェルを意識していく。
船はマデイラ島に数時間停泊。二人は明るい日差しの中で、ミシェルの祖母の家を訪ねる。そして二人はカトリック教会の聖堂(※ 正しくは、祖母の家の礼拝堂)で、それぞれ祈りを捧げる。茶卓を囲んだテリーは、ミシェルの祖母からミシェルの幼少期の話を聞き、また彼女が(※ 遊び人である)ミシェルの身を案じ、彼を変えるような善き伴侶をと出会うことを望んでいることを知る。去り際に、祖母の伴奏で、テリーが『愛の喜びは』を歌った。船に戻った二人は、初めて口づけを交わす。
ニューヨークへの到着を明日に控え、互いに眠れぬ夜を過ごしていた二人は、デッキで会話する。ミシェルは、一人前になった半年後にプロポーズがしたい、と告白する。翌朝、二人は半年後の7月1日の5時に、エンパイアステートビル102階の展望室での再会を誓いあう。船が入港すると、二人は出迎えに来た互いのパートナーを見て、互いに複雑な表情を見せる。
二人は互いのパートナーのもとに向かうが、ロイスは成金の下品な娘だった。テリーはやがて婚約解消の報道を目にして、ミシェルが約束を果たそうとしている確信を持つ。一方のテリーも自立すべく、フィラデルフィアのホテルで『Sing My Heart』を歌うと、その場で専属歌手として採用が決まる。ミシェルは看板描きの仕事を始める一方、彼の絵画も売れ始めた。
互いにエンパイアステートビルを見つめながら、ついに約束の7月1日がやって来た。テリーはブティックで買い物をして、展望室に向かおうとしていた。ところがブティックの店員が(※ 支払いのことで)気を利かせてケンに連絡をしてしまう。(※ すぐにケンがやってきて、テリーを食事に誘うが、それを断り)約束に遅れそうだと急ぐテリーは、エンパイアステートビルを目前に交通事故に遭う。それを知らないミシェルは何時間も彼女を待ち続け、やがて諦めてしまう。一命を取り留めたテリーは(※ 脚を痛めており、歩けるようになるか否か、それは)、まだ半年後の検査が必要な身であり、ミシェルには連絡しないようケンに頼む。
失意のミシェルはマデイラに向かい、祖母の遺品のレースがテリーに遺されたことを知る。一方、車椅子で療養生活を送るテリーは、孤児院で子供達を歌で励ましていた。それを見た孤児院長は、テリーを孤児院に雇い入れる。
時は流れて、クリスマスイブの日。ロイスはミシェルを探し当てて演劇に誘う。劇場にはケンとテリーも来ており、二組のカップルは鉢合わせしてしまう(※ この時、ケンとテリーは席にかけているので、ミシェルはテリーの脚のことには気づかない)。テリーの足は完治しておらず、今日が初めての外出の日だった。ケンは彼女に援助を申し出るが、テリーは頑なに断る。一方のミシェルも、ロイスとは何事もなく分かれる。ミシェルが向かったのはエンパイアステートビルだった。
子供達への歌の指導を終えたテリーのもとを、ミシェルが訪ねてくる。二人は、約束の日「ミシェルが約束を果たさなかった」ことを前提に会話を始める(※ 事実とは逆の仮定で、ミシェルはテリーの、当日の事情を聞こうとする)。ミシェルは船の切符を買い、今夜中に旅立つ予定だった。去り際に、彼は祖母の形見のレース(※ のショール)を手渡すと、テリーがレースを羽織った姿を絵に描いたと話す。その絵は、彼の想いに共感した貧しい女性客が購入した、と話すと、ミシェルは口ごもってしまう。まさかと思ったミシェルは彼女の部屋を見回すと、その絵画を見つける。ミシェルはテリーに歩み寄り、真実を知った二人は微笑みを交わすのだった。』
(Wikipedia『邂逅』)
要は、海を渡る旅の船上で出会った、お互いにパトロン付きの男女、言い換えれば「一人前に独立していない男女」が惹かれ合い、男の方のミシェルが「僕はこれまで、働いて稼いだことのない人間で、今のままでは君を幸せにすることができない。けれども、半年待ってくれたら、何としてでも自分一人で身を立てる人間になっているから、その時は結婚してくれ」とプロポーズし、女性の方であるテリーは「半年後の7月1日に、世界で最も天国に近いビルであるエンパイアーステートビルの展望室で会いましょう」と約束する。
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そして、その後、二人は共に、一人前になろうと頑張って、めでたく約束の7月1日を迎えるのだが、テリーがビルの下まで来て交通事故に遭い、そのまま救急搬送されてしまう。一方、それを知らないミシェルは、ビルの展望室が閉まる時間までテリーを待ち続けたのだが、最後は、自分は捨てられたんだと思い、諦めて帰ってしまう。
事故から生還したものの、テリーは、半年後の検査まで、事故の後遺症で歩けなくなる恐れがあったので、歩けると確認できるまではミシェルに連絡を取らないと決めていた。お互いに自立してから結婚するという約束だったからだ。自分が歩けなくなったと知っても、ミシェルは余計に同情して結婚してはくれるだろうが、テリーとしては、ミシェルのお荷物にはなりたくなかったのである。
一方、そんなことがあったとも知らないまま、しかしミシェルはテリーのことが諦められず、テリーの名字である「マニング」で電話帳を調べていたところ、フランスへの帰国のために旅立つ当日に、テリーの居場所が判明して、ギリギリのタイミングでテリーに会いに来る。
テリーは、この時、まだ脚の具合がはっきりしていなかったので、風邪で休んでいたというのを口実にして、ソファーに腰掛けたままミシェルに応接する。
ミシェルは「僕があの日、約束を守らずに行かなかったので、君はさぞや怒ったことだろうね?」といった具合に立場を入れ替えてテリーに質問し、テリーもそれには応えるのだが、実際の事情はどうしても話さなかった。
そして、船の出航の時間が刻々と近づく中で、最後に、上の「あらすじ」にあるとおり、ミシェルは「テリーを描いた絵」のことを話すのだ。
『去り際に、彼は祖母の形見のレースを手渡すと、テリーがレースを羽織った姿を絵に描いたと話す。その絵は、彼の想いに共感した貧しい女性客が購入した(※ 正確には、個人的に大切な作品だからこそ、画廊には適切な人に無償で譲るように指示し、譲った)、と話すと、ミシェルは口ごもってしまう。まさかと思ったミシェルは彼女の部屋を見回すと、その絵画を見つける。』
ここでは省略されているが、ミシェルがテリーの脚のことに気づき、すべての事情を察するのは、絵を譲った相手の人物が「貧しい」だけではなく「脚の不自由な婦人」だったからである。
つまり、ミシェルが、その絵を譲った人物について「貧しくて…」と言い、その後を続けようとした時に、ハッと気づいて「もしや」と思い、隣の部屋まで様子を見に行くと、そこに「譲った絵」が飾られていたので、テリーがずっと座ったままで応対していたことの真相や、「約束の日」に来なかった理由まですべてを察して、彼女の自分への思いを確信したのである。
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ちなみに、これも「あらすじ」では省略されていることだが、ミシェルがテリーに渡す「祖母の形見のショール」とは、二人がかつて、旅の途中にミシェルの祖母の家に立ち寄った際、テリーを気に入り、できればいつかミシェルの嫁にとまで考えた祖母が、テリーに「いつかこのショールを、貴女に譲りましょう」と約束していたものなのだ。
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その後ミシェルが、祖母に会いに行った時には、すでに祖母は亡くなっていて、そのショールが遺されていたので、それをテリーと再会した時に渡そうと、ミシェルはショールを手元に置いていた。それでミシェルは、再会できないテリーのことを思って、そのショールを掛けたテリーの絵を描き、それを自分の心の支えとして売却しないでいたのである。
つまり、このお話は、なかなか伏線がうまく張られていて、よく出来たお話なのだ。
無論、昔の作品らしく、二人が焦ったいほどに真面目で、「一人前になるまでは」「相手に迷惑をかけちゃいけない」などと考えて、みすみす別れなければならないと瀬戸際に至るのだが、言うなれば、ミシェルの祖母の思いが、二人を再会に導いたというふうになっている、じつに「いい話」なのである。
だから、少々古くさいと感じる部分はあるのせよ、それだけ「真面目にロマンティック」なお話であり、その意味では、リメイク版を見なくても、今でも十分に楽しめる作品になっている。
さて、そんな作品の中で、私が最初にハッとしたシーンは、二人が、叔母の家にある礼拝堂で、聖母マリア像の祀られた祭壇に向かって祈るシーンである。
テリーは自分から、ミシェルの祖母に「祈りたい」と申し出るのだが、ミシェルの方は信仰に興味がないところを、祖母に「あなたも一緒に祈ってきなさい」とうながされて、テリーに数歩遅れて礼拝堂に入っていくのだ。
で、この礼拝堂の中はシンプルに美しく、窓からさす穏やかな斜光線で、なんとも言えず、清浄で荘厳な雰囲気であり、祭壇から二人を見下ろすマリア像も、まるで天国から見下ろしているかのように慈愛に満ちたものに見える。一一つまり、非常に力の入ったシーンだというのがハッキリ見てとれたので、私はこのシーンを見ただけで「この監督、もしかしてカトリック?」とさえ思ったのであった。
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で、そのあと、テリーが「孤児院の子供たちに歌を教えて教導する」シーンやハッピーエンドまでを見て「ちょっと甘いけど、まあ感じの良い話だったな」と思ったのだが、このレビューを書くために「Wikipedia」をチェックしたいたところ、ちょっと嫌な記述を見つけてしまった。
『1950年代は次第にキャリアが低迷するも、1957年に『邂逅』をケーリー・グラントとデボラ・カーを起用して自らリメイクした『めぐり逢い』を発表、いささかも演出力が衰えていないことをアピールし、マッケリーとして晩年の傑作となる。しかし、この時期、ハリウッドでは赤狩りの真っ只中で、この時期の作品のほとんどが反共産主義色の映画だった。』
(Wikipedia「レオ・マッケリー」)
無論、問題は『ハリウッドでは赤狩りの真っ只中で、この時期の作品のほとんどが反共産主義色の映画だった。』の部分だ。一一この記述は、やはりどう見ても、マッケリー監督の作品が、ということだろう。
「Wikipedia」にあるとおり、マッケリー監督は、当初は『スラップスティック・コメディの名手』として一時代を築き、そのあとは『フランク・キャプラのようなセンチメンタルでヒューマニズムあふれる作品を撮るようになる』が、それにも成功する。
さらに、
『1944年には当時絶大な人気を誇っていた歌手で俳優としてもミュージカルやコメディに出演していたビング・クロスビーを主役に迎え、下町の教会を舞台にした人情喜劇の傑作『我が道を往く』を監督、映画は大ヒットを記録し、さらにアカデミー賞7部門を獲得し、マッケリーも2度目の監督賞を受賞するなど名声を決定付けた。またこの成功でビング・クロスビーは性格俳優として確固たる地位を築く。この映画のヒットで翌1945年、主演のクロスビーにイングリッド・バーグマンを共演に迎えて続編『聖メリーの鐘』を監督し、前作以上の成功を収める。またこの時期には全米の長者番付第一位に輝いた。』
と、スタイルを変えながらも、順調にキャリアを積んでいくし、その中では「キリスト教」を扱った、たぶん「いい話の感動作」を撮ったのであろう。
だが、それが、戦後の「赤狩り」の時代には、それに加担した「反共映画」を数多く撮ったというのは、カトリック教会の歴史(現代史)を知っているもの者としては「さもありなん」とは思うものの、しかし本作『邂逅』における、美しい「祈り」のシーンや、感動的なハッピーエンドを見た後では、かえってその現実に、痛ましいまでの残酷さを感じずにはいられなかった。
(※ カトリック教会は、第一次世界大戦における近代兵器による大量殺戮の惨禍に直面して、反近代=保守主義に傾く。つまり、共産主義=唯物論=無神論など、論外の悪。だが、この方針は、第二次世界大戦でのバチカン=カトリック教会の、枢軸国側への加担問題などもあり、戦後しばらくして、法王=ローマ教皇が代替わりした際に、大きくリベラル方向に舵が切られる。その結実が、1962年から1965年にかけて開催された「第二バチカン公会議」である。その後も、カトリック教会の方針は、保守とリベラルの間で揺れ動くが、これはカトリック教会の伝統でもあれば、強みとしてのバランス感覚でもある)
結局のところ、どんなに「美しいもの」を求めようとも、「人間に対する愛」に発するものではない「権威主義的な愛=盲信」の限界が、そこで図らずの露呈した、としか言いようがないのであろう。
無理に「反共映画を撮らされた」ということではなかったのだ、間違いなく…。
(2024年12月9日)
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