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藤枝静男 『志賀直哉・ 天皇・ 中野重治』 : 〈文学者〉という イデオロギーの不可視性

書評:藤枝静男『志賀直哉・天皇・中野重治』(講談社文芸文庫)

端的に言って、私は志賀直哉が嫌いである。なにゆえに「嫌い」なのかは、当レビューの末尾に再録した、私の「志賀直哉論」に詳述してあるので、そちらを参照していただければ幸いなのだが、ごく簡単に言えば「自分さえ良ければ良いのか。文学者だと自己規定して、自己の美意識にさえ忠実であるならば、どんなに他人を踏みつけにしてもかまわないのか」ということになる。

志賀の場合は、なにしろ「天然」なので、自分が他人を踏みつけにしている事実に、充分に自覚的ではなかった、という問題もあろう。つまり、本書の表題作などでも語られている「なに不自由なく恵まれて育った坊々特有の、弱者に対する鈍感さと想像力の欠如」である。
私にはこの「無神経さ」が我慢ならないし、中野重治もその点において、志賀を批判せずには済まされ得なかったのであろう。

「天然」だからしかたがないと言ってしまえば、それでおしまいなのだが、そんな志賀を「小説の神様」だとか「魅力的な人物」だなどという、一面的評価で済ませておくわけにはいかないと、私や中野などは考える。
なぜなら、無自覚な志賀たちによって「踏みつけにされている人たち」の存在が、イヤでも目に入ってくるからで、楽しく小説さえ読んでいられればそれで満足だ、という人たちとは、否応なくその構えも違ってこざるを得ないのだ。

志賀は「批評家なんて無用の長物だ」と言ったが、無論それは、志賀のような人間にとってはそうだ、というだけの話であって、志賀の小説なんかよりも批評の方が面白いと、そちらに価値を見いだす人間も少なくない。そもそも、いまどき志賀直哉の小説を読む人、必要とする人が、いったいどれだけいるのかを、少しは考えてみれば良い。

志賀自身の「評価(価値観)」というのは、結局のところ「主観のみ」(という純粋主義)であり、そうした態度を「文学者」という「特権的立場」において、自身に無条件に許している。その傲慢さが、私には我慢ならない。
いったい何様のつもりだと言いたいわけだが、志賀という人は、そうした批判に、臆面もなく「文学者だ」と応えられるような、図太い人なのである。

志賀は、中野の批判にたいして、それが「ためになされるもの」のように言う。所謂「成心」をもってなされる批判だ、「主人持ち」の批判だ、というわけだ。
「成心」とか「主人持ち」などという、今となってはかえって物珍しい文学趣味のジャーゴンが持ち出されると、文学趣味の暇人たちは、ありがたがって平伏してしまいがちだが、要は「イデオロギー」による批判だという、よくある批判に過ぎない。
今どきのネット右翼が、自らの批判者を「パヨク」呼ばわりし、彼らの批判を「イデオロギーによる批判」だとして、無効化しようとするのと、本質的には大差のない話なのだ。

徳永直も、志賀宛の書簡の中で、中野を擁護して書いているように、中野の場合、「イデオロギーから主張が引き出された」のではなく「中野の世界観が、弱者の側に立つという左翼イデオロギーと共振した」にすぎない。言わば「主人」は中野の方であり、イデオロギーは「道具」にすぎないのだ。

それに、中野の批判を「イデオロギーに発するものでしかない」と蔑むのであれば、志賀の主張もまた、所詮は「文学者イデオロギー」という、きわめて狭い、独善的価値観に発するものに過ぎないではないか。だからこそ、志賀は、自身の美意識を守るためなら、弱者を踏みつけにしても平気なのだ。

そして、その「恵まれ守られた貴族主義」によって、彼は屈託を知らない、屈折を持たずに済んだ「魅力的な人間」になりおおせたのである。

「魅力的な人間」であることは、なるほど大きな価値ではあろう。しかし、その「魅力」とは、しばしば多くの犠牲者の上に成立ったものであり、他人の生き血を吸っての魅力かも知れないのだということを、呑気な文学読者も、すこしは考えてみるべきであろう。

表題作において、著者の藤枝静男は、敬愛する二人の作家をともに肯定するけれども、それもまた「文学者イデオロギー」に発する「美的変容操作」よるものであり、結局は自己中心的なもの(自己慰撫的な矛盾の解消)でしかなく、批評的には不徹底なものでしかないと評価せざるを得ない。これでは、「批評」ではなく「信者のラブレター」でしかないのだ。

要するに、志賀風に言えば「ダメなものはダメ」なのである。

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(※ 下にご紹介するのは、志賀直哉の諸作に対するAmazonレビューとして、2020年4月1日にアップしたものの、再録です)

  天然小説家の〈作為嫌悪〉:志賀直哉論

志賀直哉という小説家に対する評価は、大きく二分されがちである。褒める人は「小説の神様」だなどと盛大に持ち上げるし、貶す人は「独り善がりのクソ野郎による、退屈な写生文学」だなどと罵倒する。
天地ほどの違いと言えるかもしれないが、しかし、どちらの評価も誤りではない。志賀直哉という小説家あるいはその人の「美点と難点」、そのどちらか一方にこだわって、その一方だけを強調しているにすぎないなのである。
だから、志賀直哉という小説家あるいはその人を評価するのであれば、この極端に分かれた評価を総合するような、志賀直哉の本質を語らなくてはならないだろう。それは、思うほど難しいことではない。

まず、志賀直哉の難点について。
志賀直哉という人が、客観的に見て「独り善がり=独善家」であるというのは、例えば、短編集『小説の神様・城崎にて』に収められている、自身の「不倫」を扱った一連の作品(「些事」「山科の記憶」「痴情」「晩秋」)を読めば明らかだろう。
主人公は作者の実名ではないし、細かいところには創作もあろうが、主人公の考え方は、志賀直哉のそれそのままと考えていい。なぜなら、志賀直哉という作家は「実感」をこそ重視して、「作為」による「作り事」を嫌い、そうしたものは「文学として下品」だと考えているからである。

ともあれ、志賀は、この「不倫連作」で、自己の「不倫」を正当化している。端的に言ってしまえば「好きになってしまったものは仕方がないじゃないか」「男とはこういうものだ」「それがわからずにぐずぐず言って、よけいに俺の嫌悪をかきたてる妻の方が愚かなのだ」といった調子なのだ。
たしかに「好きになってしまったものは仕方がない」とは言えるだろう。しかしそれは、当の本人が臆面もなく、威張りながら言うべきことではない。また「男とはこういうものだ」というのも、当の男である当人が、開きなおって言うことでもない。「それがわからずにぐずぐず言って、よけいに俺の嫌悪をかきたてる妻の方が愚かなのだ」と言うにいたっては、まさに「責任転嫁」であり「甘え」でしかない。

要は、志賀直哉の思考や言葉は、すべて「主観視点」なのである。「自分から見た場合の、一方的な評価」なのだ。つまり、そこには「客観性」というものが無い。「他者への思いやり=想像力」というものが皆無なのだ。「主観的にそうであっても、客観的にはそれは通らないだろう」という「反省」が、もののみごとに無いのである。

無論、志賀直哉が生きた「明治から昭和中期」にかけての時代には、まだ日本の社会には「男尊女卑」が生きていた。「女は、男の後を三歩さがって歩け」というようなことが言われていた。要は「女は男を立てるべき」「女は陰で男を支える存在であるべき」「女は控え目であるべき」といったことが「当たり前」と考えられており、そうしたことが女性の「美徳」とさえ考えられていたので、志賀直哉もまた、それを「当たり前」で「自然」なものだと思っていたのである。

当然、志賀直哉は「男女平等」などということは、「理屈」であり「作為」であり「不自然」だと考えていた。なるほど開明的で「立派そうな言い分」ではあるが、それは「人間の自然な姿ではない」と感じていた。
ましてや、「女権尊重主義」ですらない、今どきの「フェミニズム」など、志賀直哉は知る由もなく、想像すら不可能であった。そもそも志賀は、「哲学」書や「評論」書が嫌いだから、ろくに読んでもいない。

つまり志賀直哉は、こういう「時代的制約をこうむった自然主義」に立っていたからこそ、みずからの「不倫」を少しも「反省」することをしなかったのだ。彼にとっては「反省」とは、「小賢しい作為」であり「反自然」であり、結局のところは「不誠実な虚偽=嘘」でしかないと感じられたから、彼は意地でも自身の「主観に固執」したのである。

で、こういう人のこういう小説を、現代の私たちが読まされれば「独り善がりのクソ野郎」だと腹を立てたり「どうして自分を顧みることが出来ないのか。あまりにも主観的で、頭が悪すぎる」と感じるのも当然なのだ。
現代の私たちの「常識的理性」からすれば、志賀直哉の「主観主義という自然主義」は、結局のところ、社会的に温存されていた「独善」でしかなく、いっそ自堕落な「自己肯定=ナルシシズム」でしかないと評価するしかないからである。

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次は、志賀直哉の美点である。
志賀直哉を「小説の神様」と褒める人がいる。何故か。

志賀直哉の「小説」への高い評価は、もっぱらその「簡潔清澄な文体」に拠っている。つまり「小説とは文体である」といった、日本文学に伝統的な「文体」重視論によって、志賀は「小説の神様」とまで呼ばれている。無論、この言葉は、志賀の傑作短編「小僧の神様」に引っ掛けて作られた「キャッチコピー」みたいなものなのだが、面白い言葉というのは、その含意に関係なく、えてして独り歩きしてしまうものなのだ。

たしかに志賀の「文体」はすばらしい。その「簡潔清澄」な文体は、まさに日本人好みである。こんな文章が書ければと憧れる人が少なくないのも当然だ。人間誰しも、ぐずぐずと細かい説明を重ね連ねる苦労などしたくはない。簡潔な言葉で、その意図するところを表現できれば、それに越したことはない。書く方も読む方も楽ちんで助かるからだ。
しかし、「小説=文学」というものは、「楽」ができれば良いというものではない。

新潮文庫版『暗夜行路』の解説「志賀直哉の生活と芸術」で、阿川弘之が次のようなエピソードを紹介している。

『 大正の初年、志賀直哉が未だ三十一、二歳の頃、夏目漱石の門下で直哉の資質を大変高く評価している人が二人あった。一人が和辻哲郎、もう一人は芥川龍之介、その話から始めようと思う。
 芥川がある時に、
「志賀さんの文章みたいなのは、書きたくても書けない。どうしたらああいう文章を書けるんでしょうね」
 と、師の漱石に訊ねた。
「文章を書こうと思わずに、思うまま書くからああいう風に書けるんだろう。俺もああいうのは書けない」
 漱石はそう答えたという。』

和辻哲郎と芥川龍之介が、志賀直哉の「文体」に惹かれていたというのは、とてもわかりやすい。和辻は「日本的なるもの」に惹かれていた人だし、芥川は「知性」の作家であり、否応なく「作為の作家」であったから、志賀の「天然」に憧れたのだろう。

しかし、ここで注意しなければならないのは、夏目漱石の志賀評である。漱石は、ここで志賀の「文体」を論じているが、決して褒めているわけではなく、その特質を語っているにすぎないのだ。
漱石もまた「知性」の人である。あれこれ考えて思い悩む人である。だから、芥川と同様に、志賀の「天然=自然=能天気」ぶりに憧れる気持ちはあっただろうが、しかし、そんなものになりたいとは思わなかったであろう。漱石は決して、現状をそのまま肯定する態の「自然」主義の人ではなく、むしろ反対の立場だったからだ。
もちろん、その漱石も、あれこれ悩んだあげく、晩年には「則天去私」の「自然」的境地を理想としたのだけれど、それは志賀のような「能天気な自己肯定」とは対極にある、「反・私」的なものだった。

つまり、志賀の「簡潔清澄な文体」には、「中身が無い」のだ。中身が無いから「簡潔清澄」なのである。ある意味では「恍惚の人=天然脳軟化症の人」であり、それに憧れを持つ人もいるにはいるが、それは漱石や芥川のように、考えることに疲れた人や、生きるのに疲れた人の、ある種の「現実逃避」でしかないのである。要は「俺も、あれくらい頭が悪ければ、幸せに生きられただろうに」ということでしかないのである。

じっさい、「小説=文学」の観点からしても、志賀直哉の「文体」というのは、必ずしも理想的なものではなかった。
例えば、丸谷才一は『文学のレッスン』で、次のように語っている。

『 志賀直哉はスケッチ的短篇小説を書かせるとすばらしい。「焚火」とか「城之崎にて」とか、あれははっきりいってスケッチです。それから、「十一月三日午後のこと」なんかも。スケッチは脱帽するくらいうまいものだけれど、『暗夜行路』となると本当に質が低くなる。「偉大な日本の小説」とはいえないですよ。』

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端的に言えば、志賀直哉の小説には「思考の強度が皆無」だから、長編には不向きなのである。
志賀の優れた短編は、丸谷の言うとおり、おおむね「スケッチ」的な作品であり「作為(作り物)としての小説」ではない。「写生」なのだ。それは「色紙にさらりと描いたスケッチ」のようなものであり、その1枚を床の間に飾って鑑賞する分には、とても趣きがあって魅力的だ。
しかし、そうした色紙を百枚集めて、びっしりと貼り並べて鑑賞した場合、それは百倍の魅力を発するだろうか。無論、そんなことはない。ただ、雑然としてうるさくなり、個々の「淡白な魅力」は、その「物量」の中に埋没して打ち消し合い、何の魅力も持たない「雑多な塊」と化してしまうのである。
同じことを、別の喩えで説明しておこう。短歌や俳句などを書籍にする場合、1頁につき、せいぜい4つほどしか載せないのはなぜか。理由は同じである。そんな余白ばかりではもったいないからと、改行もなく頁いっぱいに作品を詰め込んで印刷したとしたら、文学に馴染みのない若者は「お得だ」と思うかもしれないが、普通の読者は興ざめするばかりだろう。そんなものでは、とうてい「鑑賞」できないからである。

つまり、長編『暗夜行路』とは、読むに堪えない「淡彩画の寄せ集め」でしかないから、どうしようもなく「退屈」なのである。
そこには全編をつらぬく「背骨」としての「思想」や「テーマ」といった「作為」が無く、つねに「その場かぎりの主観」の「写生」が、統率(という作為)もなく、並べられているだけなのである。
この長編の魅力とは、せいぜい志賀直哉という人を知るための「参考資料」になる、といった程度のことで、「小説」としては「結構を欠いた、だらしない凡作」に過ぎない。

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それにしても、志賀直哉の「文学観」は、どうしてこうも「自堕落な自然主義」になってしまったのだろうか。
どうして「作為」を嫌い、「作り込まれた小説」を「下作」であると感じたりするのだろうか。どうして「創作」の面白さが分からないのだろうか。

それは、彼が「子供の無邪気な純粋さを愛し、自身子供たらんとした人」であったからだ。

志賀直哉のデビュー前短編「菜の花と少女」はほとんど「童話」であるし、志賀直哉という「私小説作家」のイメージとは関係ないところで高く評価される「清兵衛と瓢箪」や「小僧の神様」といった作品も、ほとんど「童話」であって、作者の子供に対する視線はとても温かい。
これ等の作品は、「私小説」ではなく、完全な「作り物(フィクション)」で、その意味で「作為=反自然」なのだが、「小説」としては成功している。それは、志賀の文学観に反しているにもかかわらず成功しているのだが、それはなぜか。
一一無論、そこには志賀直哉の「子供の無邪気な純粋さ」への「憧れ」が、まっすぐに反映されているからであり、その意味では「作り物(フィクション)」ではあっても、「作為」で作られたものではなかったからである。

志賀直哉の「子供の無邪気な純粋さへの憧れ」というものは、例えば「児を盗む話」のような「フィクション」作品だけではなく、「私小説」においてもハッキリとその魅力を発している。
志賀が子供を描いた作品は、多かれ少なかれ子供に好意的であり、ましてやその晩年に、自身の子を描いた諸作は「親バカな程の愛情に溢れた作品」となっていて、その描写は読者を微笑まさずにはおかない。

つまり、すでに指摘したとおり、志賀は「無邪気・純粋」ということに憧れており、「大人」になることを「作為に汚されること、不純になること」だと感じているから、「大人になることを拒絶」しているのである。

「大人になることを拒絶」して「子供のままでいようとする」から、彼は「我が儘」であり「独善的」であり「他者を思いやらない」。「子供」は、自己中心的であり、他者になど配慮しないからこそ「無邪気・純粋」なのだ。
変に他者のことを勘ぐって、あれこれ策を弄したりしない。つまり、そこには「作為」が無い。ただ「自然」に自分の「主観世界」を生きているからこそ、「子供」は「無邪気・純粋」なのだ。
そして「ソウイウモノニ ワタシハナリタイ」と願った結果が、彼の「反・作為」の「自然主義」であり「写生的文体」であり「独り善がりのクソ野郎」ぶりなのである。

志賀直哉は、「無邪気・純粋」であろうとして「思考=作為」を放棄した。つまり「考えない」のである。考えることは、作為であり、不純であり、偽物だから、そんなものは「文学=芸術」ではないので、俺はそんなものにかかずらわない、というのが「志賀直哉の論理」である。

実際「考えたって、本当のことは分からないし、ろくな結果にはならない」という「志賀直哉の断念」は、「范の犯罪」や「剃刀」といった「作為的・名短編」によく表れている。
ナイフ投げの芸人の范が、その技によって、舞台の上で妻を殺してしまった際、そこに「殺意」があったのか無かった(事故な)のか。そんなことは、いくら考えても答の出るものではない。なぜなら、そこでは「無意識」が問題となってくるからで、殺意があったと言えばあったし、無かったと言えば無かったとも言え、どちらか一方に決めることなどできないからだ。つまり、事実は「それそのまま」であって、その奥の「真相・真実」などというものは無く、それを見た気がしたとすれば、それは「作為的な幻想」にすぎない。私たちがやれるのは「事実」を事実として認めることだけであって、真相を探ろうとすれば、どこかで「無理」という「不純物」が紛れ込まずにはいないのだ。一一これが、志賀の「自然主義」なのである。
「剃刀」についても同様で、「毛ぞりの技術に自負を持つ、完璧主義の床屋が、体調不良にも関わらず完璧な仕事をしようとして無理をする。そのあげくに犯した小さな失敗に絶望して、すべてをぶち壊してしまう」という小説なのだが、これは「考えすぎて悩んだあげく、自殺してしまう小説家」の話だと読んでもいいだろう。志賀直哉の目には「芥川龍之介の死」は、このような「愚行」として映っていたにちがいない。だから、志賀は「下手の考え休むに似たり」と、「考える」などという「作為」を拒絶するのだ。

当然、「考えない志賀直哉=疑似子供としての志賀直哉」には、「説明」ということができないし、その必要も感じない。「説明」とは、たいがいは「他者への説明」であるし「他者に理解を求める」行為だが、それは如何にも「不純」である。「言い訳がましい」し、もとより「作為」であるから好ましくない。

したがって、志賀直哉には「自覚された思想や思考が無い」。あれやこれやを貫く「観念の背骨」が無い。そんなものは「不純」だから必要ないと思っているのだが、だからこそ彼は、人間的には「独り善がりのクソ野郎」でしかないし、「長編小説」が書けない。
志賀直哉には、ドストエフスキーのような「壮大かつ深い小説」は絶対書けない。同様に、志賀の対極的小説家である大西巨人の『神聖喜劇』のような小説を書くことはできない。志賀なら「そんなもの書きたくない」と言うだろうが、それは志賀が「子供」でしかなく、「大人」の小説を理解し得ないからでしかないのだ。

「大人になる」ということは、「世界を広げる」ということであり、それは「他者の世界をも取り込むことで成長する」ということである。
たしかに「他者の世界を取り込む」ということは、志賀の言うとおり「他者に染まる」ということであり「不純」ではあろう。しかし、自身に取り込まれた「他者」は、いつまでも「他者」のままでありつづけるわけではないし、そんなことは不可能だ。
つまり「取り込まれた他者は、適切に消化されるならば、私の血となり肉となって私を再構成し、その結果、私は、前とはまた違った、ひと回り大きな、純粋な私に成長している」ものなのである。それが「成長」なのだ。

志賀直哉の根底にあるのは「無邪気・純粋」への憧れであり、それ自体は悪いことではないようだが、志賀の場合、それが病的な「成長拒否」となっており、だからこそ自己を適切に「拡張」できず、したがって「他者」を思いやることができない。夫の不倫に苦しむ、妻を思いやることもできないのだ。
一方、志賀の微笑ましい「子供好き」は、所詮「ナルシシズム」の域を出ない。志賀の描く子供は「純粋な私(自身)」の反映でしかないのである。だから、志賀は徹頭徹尾「小さな私のことしか書かない」し「書けない」作家なのである。

「思いやりの欠如」とは「想像力の欠如」である。つまり、志賀直哉には、想像力が無い。だからこそ、外面的「描写」が冴えるのである。余計のことは考えずに、見たものを「写生」する。
しかし、むろんそれは「客観的な描写」などではない。彼は、その「本物の自然」という「混沌」を、自分好みに「純化」する。「不純なもの=余計なもの」を「排除」して純化するからこそ、彼の描く世界は「簡潔清澄」なのである。

したがって、志賀直哉は「小説の神様」などではなく、「神様小僧」でしかない。
それを「微笑ましい」と評価するか「グロテスク」だと評価するかは、もとより「読者の好み」の問題でしかないのである。 

初出:2020年11月9日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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【補記】(2020.05.01)

中村光夫『志賀直哉論』(1954年初刊、1966年「筑摩叢書」、1983年「近代作家研究叢書」)の、amazonレビュー「美しき幻影への〈弔辞〉」を書きました。ご参照いただければ幸いです。

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