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思い出置き場。ときどき、自分の考え方について吐露しています。

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最近の記事

ご贔屓マジック。

先日書いたこちらの記事の中で、ご贔屓というのは特別で、ひとたび目にすると雷にでも打たれたかのように、全身に電流が走るという話を書いた。 この、実に不思議な感覚を味わったことがあるのは、恐らく、わたしだけではないはずだ。 どちらかというと、ひやりとする感覚に近いような、ぎゅっと心臓が痛くなる感じ。 そしてその直後、とてつもなく大きな多幸感に包まれる。 この感覚、結構麻薬的だ。   この麻薬的感覚は、舞台上にいるご贔屓と目が合ったときにも陥る。 あの、息が止まりそうな苦しみこそ

    • 16度目の今日。

      わたしにとって、年間を通して最も意識する日といえば9月7日なのだが、もう一日、必ず心に留まる日がある。 それが7月26日で、ご贔屓と初めて対面した日だ。   2008年のその日、その朝、今も鮮明に覚えている。 少し見上げないと合わない目線、数センチ上からにこりと見つめてくれたお顔、手紙を受け取って喜ぶ姿… 憧れの人が目の前にいて、言葉を交わすことができるという、夢みたいなひととき。 この瞬間を知ってしまって、どんどん欲深くなったことは間違いないが、この瞬間を知ったからこそ広が

      • ランドセルと引きかえに。

        わたしは小学生の頃、学校にランドセルを忘れて帰ったことがある。 忘れたことに気が付いたのは家に着いてから。 母が学校に電話をしてくれ、またとぼとぼと取りに戻った。 途中でクラスメイトの男の子何人かとすれ違い 「ランドセル忘れてたぞー!」 とケラケラからかわれたのが恥ずかしいやら悲しいやら、泣きながら取りに戻った。 何故、ランドセルなどという大きなものを忘れてしまったのかと言うと、この日わたしは、長らく楽しみにしていたあるものを手にしたからである。 リコーダー 小学3年生

        • 愛すべき、小さき者たち。

          わたしは、小学校低学年以下くらいの子どもたちのことを、敬愛を込めて「小さき者」と呼んでいる。 たくさんいらっしゃる小さき者たちの中でも、特に目が離せないほどの魅力を放っているのは、やはり2人の姪だろう。 彼女たちと出会ったのは、約3年前の夏と、おおよそ去年の初夏である。 出会った当初と比較すると、仲良くしてもらえていると思う。…多分。 そもそも、言葉を使う仕事を生業とし、言葉で表現することに躍起になっているわたしは、小さき者とのコミュニケーションが下手である。 しかも、小さ

        ご贔屓マジック。

          おもちゃのカンヅメ、2つ。

          今も昔も、お菓子が大好き。 時々は、食事時間に「ごはんよりもお菓子を食べたい」と思う日もあるくらいにはお菓子が好きだ。 特に好きなお菓子は、悩むけれど、やっぱりチョコレート。 シンプルなチョコレートもいいし、ポッキーやアルフォートもいい。 ナッツが入っているのもすごく好きだ。 いまでこそ大好きなチョコレートだが、子どもの頃は取り立てて好きではなかったような気がする。 食べている最中は甘くておいしいのだけれど、後味がちょっぴり苦かったことと、口の中にいつまでもそれが広がってい

          おもちゃのカンヅメ、2つ。

          絶体絶命の夜桜。

          社会人になって最初に会社は、4月に桜が咲く地域にあった。 わたしが所属する顧客センターはもちろん本社にもあって、すでに実務にあたっていたことから、新入社員研修の合間に業務のことで教えていただいたりもしていた。 顧客センターでは、毎年春には夜桜の下で花見を楽しんでいるそうで、研修で滞在している間に開催するからとわたしも誘っていただいた。   夜桜は見たことがないし、いわゆるお花見も家族以外としたことがない。 いいな、お花見。 そうは思ったけれど、お名前やお顔を一通り知っている

          絶体絶命の夜桜。

          向いているとか、向いていないとか。

          これまで、明確に書いたことはなかったが、わたしが現在勤めているのは広告制作会社である。 肩書はなんと、「コピーライター」。 立派過ぎてくらくらする。 この肩書をもらった6年前はうれしくってくらくらしたけれど、今はふさわしくなさにくらくらする。 無理むり、わたしはコピーライターなんて向いてない。 幼い頃から、それはそれはたくさん書いてきた。 祖父母の家に泊まった日には過ぎたカレンダーの裏に新聞を作ったし、手紙を書くのも大好物。 国語の授業が好きで、中でも作文の授業は「待ってま

          向いているとか、向いていないとか。

          打ち合わせにて、尊敬している代理店の方に初めて原稿一発OKをいただく。うれしい。メールでなく、伝言でなく、ダイレクトに褒めていただいたのも初めてである。うれしい。こんな風に、「わたしなんて」というタイミングで誰かがぽんっと飴ちゃんをくれるから、うっかり続いて6年が過ぎたのだった。

          打ち合わせにて、尊敬している代理店の方に初めて原稿一発OKをいただく。うれしい。メールでなく、伝言でなく、ダイレクトに褒めていただいたのも初めてである。うれしい。こんな風に、「わたしなんて」というタイミングで誰かがぽんっと飴ちゃんをくれるから、うっかり続いて6年が過ぎたのだった。

          曖昧な記憶の先に、ピンクの宝石。

          わたしが幼稚園生だった頃、キラキラ輝く、宝石のようなキーホルダーが流行った。 恐らくアクリル製であろうそれは、大きさも色も形もさまざまで、クラスの子でも何かしら持っている子が多かった。 もちろんわたしも憧れていてうらやましく思っていたが、なかなか買ってもらえなかった。      ここで記憶が飛ぶ。   わたしは、ピンク色の宝石キーホルダーを持っていた。 結構大きくて、3センチくらいはあっただろうか。 当時売られていた宝石キーホルダーの中でもかなり大きい方だった。 キラキラして

          曖昧な記憶の先に、ピンクの宝石。

          すっかりご部沙汰してしまいました。 一昨年のガンが転移したため、昨年秋から治療していました。落ち着いてきたので、またボチボチ再開します。

          すっかりご部沙汰してしまいました。 一昨年のガンが転移したため、昨年秋から治療していました。落ち着いてきたので、またボチボチ再開します。

          日記のはじまりは、すもも。

          初めて日記を書いたのは、小学校2年生だったと思う。 きっかけも、タイミングも忘れてしまったけれど、母が日記帳を買ってくれたのが、人生における日記との出会いだった。 初めて手にしたそれは、ピンクの小花柄で、厚さは1.5センチくらいだっただろうか。 しっかりとしたハードカバー、表紙にはサンリオキャラクターのマロンクリームが控えめに描かれていた。 そして、なんと、鍵がついていたのである。 表紙と裏表紙を留めるように施されたプラスチックの鍵。 これが何とも言えない、心くすぐるポイント

          日記のはじまりは、すもも。

          一緒にいただけの春。

          一番初めに正社員として勤めた会社は、本社を中部地方に置く会社だった。 3月に大学を卒業し、4月からその職場にお世話に…なってはおらず、8月から入社したいわゆる第二新卒だった。 本来同期になるはずの面々は4か月ほど先輩で、すでに実務にあたっている。 受けるはずの新入社員研修も受けず、すぐに実務を教わる日々。 秋には社員旅行に参加し、夜の宴会では同期になるはずの面々がステージで繰り広げる余興を眺めた。 このくらいの年齢の頃、たった1~2歳程度差や、わずかに違う入社タイミングを、

          一緒にいただけの春。

          あぁもう一度、住めたなら。

          2023年1月。 数億光年ぶりに、大阪と宝塚を訪れた。 それは想像を遥かに超えて心ときめく体験で、今思い出しても泣き出したいような、叫び出したいような気持になる。 やはり関西、とりわけ大阪と宝塚は、わたしにとって本当に特別な場所なのだ。 言わずもがな、関西に惚れ込むきっかけとなったのは宝塚である。 幾度となく足を運び、ご贔屓との思い出もこれでもかと詰まった場所は、何度訪れてもずっと特別だ。 ほんのささいな瞬間や、何気ない光景までも、不思議なほどにありありと思い出せる。 (余

          あぁもう一度、住めたなら。

          ドイツ語のとりこ。

          以前、こんなことを書いた。 憧れのウィーンで、エリザベートを観劇した話である。 この観劇をきっかけに、わたしはドイツ語に惚れ込んでしまった。 これまで触れたことのある外国語と言えば、中学と高校で学んだ英語と、大学で授業を取っていた中国語である。 ドイツ語にはちらりとも触れることなく、20代も半ばになっていた。 ウィーンへの並々ならぬ憧れと、大好きなシシィにまつわるたくさんの雑学を持っていたにも関わらず、ドイツ語に興味を抱かなかったというのも妙な気がするのだが、とにかく訪れ

          ドイツ語のとりこ。

          ドラマは苦手である。

          趣味を聞かれたら、舞台鑑賞と答える。 これはもう、人生における趣味だから、長いこと観に行けていないからといって「趣味と言っていいのだろうか」と悩むことはしない。 一つの箱(劇場)の中で、時代も国も違う世界が広がる数時間。 頭のてっぺんまで鳥肌が立つ感覚を幾度も味わいながら、さまざまな感情を抱き、自分の五感をアップデートしていく。 例えるならば、海外を旅するような、全くの非日常を味わうことができる貴重な体験だ。 よくよく振り返ると、小さい頃は歌うのも踊るのも大好きで、小学校の行

          ドラマは苦手である。

          なんちゃってお嬢様への道。

          わたしは、地元にある私立女子大の文学部の卒業だ。 ちょうど、両親から上の世代ならば 「まぁ、〇〇大学?お嬢様ねぇ」 「へぇ!〇〇大学の文学部か!優秀だなぁ!」 という評価をもらえるような、昔は良いところのお嬢様が通うような女子大だ。 わたしはずるい人間なので、こう言われたら 「いえいえ、それほどではないんです」 と謙遜しつつも、そのイメージにちゃっかり乗っかってきた。(ありがたや。) そもそも、この大学を目指そうと思うまでの経緯もめちゃくちゃだし、入学してからの過ごし方もめち

          なんちゃってお嬢様への道。