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個別最適な学びについて考える(113)ー日本教師教育学会(2002)教師として生きる一教師の力量形成とその支援を考えるーから

みなさん、こんばんは!
なかなか時間が定まらないことが多いです。
投稿時間がバラバラですがお許しください。
できる限りは揃えていきたいのですが,本を読むスピードと記事を書くスピードを早めていかなければいけません。頑張ります。

本日は「日本教師教育学会(2002)教師として生きる一教師の力量形成とその支援を考える.学文社,東京」です。では,早速読んでいきましょう!

教える」教師に求められる『学ぶ』こと
教師は子どもに「教える」ことの専門家である。その「教える」対象者・相手は子どもである。子どもは「学ぶ」ことを通して成長する存在である。教える教師と学ぶ子どもが出会い、教材や課題を媒介にして相互に関係し合い、それによって子どもが学ぶ力を得て人間的に成長するところ、それが「学校」である。その教えることと学ぶことが意図的・計画的・系統的・集中的におこなわれるのが「授業」である。その自ら計画・実施・評価する授業のなかで、子どもにさまざまな事柄を教え育てるのが教師である。子どもに対して、確かに、そして豊かに教え育てる教育や授業の専門家である教師となるためには、人はそれ以前に多くのことを学んでいる必要がある。なぜなら教えるための知識や技能、育てる能力や態度などを学び持ち合わせてはじめて、人は教師としてスタートできるからである。

日本教師教育学会(2002)教師として生きる一教師の力量形成とその支援を考える.学文社,東京

とても信念的なことが書かれているページです。
教師自身も学んでいかなければいけないということですね。
人に教えるからには教師も学び手である必要がありますね。学びすぎて身体を壊してしまうことには気をつけてほしいですが、学んでいなければ教師のスタートには立てない、そんな気持ちは持ち続けていたいと思いました。

こうして記事にしていますが、日々続けなければと思う限りです。

「一般には、「~評価する』ということは、その値打ちを考えそれを認めるというような意味に使われていますが、教育の世界で『評価』というと、少し違います。評価するということは、ただ、よい・わるい、出来・不出来を見ることではないのです。子どものほうについていえば、その子の歩みのようす、成長の姿が、今どうなっているのか、今学習していることがどんな形、どんな動き方で形づくられているか、・・・・・今、外から加え助けるべきものは何か、その程度、色合いなどなど、その子どもの無意識の叫びを聞きつけ、聞き分けるというようなことなのです。教えている側としても、教えている今のほんとうの、生の実態を感じとることなのです。ですから、絶えず評価しているとか、評価なしに授業は進めることはできないとかいうことになるのです」
 
 大村は右で、評価のことを述べているが、そこには彼女独特の評価観がある。大村にとって評価とは、子どもたちの学びを一つのものさしや試験で比較し、価値的に区別して裁断することではなく、一人ひとりの学びの内容を吟味・理解し、それにもとづいて適切な助言を刻々に加えることである。つまりそれは、一人ひとりの学びのあり様を具体的に発見し、その子どもが今ここで必要としている支援を考えることである。

日本教師教育学会(2002)教師として生きる一教師の力量形成とその支援を考える.学文社,東京

吟味することに大村はま先生のすごさがありますね。
そして、今求められていることだと思います。一斉で取り組むにしても、個別最適で取り組むにしても必要なことです。
こども一人一人について考え、その子にとっての学びとは一体何なのか、もちろん教科で達成すべきともあると思いますが、その子にとっては考えていきたいことですね。

本日はここまで!また次回の記事でお会いしましょう!

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nanjolno
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