感謝のディフィカルティ
東京タワーの横を通った。
夜。不要不急の外出自粛下ということもあって、人通りは閑散としている。新橋近くではタクシーが蛇行する道に沿って何百メートルと連なって路肩に駐車していて、なんだか脚をもぎ取られたムカデみたいだと僕は思った。窓を開けっ放しにしたまま車を走らせていると生暖かい風が入ってきて、車の中で渦を巻いて外に出ていく。風には微かに植物の匂いが付いていて、それでようやく春が来て、そして過ぎ去っていこうとしていることがわかった。季節というのは単なる情報ではなく、身体的な経験を持ってはじめて認識できるものなのだと気付いた。
東京タワーはLEDで青くライトアップされていて、それはもはや東京タワーではなかった。記憶の中では、東京タワーは赫い。港区の高層ビルの間から青い東京タワーが顔をのぞかせた時は、最初それを東京タワーであると認識することができず、驚いてアクセスから足を離してしまった。展望階の外壁には同じようにLEDがびっしりと貼り付けられているらしく、そこには「ARIGATO」の文字が白く浮かび上がっていた。
建物をブルーにライトアップする運動は、世界各地で広がりを見せている。コロナウィルスが蔓延する中で、必死の治療活動にあたる医療従事者に向けて感謝の意を示す意図があるらしい。
感謝の意を示すことは、いいことだ。
感謝は言葉や行動として示さないと伝えることができない。だから、手を合わせるなり、プレゼントを贈るなり、建物を青く染めるなり、何かしらの行動で示すことは大切だ。しかし、それがなぜ青色なのか僕にはよくわからなかった。一般的に、医療従事者は赤十字に代表されるように、血液や熱意を表す「赤」と、清潔や潔癖を表す「白」の組み合わせがシンボルカラーとなっている。しかし、今回は感謝の意を表するために「青」が用いられている。
調べてみると、ブルーで建物をライトアップする運動はイギリスから始まったらしい。イギリスの公衆衛生を担うNHS(国民保険サービス)のシンボルカラーが青であることから、この運動が始まったとのことである。
だから理屈から言えば、イギリス以外の国は建物を青くライトアップする必要はない。それぞれの国の公衆衛生を担う機関のシンボルカラーに応じてライトアップを行えばいい。しかし実際は、イギリスのように単一の国民保険サービスが組成されていることは少なく、国ごとにシンボルカラーを統一して設定することが難しかったのであろう。だからNHSのシンボルカラーを拝借して、世界中で建物を青く照らし出している。
別に、何色だっていいんだ。
最初はNHSのシンボルカラーであった青色が、コロナ禍を経て今や医療従事者に対する感謝の意を意味するカラーへと変化した。その意味の拡大が興味深い現象であることは間違いない。しかし問題は、それが本当に機能しているのか?ということである。つまりこの場合は、「医療従事者に僕らの感謝の意が伝わり、結果医療従事者に何かしらのポジティブな効果があるか」ということである。
僕は、ブルーライトアップ運動を否定するつもりは毛頭ない。僕自身、青いライトアップをみると「今もどこかで医療従事者が必死に頑張っているんだな」「僕らも感謝しなきゃな」という気持ちになる。確かに一般市民に対して「医療従事者に対して感謝しよう」という内省的な気持ちを誘起する点では、機能している。しかし「感謝」という気持ちは、本来的に言えば外部的な要因によってではなく、自発的に発生するものである。それをパブロフの犬的に「青色をみたら、感謝」という回路を世界的な運動によって形成していくことが、果たして意味があるのだろうか。一般市民側に「医療従事者には感謝しなければならない」というパーセプションを形成することまではできたとして、それが結果として「医療従事者に対してポジティブな影響を与える」ことまで繋がるのだろうか。その辺が、よくわからない。それは否定や皮肉ではなく、本当にわからないのだ。
医療従事者が言いたいことは、「家にいろ」。その一言に尽きるだろう。別に一般市民が感謝の意を表しても表さないにしても、家にいてコロナウィルスの感染拡大を回避してくれればそれでいいはずだ。でも医療従事者の心身のストレスは想像を絶すると聞くので、当直明けに青くライトアップされた建築を見ることで救わる方もいるのだろう。一般市民がブルーライトアップをみることで、「医療従事者が頑張っているのだから、僕らも頑張って家にいよう」という気持ちが誘発される可能性も大いにある。そうしたら、確かにポジティブな影響を与える。しかしそれは、「感謝」という感情を盾にする必要が必ずしもあるのだろうか。
そんなことを、ぐるぐると考えている。
僕はここで答えを出すつもりもないし、ブルーライトアップを否定するつもりもない。ただ、青く照らし出された東京タワーが、「感謝」について考える起点になっただけである。
ロックアイスを買うためにセブンイレブンに立ち寄ると、ちょうど入り口付近で中年の男性が咳をしていた。彼はマスクをしていない。僕は思わず息を止め、男性から距離を置くための回避行動をそれとなくとった。これを差別というのかわからないが、知らないうちに僕自身にも新しい行動原理がインストールされていることに驚いた。レジ・カウンターには透明のシートが上から吊り下げられている。店内には、僕と、咳をした男性と、アジア系らしき女性定員しかいない。僕がクイックペイでロックアイスの会計を終わらせると、その女性店員は「ありがとうございました」とごく自然なイントネーションで感謝を述べた。マスクをしていたが、笑みを浮かべていることがわかった。僕は軽く会釈をすることで、感謝の意を表した。