解熱
朝起きたら、熱が下がっていた。
まだ体温計で測ったわけではないから本当のことはわからない。でも目が覚めた瞬間に昨日までの嵐が去ったことがわかった。まだ頭には厚い雲が充満していたが、昨日まで激しく鼓膜に打ち付けていた雨風は止んでいる。
体調と天候はなぜこれほどまで似ているのだろう。身体の中に地球があるのではないかと思うほどだ。晴れていたり、曇っていたり。雨が降ると確かに鬱陶しいが、活動できないことはない。ただし時々、こうして嵐が前触れもなくやってきて目の前が真っ暗になる。そしていくらか経って朝起きると、嘘のような晴天が広がっている。
残念ながら今の体調は、日本晴れとまではいかない。せいぜい小雨ぐらいだろう。雲が薄い場所から時々陽が差してくるが、まだまだ厚い雲が街を覆っている。しかし、この後は次第に晴れていく予感が確かにある。
分厚い雲のような羽毛ぶとんの内側は、心なしか湿っていて不快だった。きっと昨日の夜は大量に汗をかいたのだろう。湿気を帯びた雲を脚で横に押しやり、どうにかベッドから起き上がった。いつもはベッドの横に綺麗に揃えてあるはずの深緑のスリッパは片方しかない。夜中に一度うなされて起きたとき、確か台所に水を飲みに行った。きっとスリッパの片方は台所にあるのだろう。だんだんと昨夜の様子を思い出してきた。その時はまだ高熱にうなされていて、でも汗をかいて半分脱水症状になっていたからよろめきながら台所に向かった。そういえば、寝室から出るためにドアに身体を預けた際、ドアノブで肘を強打したはずだ。そんなことを思った瞬間、左肘にじんわりと鈍い痛みが蘇ってきた。見てみると確かに肘は赤く晴れており、中心部分は内出血で濃い紫色になっている。痛みも風邪の時は休養すると知った。
案の定、台所には深緑のスリッパが仰向けで転がっていた。自分なりにスリッパを履こうとしたのだろうが、ことごとく失敗したのだろう。踏みつけられてぺしゃんこになっている。流しに放り出してあるコップを軽く水ですすぎ、そのまま急いで水道水を身体に流し込んだ。冷たい水が喉を通り、食道を流れ、胃が満たされていくのが手に取るようにわかる。やはりほとんど脱水症状だったのだろう。サハラ砂漠に生息するサボテンの気持ちがわかった気がする。久しぶりに嗅覚が機能し始めたからか、水道水はいつもにも増して塩素臭かったが、それでもやはり極上の味だった。サボテンは与えられたのが泥水だったとしても文句は言わない。
流し台のヘリに寄っかかりながら、夜中に見ていた夢のことを思い出していた。なぜ高熱を出した時は必ず夢を見るのだろう?そして大抵その夢は昔の記憶と結びついており、起きてしばらくはその内容を覚えている。コンピュータのCPUが熱暴走を起こすように、脳も文字通りバグって過去の記憶を掘り起こしてしまうのだろうか。
昨夜の夢の主演は、父方の祖父が務めていた。現実ではすでに亡くなって7年が経つが、その夢の中ではまだ70歳前後で記憶の中でも若くて元気な方の祖父だった。
僕は、祖父に包丁の研ぎ方を習っていた。
(続く)