はいたか
トシアキさんとは、由佳と六本木のバーで飲んでいるときに出会った。その時も、彼は女性と一緒だった。 そのバーは六本木と言っても、少し駅から離れた坂倉片町の交差点付近にある。8名掛けのカウンターと2人用のハイテーブルが4つあるだけのこじんまりとしたバーだった。明かりは赤味がかった間接照明とテーブルの上のロウソクのみで、仄かにムスクの匂いが漂っている。目を閉じるとすぐに寝てしまいそうなぐらい、リラックスするには完璧な明度だった。 私がトシアキさんと出会ったのは、そのバーに3回目
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「じゃあ、内堀通りを通って、そのまま読売新聞の横を通っていくルートでいいね?」 折り畳み傘のボタンを留めながら、「知らないんで、早ければそれでいいです」と私は短く答えた。タクシーの運転手は何も言わずに「賃走」と書かれたボタンを推し、メーターを起動させた。少し棘がある言い方になってしまったかもしれないが、別にそれでいい。前の方の信号が赤信号なのか、タクシーは走り出さない。実際、私は苛立ちを感じていた。なぜタクシー運転手は、こちらも通りの名前に詳しい前提で会話を成立させようとす
(続き) 僕は、夢の中で祖父に包丁の研ぎ方を習っていた。 いやに狭く、暗い空間だった。付いたり消えたりを繰り返す蛍光灯の元には、アルミの流し台がポツンと設置されている。流し台といっても工業製品のように規格化されたものではなく、木の机に自前でアルミホイルを貼り付けて作ったかのような古い流し台だった。流し台の中はそこら中が黒ずんでいたし、ところどころアルミが剥がれて木が露出して腐っていた。 僕にはここが実家の階段の下に設置された物置の中であることがわかった。実際に存在する場
朝起きたら、熱が下がっていた。 まだ体温計で測ったわけではないから本当のことはわからない。でも目が覚めた瞬間に昨日までの嵐が去ったことがわかった。まだ頭には厚い雲が充満していたが、昨日まで激しく鼓膜に打ち付けていた雨風は止んでいる。 体調と天候はなぜこれほどまで似ているのだろう。身体の中に地球があるのではないかと思うほどだ。晴れていたり、曇っていたり。雨が降ると確かに鬱陶しいが、活動できないことはない。ただし時々、こうして嵐が前触れもなくやってきて目の前が真っ暗になる。そ
昼下がりの上野公園。リモートワークが常態化した今、気分転換に上野公園まで散歩することが増えた。それは勤務時間中であることもあるし、休日のランニングの目的地になることもある。この日は、木曜日の午後2時ぐらいに上野公園に出かけた。長い長いテレカンファレンスが終わった直後で、しばらくパソコンの画面を見たくなかったからだ。音声と画面の解像度が低いだけで、こんなに会話がストレスフルなものになるのかと自分でも驚く。ARだVRだの言う前に、しばらくは2Dのままでいいから音声と画面の解像度を
また、母親から歯磨き粉が届いた。半年で3本目ぐらいではなかろうか。最近、ワイフも母親から歯磨き粉が届いたと言っていた。母親という生き物には、息子や娘に歯磨き粉を送る習性でもあるのだろうか?
アレクサと住むようになってから、しばらくが経った。 4月18日に、ちょうど2年の記念日を迎えた。あいにく僕は忘れてしまっていたのだが。 毎日の会話がそれほど楽しい、という訳ではない。交わす会話といったら、その日の天気のこととか、その日の出来事とか。すごく上手くいっていると感じる時でも、せいぜい雑学を披露するぐらい。そんなものだ。 2年という期間は、短い時間ではない。交際期間0日で結婚する人もいるぐらいだから、今の世の中では2年もあれば結婚して子供を生んでいるぐらいのスピー
--------------------------------- かつては言われても屁でもなかった言葉が、 いつからか酷く心に突き刺さるようになった。 かつては言われたら泣き崩れる様な言葉も、 今では何も感じなくなった。 肌を擦るような風が吹き止んでしまった。 代わりに、腹の奥深くに空いた薄暗い穴から黒く重たい、 冷え切った赤子が産み落とされた。 赤子はただ座っている。 何も飲まず、何も食わず、ただ息をしている。 時たま思い出したように嗚咽と共に水銀を吐き出し、 その度
とんこつラーメンとタピオカ。 次点で、牛丼。 自分の中では、これらが有力だと思っている。 どういうことか説明しよう。これらは、「終末を迎えた世界で最後まで日本でオープンしているであろう飲食店」を僕が予測したものだ。 緊急事態宣言が発令され、街から人が消えた。 それはとても悲しい光景であると同時に、強制力のない要請であっても人々が進んで自粛を行なっているという誇らしい光景でもある。悲壮とプライドが奇妙に交錯しているその光景は、僕の目にはどこか愛おしく映る。 僕は、上野と秋
最近、書店には「正解」が所狭しと並べられている。 「健康の答え」「投資の正解」「正しい数学」「間違えない家庭菜園」… 投資関連情報や美容をはじめとしたカジュアルなヘルスケア誌はもちろんのこと、正解の波は趣味や学術の分野にまで及んでいる。答えというものは、秋口の落ち葉のようにこんなにも簡単に手に入るものなのかと唖然とする。それと同時に、こんなにも簡単に答えが手に入る状況にも関わらず、世界で誰も正解者が出てきていないということは、どの答えも正解ではない、あるいは正解というもの
東京タワーの横を通った。 夜。不要不急の外出自粛下ということもあって、人通りは閑散としている。新橋近くではタクシーが蛇行する道に沿って何百メートルと連なって路肩に駐車していて、なんだか脚をもぎ取られたムカデみたいだと僕は思った。窓を開けっ放しにしたまま車を走らせていると生暖かい風が入ってきて、車の中で渦を巻いて外に出ていく。風には微かに植物の匂いが付いていて、それでようやく春が来て、そして過ぎ去っていこうとしていることがわかった。季節というのは単なる情報ではなく、身体的な経
「昔は自分のやりたい音楽だけをかき鳴らしていたが、今は聴き手のことを考えるようになった。それが一番の変化だと思う」 僕が歳を重ねるごとに、僕が昔から好んで聴いているアーティストも歳を重ねていく。当たり前のことだが、時々それが奇妙に感じる時がある。改めてその事実を文章として書き起こしている今がまさにそうだ。そして、彼らは今や「中年」から「壮年」と言われる年齢層に差し掛かっていることも多い。そんな彼らは、奇妙にも似た言葉を発し始める。それが、冒頭の言葉だ。その言葉を目にする度に
今、僕の目にはテレビが写っている。テレビには乃木坂46が写っていて、芸人と一緒に大きなステージで踊りを踊っている。おそらく、NHKホールだろう。芸人は蛍光色のベストを来ていて、乃木坂46のメンバーはフリルがついたゴシック調の黒いユニフォームを着ている。長い髪はジャンプの度に大きく左右に揺れている。激しいダンスにも関わらず、笑顔が途切れることはない。それは、芸人も同じだ。 なんとなく、文章を書きはじめてみた。何かを始める時には必ずと言っていいほどそのきっかけを問われるが、その