終末のチキンレース
とんこつラーメンとタピオカ。
次点で、牛丼。
自分の中では、これらが有力だと思っている。
どういうことか説明しよう。これらは、「終末を迎えた世界で最後まで日本でオープンしているであろう飲食店」を僕が予測したものだ。
緊急事態宣言が発令され、街から人が消えた。
それはとても悲しい光景であると同時に、強制力のない要請であっても人々が進んで自粛を行なっているという誇らしい光景でもある。悲壮とプライドが奇妙に交錯しているその光景は、僕の目にはどこか愛おしく映る。
僕は、上野と秋葉原の真ん中に位置する湯島という地域に住んでいる。上野と秋葉原はちょうど家から歩いて10分ぐらいの場所にあるため、散歩にはうってつけの目標地点なのだ。だから最近は、少しでも日中の運動不足を解消するため、夜にどちらかの繁華街まで散歩することが増えた。
平日でも休日でも祝日でも、今や上野にも秋葉原にも人がいない。もう昔がどんな様子だったか思い出せないぐらいには街の光景が一変してしまっている。季節が変わり、渡り鳥が一斉に飛び立ってしまったあとの湖のようだ。歩いていると、マスクをつけているせいで強調された自分の呼吸音が聞こえてくる。さらに、時たま流れる「信号が青になりました」という信号のアナウンスが、いい感じにディストピア感を強化してくれている。もはや繁華街というよりは「旧市街」という呼称の方が適切に思えてくるぐらいだ。
そんな旧市街を歩いていると、深夜近くでも営業している店に時たま出くわす。ほとんどのビルの一階部分が完全に消灯しているため歩道の大部分は暗いのだが、営業している店の周辺だけは店内の光が漏れて明るい。だからすぐにわかる。夜の田舎道で車を走らせていると、突然ファミリーマートが姿を表してびっくりするのとも似ている。その営業中の店のほとんどが、冒頭にあげた3店舗なのだ。
とんこつラーメン、タピオカ、牛丼。
想像してほしい。終末の世界を。今回のコロナウィルスでもいいし、核戦争でも、AIの暴走でも、隕石の衝突でもいい。何らかの事象によって世界の人口が大幅に減少してしまった世界。その中で、最後まで日本で営業しているのはどんな飲食店なのだろう。
2月後半、ニュースではコロナウィルスの報道が盛んに行われていたが、日本人はまだ対岸の火事だと思っていたあの頃。僕は、同じような予想を立てていた。その当時の「終末のチキンレース」の予想優勝者は、「串カツ田中」であった。急増した日雇い労働者がカウンターで串カツと酎ハイをセットを噛み締めながら食らい、その横のガタついたテーブルでは口数の少ない4人家族が久しぶりの外食をとっている。マクドナルドやケンタッキー・フライドチキンなどのアメリカのジャンク・チェーンは、すでに日本から撤退してしまっている世界線。オイリーでジャンキーなものを食べたいが、とんかつや天ぷらには贅沢すぎて手が出せなくなった日本人にとって、串カツ田中は救世主的な存在になっている…そんなことをぼんやりと考えていた。
だが、残念ながらその予想は外れてしまった。串カツ田中は3月下旬あたりからあっさりと休業を初めてしまったのだ。
とんこつラーメンと牛丼屋は、まぁまだ予想の範疇だった。ただ、吉野家・すき家・松屋などの牛丼屋はいくら場末感が常に満ちているとは言え大規模チェーン店なので、串カツ田中と同じように非常事態宣言後には徐々に休業を始めると思っていた。だから、5月現在、まだその大部分の店舗が営業しているのは少し意外ではある。
ダークホースだったのは、タピオカ屋だ。
タピオカ屋が一夜のうちにマスク屋に変身していることがネット上でも話題になったが、御徒町近くの独立系のタピオカ屋はまだ健気にタピオカを売っている。深夜0時近くでも、だ。しかも、タピオカを頼むとマスクを1枚オマケでくれるという神対応。店頭には張り紙が出されており、「マスクが必要な方は店員までお声がけください」とまで書いてあった。僕はそのタフネスに心底驚かされると同時に、感動さえ覚えた。
もしかしたら終末の世界では、タピオカ屋が「教会」的な役割を果たしているのかもしれない。
夜の上野旧市街を歩きながら、そんなことを思ったりしていた。