雨降りの経路2
トシアキさんとは、由佳と六本木のバーで飲んでいるときに出会った。その時も、彼は女性と一緒だった。
そのバーは六本木と言っても、少し駅から離れた坂倉片町の交差点付近にある。8名掛けのカウンターと2人用のハイテーブルが4つあるだけのこじんまりとしたバーだった。明かりは赤味がかった間接照明とテーブルの上のロウソクのみで、仄かにムスクの匂いが漂っている。目を閉じるとすぐに寝てしまいそうなぐらい、リラックスするには完璧な明度だった。
私がトシアキさんと出会ったのは、そのバーに3回目に行った時だったと思う。初めての時も、由佳と六本木で飲んでいた日だった。ドン・キホーテ近くでダーツをしていたら終電を逃してしまいタクシーを捕まえるために六本木通りまで向かっているつもりだったのだが、2人とも酔いが回っていたせいで真逆の方向に歩いて坂倉片町の交差点まで来てしまったのだ。どうせ終電はないし、来た道をすぐに戻る気にもなれなかった。そこで偶然見つけたこのバーに入ったのを覚えている。2回目は、当時付き合っていた元彼を連れて来た。タンクトップにジャケットを着るような男だったが、不思議と今は顔と名前が思い出せない。
由佳はインスタグラムをスクロールしながら、酔った勢いで仕事の愚痴をずっとこぼしていた。しかしそれはダムのように激しく、とても長い放流だった。コールセンターで隣に座っているアラフォーのおばさんから死臭のような匂いがずっとしていたせいでまだ気分が悪い。そんなことを延々と話しながら由佳はインスタグラムのライクをテンポよく押していく。なぜ全く異なる性質の行動を同時にこなすことができるのか、私には不思議だった。適当に相槌を打ちながら、私はバーの壁に並べられたリキュールの瓶を雲を掴むような気持ちで眺めていた。酔いのせいか焦点が定まらず、私と瓶との距離感がふやけたように感じられる。
棚の右から左へと視線をゆっくりと流していると、カウンターに座っていた男性がちょうど席を立とうと腰を上げた。手には伝票を持っており、クリップには真っ黒なカードが神経質に挟まれている。私もヨドバシカメラの黒いカードを持っていたが、明らかに質感が違う。男性が目配せをすると、バーテンダーが少し申し訳なさそうに「レジにてお願いします」と短く言った。男性は椅子の背にかけていたコートを手に取ると隣に座っていた女性の肩に手を置き、耳元に顔を近づけて何かを囁いた。女性は僅かに頷き、テーブルの下のハンドバックに手を伸ばした。彼女も帰る支度を始めるのだろう。男性がレジに向かおうとこちらを振り向いた瞬間、目が合った。一目見たとき、男性の年齢が全く読めずに混乱したのをよく覚えている。背丈は思ったより高く、スリムだった。おそらく180センチメートルはあるだろう。彼が来ていたジャケットは店内の照明を鈍く反射し、なんだかよく手入れされたペルシャ猫の毛並みのようだった。鼻筋が通っていて端正な顔立ちだったが、髪の毛は少し後退して白髪が混じっている。
目が合った瞬間、男性は口元を緩めた。私は男性の年齢を見定めようと無意識に集中していて、それが私に向けられた笑みであるということが一瞬理解ができなかった。