書評:宮村優子『声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ(明日から五十路)』(KADOKAWA)
「みやむー」の愛称で知られる人気声優・宮村優子が、50歳を迎えるにあたって企画刊行した対談集である。
対談の相手は、以下の6人。
これに、「宮村優子へのインタビュー」と「庵野秀明特別寄稿」が付録する。
本書は、コロナ禍で、直接人と会ってゆっくりと話す機会がなかなか持てないという悩みから「50歳を迎えるにあたっての記念企画として、会いたいと思っていた人たちとじっくり話す機会を作ろう」ということから出てきた企画である。
個人的なことを言えば、私は「宮村優子」という声優には、特に興味はなかった。
宮村が、というよりも、私より年下の声優にはあまり馴染みがなく、したがって興味も持たなかった、ということだ。
これまでにも何度となく書いてきたことだが、私が「現役のアニメファン」だったのは、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)から『超時空要塞マクロス』(1982年)まで。
それこそ、日本初のテレビアニメーションシリーズである『鉄腕アトム』(1963年)の時代から、ずっとアニメを視つづけてきたのだが、自覚的に「アニメファン」になったのは『宇宙戦艦ヤマト』ブームからで、最後が『超時空要塞マクロス』なのは、この作品が「嫌い」だったからだ。
何が「嫌い」だったかというと、要は「アイドルとメカ」という、いかにも「オタク」なノリが、「正統派のアニメファン」を自認する者としては我慢ならず、「時代は変わった」と、そう思ったのだ。
また、おおむね、その頃に就職したので、自由になる時間がグッと減ったため、余暇は「読書」に費やすことにし、意識的にアニメファンを「卒業」したのである。
したがって、私が「声優」にも詳しかったのは『マクロス』の時代までで、そこから『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)までは、十数年のタイムラグがあり、声優の面子も大幅に変わっていたから、『マクロス』以降の声優にまで、新たに興味を持つことはなかった、というわけである。
ちなみに、私のアニメファン時代におけるアニメ声優の「(男の)御三家」と言えば「富山敬・神谷明・森功至」という感じで、では、「女性声優の御三家」は、というと思いつかない。
たぶん、その頃までは(少数例外を除いて)「男児向けアニメの男性主人公」が当たり前の時代だったから、女性声優の「御三家」などという発想がなかったのだろう。
とは言え、あえて「メインの女性キャラ(ヒロイン)」を演じていた女性声優といえば、思い出すのは、吉田理保子や杉山佳寿子といったところだろうか。
「男児」役の女性声優としては、野沢雅子や小原乃梨子、藤田淑子といった人たちが長らく活躍していたが、どちらかというとシリアスな活劇が好きだった私は、そうした名優たちのことは知っていても、特に好きとか嫌いとかいうことはなかったし、今の女性声優のようにアイドル扱いにすることもなかった。
端的に言って、当時の声優というのは、一般人に比べても特に「美男美女」というわけでもなく、そうだと、かえって例外的存在として、妙に目立ったりもしたくらいだったと記憶する。
そんなわけで、『新世紀エヴァンゲリオン』によって、同時代のアニメにも多少は興味を持つようになった私だとは言え、それとてあくまでも「作品本位」であって、声優にまでは興味がなかった。
したがって、宮村優子についても、名前くらいは知っているし、『新世紀エヴァンゲリオン』で人気が爆発して、アイドル的な活動までしている「イマドキの声優」であるという認識くらいまでならあった。
また、ある時期には「ちょっと変わった人」だという噂も耳にしたし、アンチがいることも、なんとなく知っていた。人気が出れば、アンチが出てくるというのも「時代の趨勢」だし、アンチの声が聞こえてくるのは、時代がすでに「ネット社会」に移行していたからだろう。私が現役のアニメファンだった頃は、まだ「インターネット」の時代ではなかったのである。
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しかし、そんな、さして興味のなかった宮村優子の「対談集」なんてものを、なぜわざわざ買ったのかというと、それは今年(2023年)劇場公開された映画『シン・仮面ライダー』(庵野秀明監督)とのからみで、「もしかすると、参考になる情報があるかも」と直感したからである。
すでに『シン・仮面ライダー』についてはレビューを書き、作品自体の評価については決着がついているものの、それでも気になったのは、映画公開後しばらくしてから始まった「庵野秀明バッシング」だった。
きっかけは映画公開後に、NHKがテレビ放送した番組『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』(2023年) だった。
この番組では、同映画の制作現場における、庵野秀明監督の「気難しく」「スタッフへの情け容赦のない要求」といった側面が強調されていて、それが「時代にそぐわない」「パワハラではないか」といった声が、ネットを中心に湧き上がったのである。
また、こうした「声」が、ネット記事として面白おかしく採り上げられ拡散されたのは、ひとつには『シン・ゴジラ』(2016年)『シン・ウルトラマン』(2022年)という「シン」シリーズ特撮映画で、大ヒットを飛ばしてきた庵野秀明の新作映画として、当然のごとくの大ヒットを期待されていたにもかかわらず、『シン・仮面ライダー』は、あきらかに前2作ほどの盛り上がりに欠け、観客動員数が伸び悩んだからであろう。
つまり、先のドキュメンタリー番組をきっかけとして、「成功者がつまづくと、途端にバッシングが始まる」という、例のパターンが発動したのである。
これについても、私は庵野秀明を擁護するレビューをすでに書いているから、特にそれに付け加えることはないのだが、しかし、私が気になったのは、問題とされた『シン・仮面ライダー』の制作現場での「庵野監督が生み出す重苦しい空気」というのは「今に始まったことなのか?」ということであった。
私の感じからすれば、庵野秀明という人は「もともとそういう人」であったはずで、それは『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』(2021年)に取材したNHKのドキュメンタリー番組『さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日』(2021年)を視ても「同じだった」という印象があったからである。
つまり、庵野秀明は、少なくとも『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』と『シン・仮面ライダー』の両作で、同じような「気難しさ」を持って制作にあたっていたはずなのだ。
ということは、『シン・ゴジラ』だって、基本的には似たようなものであったろう(『シン・ウルトラマン』は、樋口真嗣が監督を務めたので、事情は少し違っていたかもしれない)。
ならば、大ヒットした『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』『シン・ゴジラ』では、猫も杓子も「さすが、庵野監督!」「庵野監督、天才!」などという声しか聞こえてこなかったのに、『シン・仮面ライダー』が興行的に少しつまづいた途端に「パワハラ疑惑」が出てくるのというは、ちょっとおかしな話ではないか。
それが「パワハラ」であり「許されない行為」だというのであれば、どうして『シン・エヴァンゲリオン劇場版Ⅱ』『シン・ゴジラ』の時には、同じ批判をしなかったのか。
「結局おまえらは、成功者にはすり寄って、人がつまづいた途端に、ザマアミロとバッシングを始めるような、ゲス野郎なんだということだろう」と、私は言いたかったのである。
実際、庵野秀明に関する、こうした「手の平返し」は、過去にも見てきた光景で、その時にも私は「同人誌」に、そうしたものを批判する文章を書いた。
無論、そんなことで何がどうなるわけでもないことくらいはわかっていたが、だからと言って黙っていられないのが、昔も今も変わらない、私の性分なのである。
私のことはさておき、その「過去の光景」とは、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の 最終2話に関わる騒動である。
当時、『新世紀エヴァンゲリオン』は、まだまだ一般には知られていなかったものの、オタクやマニアには、熱狂的に支持されていた作品であった。
だが、庵野秀明は、そうした「オタクのノリ」に、だんだん違和感を覚えるようになったようで、最後は、その期待をわざわざ裏切るような「所詮、この作品は、紙に描かれた作り物なんだよ」という、ファンを突き放すような「メタ・メッセージ」を込めた、言うなれば、それまでの「作品」をぶん投げるような、そんな意地の悪い(批評的な)ラストをつけてしまったのだ。
当然オタクたちは、この仕打ちに激怒して「庵野秀明バッシング」が始まり、一時期、庵野はノイローゼになって自殺すら考えるところまで行った、というようなことがあったのである。
だが、前述したとおり、もともと「オタク」的なノリが嫌いであった私は、このテレビシリーズの「最終2話」を、ことのほか高く評価した。
もともと「体制(大勢)批判的に批評的」なものが好きであり、「メタ」構成が好きな私だから、それもごく自然な反応だったわけだが、それだけにバッシングを受けた庵野秀明には同情し、彼を擁護しないではいられなかったのである。
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では、今回、本書『声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ』に、何を期待したのか。
それは、『シン・ゴジラ』以前の庵野秀明、テレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』の頃の庵野秀明はどうだったのかということであり、本書に登場する、それぞれ『新世紀エヴァンゲリオン』で、アスカ、シンジ、レイを演じた、宮村優子、緒方恵美、林原めぐみの3人ならば、そのあたりのことも語ってくれているのではないか、と期待したのである。
一一そして、この期待は、ドンピシャリと当たっていた。
見てのとおりで、『シン・仮面ライダー』をめぐる「出演俳優たちの証言」と重なる部分が、数多く見られる。
例えば『『シン・エヴァ』は、みんなバラバラに呼ばれて録ったから全貌がわからなかったよね。しかも順撮りでもなかったから、どんなふうになるか、たぶん我々声優たちは誰ひとりとしてわかってなかったんじゃないかなあ。』という、緒方恵美の証言は、『シン・仮面ライダー』に出演した俳優陣の、公開にあたってのコメントで目にしたものと、まったく同じである。曰く「私自身、まだ、どのように仕上がっているのか知りません」。
あるいは『15テイク録ったりすることもあって、しかも「OK」と言われたからってその15テイク目が使われているとは限らない(笑)』というのは、くだんのドキュメンタリー番組の中で紹介されていた撮影風景のところで、さんざテイクが重ねられたあと、監督が「OK」を出していたはずのカットが、完成した映画には無かったと、私たち自身が気づかされたところでもある。
また、宮村優子の『アフレコ時にこういうふうにやってみてとおっしゃるけれど、その注文通りやることを庵野さんはあまり望んでないように思います。』という証言からわかるのは、『シン・仮面ライダー』では、さらに進んで、そんな「指示」さえ、ろくに出さなかったとはいえ、いずれにしろ「これまでどおり」とか「言われたまま」の演技では「ダメだ」と、庵野が以前からそう考えていたことも、ここからは窺える。
つまり、こうした演出姿勢は、少なくとも『シン・エヴァ』の頃にはすでに在ったというのがわかるし、その意味で、何も『シン・仮面ライダー』に始まったことではない、ということなのだ。
要は、庵野は「(俳優の)当たり前の(演技の)向こう」にある「一期一会のリアル」を求め続けている演出家、だということなのである。
ここもそうだ。
林原めぐみの『『エヴァ』の放送前は、そこそこの設定はあったとはいえ、庵野さんはライブ感覚でキャラを作るという斬新な手法を考えていて、役者から何かを感じ取りながら、すくい上げながらやりたいって言っていたよね。結局、私たち声優の個性が役に投影されたよね。』という証言からは、庵野秀明が『シン・仮面ライダー』でも、役者やスタッフ(例えば、アクション監督らのアクションスタッフ)に、同じことを要求していたにすぎない、というのがわかる。
「ルーチン」や「指示どおりの仕事」をするのではなく、「自分の持っている、自分にしか出せないものを、極限まで絞り出してみせろ。それが、作品に貢献するということだ」といったようなスタンスだ。
また、林原の『山さんも「ちっちゃーよ声」とか言っていたんだよね(笑)。私は「そういうふうにやれって言われてるの!」と反論していたけれど(笑)。(中略)私も「本当にいいのかな」と思いながらやっていて、でも「もっと抑えて、もっと抑えて」の連続だったからね。』という証言からは、庵野が「アニメの演技の常識」に挑戦していたというのがわかるし、そんな「非常識な要求」をされた声優たちも、よく言えば「戸惑った」、悪く言えば「内心では反発もあり、ストレスも抱えていた」というのがわかる。
こうしたことがあったから、林原や、ベテランの山寺宏一ですら、「息抜き」になる「ペンペン役」に、自らすすんで立候補したのである。
当然、この時の「音声収録の現場」は『テレビシリーズ放映時、声優たちはみんな疲弊していたよね。』(林原)、『当時はまだフィルムをかけてアフレコしていた時代だったからスタジオのなかが暗かったというのもあってよけいに暗い感じで……。台本ができていない回のときにスタジオに行くと、みんながずーんっと下を向いて待っていた……。』(宮村)、『そう、台本がなかなかできないし、内容が暗くなっていくしで、みんなうつむいていることが多かった(笑)。』(林原)ということになった。
つまり、「現場」が暗くてストレスフルだったのは、何も『シン・仮面ライダー』に始まったことではなく、「四半世紀(25年)以上も前」のテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』からして、そうだったのだ。
だから、『シン・仮面ライダー』に出演していた俳優たちが、本気で庵野秀明のファンであったと言うのなら、「こんな現場だとは思わなかった」という感想は、ちょっと「違う」とも言える。
無論、これは『シン・仮面ライダー』の出演俳優やスタッフだけの話ではなく、庵野のこうした「創作姿勢」をまったく理解していなかった「にわかファン」とて同じ、だということである。
庵野秀明が、「万能の天才」ではないというのは当然としても、それでも彼が、クリエーターとして「非凡」たり得たのは、これほどまでストイックに「創作に対する厳しさ」を「貫いてきた」からだということを、少しは感じ取ってしかるべきだった。
ただ「天才!天才!」と「無内容に絶賛し、褒めそやす」のではなく、そのクリエーターとしての「葛藤と苦闘」に、少しは思いをいたすべきであったし、それはテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』をめぐる騒動を多少とも知っておれば、容易に想像のつくことだったのである。
しかし、そうした面に「まったく気づかない」というのは、ある意味では「時代の趨勢」だったのでもあろう。
林原と宮村の間で交わされる、次のような「俳優の世界での変化」も、結局は同じことだ。
要は「人と人とが率直に、全力でぶつかり合う」ような「創作の現場」ではなくなってきている、という現実である。
NHKの『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』を視て、庵野について「時代にそぐわない」とか「パワハラではないか」と言った人たちというのは、まさに林原の言う『学校にしろ養成所にしろ、褒めることが推奨されている』という、そんな「時代の子」、それが「正義」だと信じて疑うことを知らない人たちであり、宮村が『年々、生徒さんたちの教わる態度が変わってきていると感じています。昔は明確に問題点を指摘していましたが、じょじょに優しい言い方にシフトしています。』という場合の「変わってしまった世代の人たち」であって、彼ら彼女たちは『優しい言い方』で教えてもらうこと、言い換えれば、指導者は「猫なで声」で指導するのが「当然」だ、と思っている人たちである。
そして、これを私にも関わる「批評」の世界に当てはめると、「批評も、基本的には、良いところを指摘するものであり、作家の成長を促すものであるべきだ。作者を傷つけるような、批判は慎むべきである」といったようなことであり、ほとんど、そんな「時代」になってきている、というのと同じ話だと言えるだろう。
要は「駄作を駄作と言ってはいけない」のであり「下手くそを下手くそと言ってはいけない」。言い換えれば「客観的な評価を、そのまま口にしてはいけない」一一そんな時代なのである。
いつまでも「幼稚な人たち」は、「優しく教えてくれる人」が「良い教師」だと、単純に考えていることだろう。
テレビなどからも、そういう意見しか聞こえてこないし、「熱血」が過ぎて「暴力」に走った者が、謝罪だけでは済まされず、犯罪者として現に社会的地位まで奪われているではないか、というわけである。
だから、無難に「優しく教えてくれる人」が「良い教師」なのだ、と。
だが、「無難にやれること」には、同時に、それゆえの「限界」がつきまとって、「限界突破」など望むべくもない、という「当たり前」なことにも、彼らは思い及ばない。それほどまでに幼稚で、愚鈍なのである。
もちろん「刑法上の暴力」は「犯罪」である。
だが、「言葉の暴力」においては、「犯罪と非犯罪」の「線引き」など、原理的に不可能だというのは、少し物を考える人間には、わかりきった話でしかない。
だから、「保身を第一に考える人」は、「成果」を求めずに「楽しくやればいいじゃないか」という線で「妥協する」のだが、では同じように、「作家(クリエーター)」が「作品が駄作になっても、みんなで楽しく作れれば、それでいいじゃないか」ということで、本当に良いのか?
無論、そんなものは間違いに決まっている。
「クリエーター(作家)」に求められるのは、まず第一に「良い作品を作ること」であるというのは、その「作家」という肩書きにも明らかだろう。
その上で、可能なかぎり「無用のストレス的状況」を避ける努力をしなければならない、のである。
しかし、そんなことくらい、たいがいの者は、言われなくてもわかっている。
わかってはいるが、当然のことながら、そんな「理想は理想」であって、現実には「二兎を追うもの一兎を得ず」になりがちだからこそ、まずは当たり前に第一目的である「良い作品を作ること」に軸足をおく結果、十分に「仲良く楽しい制作環境」を確保することが困難になったりもするのだ。
そして「集団での仕事」の現場では、こうしたことは、言わば、当たり前の「ジレンマ」であって、それに対し「言葉の暴力、反対!」と、そんな幼稚な「正論」を振りかざすだけの人というのは、結局のところ、「無責任」でしかないのである。
自分は「何も作らない」し「みんなとの仕事に、積極的に貢献する気もない」。つまり、一切「リスクを負わない」から、そんな「お客様扱い」が「当然」だと思える。
林原が『そのときの宮村の言動は、私としては気にならないけれど、他の人が見て「あの子、何?」と思われてしまう危険性があると感じて注意したのだと思う。とはいえ、もう二度と会わない子だったら、もしかしたら何も言ってなかったかもしれないけれど、事務所の後輩だからあえて言ったのだろうと。』と言っているように、「厳しい言葉(批判・注意・警告)」というのは、言わないで済ませられるなら、誰だって言いたくはないもの。
だが、「今ここで私が言わなければ、きっと好ましくない事態になる」と思うからこそ、人から『「何この人、怖……」』と嫌われるのも覚悟の上で、あえてそれを口にする場合だってあるのだという事実を、「責任ある大人」なのであれば、考えるべきなのだ。
そしてそれが、即座には受け入れがたい言葉であったとしても、その言葉が「何を意図して」発せられたものなのかを、自分なりに咀嚼し、受け入れるべきは苦しくとも受け入れるのが「大人」であり、大人になれる人間なのである。
したがって、庵野秀明がどうして「あんなかたちで、あそこまで要求するのか」を、関係者はもとより、『ドキュメント 「シン・仮面ライダー」 ~ヒーローアクション挑戦の舞台裏~』を視た、視聴者も「考えるべき」であった。
なぜなら、それが「鑑賞する」ということだからだ。
「なぜ、そこまで言うのか?」「監督は、何がしたいのだ?」と、そう考えてこそ「鑑賞」であって、「私が、こんなことを言われたら堪えられない!」とかいったような、いわゆる「脊髄反射」的な反応は、知能が発達する以前の幼児のごとき、単なる「痛覚反応」にすぎない。
問題は、その「痛み」が、「価値のある痛みなのか否か」「引き受けるべき痛みなのか否か」なのだ。「痛み」とは、成長のためには、是非とも必要なものなのである。
じっさい、庵野秀明が「考えすぎるほどに考える人である」というのは、次のような証言にも明らかだろう。
(※ なお、ここでの宮村優子との「やりとり」は、庵野からの質問回答文を、対談形式に仕立て直したものであり、実際に面談でのやりとりがあったわけではない)
どうだろうか?
庵野の『そういう(※ アニメや特撮の顕彰)活動をしながらも自分のやっていることを「これで良いのか」と時々客観視して検証しています。アニメがマイノリティーであっても世間に理解され、文化の多様性も生んでいるのは良い事だと思う反面、現実の中で生きていく人間の社会的な精神の成長を時代の流れに沿っているとはいえ阻害し、未成熟な社会を助長しているのではないか、等の検証です。』という言葉は、例えば、高畑勲が、その著書『アニメーション、折りにふれて』の中で語っていた「問題意識」そのものであると言ってもいい。
庵野秀明は、あのクソ真面目な「高畑勲」と同じくらいに、真面目なのであり、それは少なからず、尊敬する高畑勲から、意識的に引き継いだスタンスだったのではないかと、私は睨んでいる。
だから、そんな、宮村優子が評するところの『う〜んう〜んと言いながらジリジリ進んで』いる庵野秀明という人を、私は支持し、擁護しないではいられない。
「自分が楽しい」ことしか考えないような「ノータリンの子ども大人」などに、彼を潰されせるわけにはいかないのである。
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さて、本稿の主たるテーマについては、以上で語り尽くしたと言っても良い。
ただ、これだけでは、本書の著者である、宮村優子に申し訳ないから、最後に、彼女についての、私の感想や評価も語っておきたいと思う。
これを読めば、彼女が「どういう人か」は、おおよそ分かっていただけるだろうし、それは彼女自身、インタビューで、自分について「発達障害」「コミュ障」といった言葉を出しているとおりだとも言えるだろう。
要は「悪意はないのだけれど、視野が狭く、しばしば『一直線』『猪突猛進』になってしまう、子供のような人」だということである。
そして、この対談集での対談相手、特にかねてからの友人・仲間に関して言えば、そんな彼女を「困った奴だな」と思いながらも、その「個性」を受け入れて、目にかけてくれた人たちだと言えるだろう。
言い換えれば、宮村優子には、そう思わせてしまうような「無邪気な可愛らしさ」があるのだ。
無論、それは、常識的に言えば「傍迷惑な奴」でしかないかもしれないし、私自身、同僚としては、つきあいたくないタイプなのだが、しかし、彼女が「表裏のない憎めない奴」であるからこそ、信用できるという部分も、たしかにある。
そもそも、いくら「アスカ」に掛けているとは言え、自身の対談集のタイトルを『明日から五十路』なんてものにしてしまう「空気の読めない」奴に、悪い(狡猾・小狡い)奴などいないのである。
(2023年5月16日)
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