L.M.モンゴメリ 『赤毛のアン』 & 高畑勳監督 『赤毛のアン』 : ロマンティックさを少し
評論:L.M.モンゴメリ『赤毛のアン』&高畑勳監督『赤毛のアン』
アンという女の子は、理解不能だった。
とにかく、やたらに妄想を膨らませては、止めどなく喋り続けて、喜んだり悲しんだり怒ったりと、落ち着きというものがまったく無い。もう少し考えてから、意味のあることを話せよな、と当時の私は思っていた。
女の子というのは、だいたい、つまらないことばかり話していて、およそ理解不能だったのだが、アンは、そんな女の子を象徴するような性格で、彼女に興味を持つことなど、当時の私には到底できなかったのだ。
私とアンとの出会いは、1979年に放送されたテレビアニメーション番組『赤毛のアン』が最初だった。名匠・高畑勲の作品である。
当時、私は17歳で、すでに熱心なアニメファンだった。高畑勲作品も『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』などですでに馴染んでおり、特に『母をたずねて三千里』は大好きで、主人公のマルコには感情移入したし、ヒロインの無口な少女フィオリーナにはすごく惹かれた。私は、ああいう陰のあるタイプの女の子が好きだったようだ。だから、その正反対と言っていいだろうアンは、心底うんざりさせられるタイプの女の子だったのだ。
高畑勲監督の作品なので、最初の何回かは視たが、なにしろアンには、小田部羊一がキャラクターデザインしたハイジやマルコのような可愛らしさがなく、目のギョロリとした、おでこの少女だった。また、百歩譲って、見かけは良いとしても、あの騒々しさが、およそ趣味ではなかったのだ。
だから、最初の数回を視て打ち切った。視るべき作品は他にもあったし、数ヶ月後には、あの『機動戦士ガンダム』が始まって、そっちにのめり込むことになる。私は、あのファースト・ガンダムを初回から「録音」していた、ガンダム第一世代のファンなのだ。当然、アンのことなど、すっかり忘れてしまった。
もちろん『赤毛のアン』に原作があり、世界中で読まれている児童文学の傑作であるということくらいは知っていた。私は、当時すでに読書家ではあったものの、もともと活字に馴染みだしたのは高校生になってからと遅かったので、読みたいものは児童文学ではなかった。後に児童文学にも興味を持って、講談社文庫の「AA」児童文学シリーズを集めたりもしたし、多少は読んだけれど、その際に読んだのは国内作品の名作だったり、内外の名作短編のアンソロジーだったりと、『アン』のような海外児童文学の長編には手を出さなかった。とにかく、読みたいものがいろいろあったから、『赤毛のアン』や『小公女』『秘密の花園』といった、あまりにも有名かつ「女の子向け」の作品を読みたいとは、つゆほども思わなかったのだ。
そしてあれから40年、私は、アンではなく、マリラやマシューに近い年齢になった。
読書好きの私は、新刊だけでは満足せず、古本屋にも好んで足を運んだ。古本屋には、本との一期一会の出会いがあったからだ。
しかし、近年は、古本屋めぐりをせずとも、ネットで欲しい本が簡単に手に入るようになったから、めっきり古本屋に足を運ぶ機会が減った。その時間を読書に当てたいからだ。
本を読むために自分に残された時間と、読める冊数を気にしだしてから、すでに10年も経っており、特段の必要がなければ、古本屋めぐりに当てていた時間を、読書そのものに振り向けたいと考えた。
しかし、先日たまたま仕事の出先で、ひさしぶりにブックオフに立ち寄った。その店の百均の棚に『赤毛のアン』を見つけて、手に取った。
ブックオフには数え切れないほど行ったし、百均の棚に『アン』を見たことも同じくらいあったはずだが、『アン』を手に取るのは初めてだった。数ヶ月前、高畑勲の著書『アニメーション、折にふれて』(岩波現代文庫)を読んで、昔は理解できなかった『赤毛のアン』という作品への興味を掻き立てられたからだろう。
文庫本を手に取り、開いてみると、アンがおしゃべりしているページだったが、その口調はアニメのそれそのままで、アンに声をあてた声優・山田栄子の声がたちまち蘇ってきて、とても懐かしかった。
それで、読もうと思った。今なら、うんざりさせられることなく、アンのおしゃべりに楽しく耳を傾けられそうだと、そう思ったのである。
結果から言うと、とても面白かった。さすがは、世界に冠たる児童文学の名作だ。最初から最後まで面白かった。やはり、アンは特別に魅力的な女の子だった。
昔は、騒々しいとしか思えなかったアンの喋りが、とても女の子らしくて可愛いと感じられた。話の中身ではなく、その溢れ出す生のエネルギーとその輝きが素晴らしいと思った。
と同時に、マリラやマシューがあてられたのもコレなんだなと理解できた。思えば私は、マリラとマシューに近い年齢になっていたから、そちらの目で、アンを見るようになっていたのだ。
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『赤毛のアン』の舞台となったカナダのプリンスエドワーズ島のアボンリーは、キリスト教・プロテスタントの村のようだ。もしかすると、一部にカトリックの信者もいたかも知らないが、大半はプロテスタントの敬虔な信者たちのようで、それはマリラ・カスバートの人物造形に典型的に示されている。
マリラの性格的特徴の多くは、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理とキリスト教の精神』で指摘した、宗教改革者カルヴァンの「予定説」から導き出された、次のような倫理観に基づいて形成されたもののようである。
マリラの「真面目な堅苦しさ」は、こうしたプロテスタンティズムの倫理を典型的に示したものであり、すべてが彼女のもともとの性格というわけではあるまい。彼女は、意識して、そのような生き方を選んだ結果、物語の冒頭部で描かれる、あの真面目で堅苦しい、ちょっと気難しげなマリラが出来上がったのだと考えていいのだ。
そして、いま思うと、私にはマリラに似たところがあるようだ。
無論、私は、カルヴァン派クリスチャンではないし、クリスチャンですらない。したがって、快楽を罪悪視することもないのだけれど、しかし「禁欲主義(ストイシズム)」に惹かれる部分は、たしかにあった。
それは、マリラのような「信仰」に発するものではなく、「男の子」らしいストイシズム。わかりやすく言うならば「陰のあるヒーロー」的なストイシズム。すこし古い喩えで言えば「高倉健的ストイシズム」だ。己を犠牲にしてでも「弱きを助け強きを挫く、孤独なヒーロー」のストイシズム。称賛を求めることもなく、むしろ人からの誤解にさらされても、言い訳することもなく去っていく孤独なヒーロー。そんなストイシズムに、「男の子」であった子供の私は憧れた。
私が子供の頃に視た「仮面ライダー」は、理解者が数人いるとは言え、世間の誤解にさらされた「孤独なヒーロー」で、今のように、仲間とのコメディ的なやりとりは無かった。まして「戦隊もの」のように仲間が大勢いて、協力して敵を倒すなどということは、例外的なことでしかなかった。ヒーローとは、基本的に「孤独」なものであり、他人からの称賛や理解を求めない、極めてストイックな存在だったのだ。
そして、男の子らしく、そういうヒーローに憧れていた私にとっては、アンは理解不能な、なんの魅力も感じられない、つまらなく「日常的」な女の子だったのである。
しかし、ヒーロー的な美意識を引きずったまま大人になった私には、この現実の世界はあまりにも薄汚れており、うんざりとさせられるものだった。
この世界に、大して明るい未来はないと思った。
だからといって、現実に妥協する気はなかったが、楽観的にもなれなかった。
だから私は、自分の好きなことをして好きに生きるために、結婚もしなかった。結婚すれば、きっと子供が欲しくなるだろう。子供を作れば、自分の好き放題に生きることはできず、子供のために自分を犠牲にするようになるだろう。しかし、そこまでして子供を育てても、その子供に与えてやれる未来が、そんなに明るいものだとは、私には思えなかったのだ。
だから、私は、自分のやりたいことをやりつつ、かつ、この薄暗い世の中に抵抗もし、この世への義理を果たした上で、この世とオサラバするつもりであったし、今もそう考えている。
私にすれば、こんな世界に子供を残していく親たちは、あまりにも無考えで、いっそ無責任としか思えなかった。自分の死んだ後は「野となれ山となれ」でいいとでも思っているのか、いや、きっと何も考えずに、今日の先に平凡な明日がずっと続いていくと思っているのだろう。そんな親たちによって、子供たちは、こんな地上に置去りにされていくのである。
一一そんな悲観的な世界観が、私にはある。
義理をはたす程度には、世界への抵抗を試みはするが、それで世界が何とかなるとは思わない。私は世界に期待などしていないのだ。
私は、そんな、いささか疲れた「大人の世界観」に生きている大人になっていた。
だから、マリラやマシューが惹かれたように、私はアンに惹かれたのであろう。
世界がいかに暗くても、それでも輝く希望としての「子供の生の力」を、アンは強力に発揮している。
昔の私なら、生の力に満ちていた頃の私なら、そんなアンを特に魅力的だとは思わなかっただろうが、いささか人生に疲れた今の私には、アンの迷いのない生の前向きな輝きは、それ自体が魅力のある、価値あるものだったのだ。
そして、そんな「子供の生の力」に満ち溢れ、それを持て余していてさえいたアンも、やがて成長し、自分のエネルギーをコントロールできるようになっていった。たしかに、マリラをはじめとした大人たちに学んだ部分があり、アンは、より良き人間へと成長していった。
同時に、マリラやマシューも、失っていた何か、忘れていた何かを、アンから教えられ、変わっていった。
高畑勲が前記の著作の中で指摘しているように、アンとマリラが象徴する「子供と大人」には、それぞれの正しさが存在し、どちらか一方が正しいということではないのだと、私も思う。だからこそ、アンは、子供のままのアンではなく、少しずつ成長し、大人へと変わっていったのだ。
しかしまた、老いたマリラにむかってアン自身が語ったように、変わったアンの中には、昔のままのアンが生きてもいる。変わらないままのアンが、ずっと生きているのである。
そしてたぶん、それはマリラやマシューだって同じことだったろう。
長らくその存在が見失われていたとは言え、マリラの中にも、マシューの中にも「子供」だった頃の彼らが生きていたはずであり、だからこそ、アンの呼びかけに、彼らの中の「子供」が共鳴して、彼らは「子供の生の力」を呼び覚まし得たのである。
どんなに疲れた大人の中にもある「子供の力」。それは、しばしば深い深い眠りの中にあって、二度と呼び起こすことのできないものであることも珍しくはないだろう。しかし、それは必ずあると、私は信じたい。
そして、それを呼び覚ますことが出来る人というのは、マシューがアンに言った「少しのロマンティックさ」を残した人なのだろうと思う。
この世界は、決してロマンチックなものではないけれども、その人がロマンチックさを失わないかぎり、この世界からもロマンチックさは、決して失われないのである。
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【補論】高畑勲と宮崎駿
高畑勲のエッセイ集『アニメーション、折りにふれて』のレビューでも触れたのだが、高畑勲は、宮崎駿の作品づくりの方法について、かなり批判的である。
高畑勲と宮崎駿と言えば、長年の盟友であり、苦楽を共にした戦友であり、お互いに最も理解者だというのが、一般的なイメージであって、事実その通りなのだろうと思う。
特に、宮崎駿の方は、高畑勲への敬愛の念を隠すことなく語るのだが、高畑勲の方は、もちろん宮崎駿を高く評価しながらも、かなり辛辣に聞こえる評価を語っている。高畑勲に言わせると、宮崎駿の作品の作り方は「主観主義」であり「部分主義」であり「建て増し主義」に過ぎるのだ。
高畑は、宮崎の代表作『千と千尋の神隠し』を主に念頭において、次のように語る。
宮崎駿の作品は、面白いシーンが串団子的に連ねられていくかたちで構成されており、鑑賞者は次々と繰り出される魅力的なシーンに引き摺り回されるようにして作品世界を経巡ったあげく、気がつけば物語が終わっているのである。
たしかにそれは「官能的」な体験であり、「面白い」には面白いに違いないのだが、しかし、そんな面白さにばかり耽溺していては、鑑賞者たちは、考えることを忘れ、現実に立ち向かうことを忘れた、スポイルされた人間になってしまうのではないか。一一そんな危惧が、高畑勲にはあるのである。
娯楽映画で結構。しかし、そこに止まるのではなく、さらに上を目指すのが、クリエーターのあるべき姿ではないのか。一一そういう「ストイックな理想主義」が高畑勲にはある。
考えて考えて、突き詰めて突き詰めて作品を作る。そんな「ストイックさ」が、高畑には確かにある。そんな高畑の代表作が、あの鬼気迫る傑作『火垂るの墓』だろう。
もちろん、高畑勲は単なる「イデオロギー」の作家ではない。彼が「面白い」作品を作ろうとしているのは間違いないのだが、ただし、彼の「面白い」とは、「通俗的」なそれではない。高畑勲の「理想」は高いのだ。
だから、高畑勲のそうした「理想主義」が、作品のエンターテインメント性とうまく噛み合ったときには、作品は「完璧なエンターテインメント作品」になるのだが、うまくいかないこともまた多々ある。作品とは、そう簡単に、作者の計算どおりには仕上がらないものなのだ。
ともあれ、そんな「理想主義」者で「ストイック」な高畑勲からすれば、宮崎駿の創作態度とは、いかにも「自慰的」であり「甘い」ものと感じられたであろう。
無論、高畑は宮崎駿の「才能」を誰よりも高く評価していたからこそ「もったいない」とも感じ「もっと高みを目指せるはずだ」とも考えて、宮崎駿を友情を持って、誰よりも叱咤し続けたのであろう。
また、それをひしひしと感じていたからこそ、宮崎駿は高畑から、いかに辛辣な評価をされようと、変わらぬ友情と敬愛の念を示し続けたのであろう。
つまり、私には、高畑勲と宮崎駿が、マリラとアンに見えるのである。
高畑勲は、そのストイックな美意識と理想主義を持って、何とか宮崎駿の溢れ出す才能を、より良き方向にコントロールできるようしてあげたいと願って叱咤し、宮崎駿は精一杯それに応えようとした。
必ずしもそれは、うまくいったわけではないのだけれど、二人の間には、そういう「マリラとアン」のような、強い愛情の絆があったのだと、私はそう考えるのだが、いかがだろうか。
初出:2019年12月16日「Amazonレビュー」
(2021年10月15日、管理者により削除)
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