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なんちゃってお嬢様への道。

わたしは、地元にある私立女子大の文学部の卒業だ。
ちょうど、両親から上の世代ならば
「まぁ、〇〇大学?お嬢様ねぇ」
「へぇ!〇〇大学の文学部か!優秀だなぁ!」
という評価をもらえるような、昔は良いところのお嬢様が通うような女子大だ。
わたしはずるい人間なので、こう言われたら
「いえいえ、それほどではないんです」
と謙遜しつつも、そのイメージにちゃっかり乗っかってきた。(ありがたや。)
そもそも、この大学を目指そうと思うまでの経緯もめちゃくちゃだし、入学してからの過ごし方もめちゃくちゃだった。

この大学を目指したきっかけは、母の
「理学療法士なんてどう?」
という一言である。
文学部と全く結びつきそうもない「理学療法士」という提案が、どうして文学部に行きついたのか。
書き記してみるとなるほど、わたしの奔放さがよく見えてくる。

看護師をしている母は、わたしにも医療の道をすすめたかったようだ。
理学療法士がどんな仕事かすら知らなかったわたしだが、
「周りに目指している人はいないし、何だかかっこいい!」という、非常に安直な理由から、理学療法士の資格が取れる学校を探し始めた。
目についた学校のパンフレットを取り寄せて学校案内を読んでみると、その学校には栄養学を学ぶコースがあることを知った。

「管理栄養士」
これも初めて聞いた職業だ。
「栄養士じゃなくて管理栄養士っていう職業があるのか…かっこいい!」
もともと料理やお菓子作りが好きだったことと、万年ダイエッターで栄養素に興味があったことが幸い(?)し、一気に栄養学科へ心変わりする。
後日、栄養学科のある他の学校から、新たにパンフレットを取り寄せた。
読み進めると、なんと保育学科があるではないか。

「保育科って、幼稚園教諭の免許も取れるんだ!」
当時は子どもが好きで、高校の職業体験でも保育園を選んだわたしである。特に、保育園ではなく幼稚園で働きたかったわたしは、専門学校ではなく大学でも幼稚園教諭の免許が取れることを知り、あっさり保育科にしようと心を決めかえた。

しかし、である。
よくよくパンフレットを読んでみると、この大学の保育科があるキャンパスは隣の市。
実家から通うには片道2時間はざらだ。
遠い…遠すぎる……
なぜなら、幼稚園は園バス、小学校は徒歩3分と徒歩10分、中学校は徒歩30分、高校は自転車で5分と、生まれてこのかた、公共交通機関を全く必要としない学校にばかり通っていたのだ。
乗り継ぎをしながら片道2時間の通学は急にハードルが高すぎる。

遠さに絶望しながらパンフレットをめくっていると、文学部のページにたどりついた。
読むともなしに読んでいるとあることに気が付く。
「文学部、近い!」

そう、わたしは通いやすさから文学部を選んだのだ。
街中にあるから空きコマには遊びに出ることもできるし、実家からだって1時間もあれば余裕で着く。
他の大学と比較しても、一番アクセスが良いといえる学部だった。

さて、なんだかんだと学部は決まった。
次は学科である。
文学部には、高校の科目で言うと「英語」「国語」「社会」を学ぶ3つの科があった。
当時の偏差値の高さは記述の順である。
「国語が好きだし、偏差値的にもこっちの科にしよう!」
決してトップの英語科は選ばないところが、わたしらしいところでもあるが、学部も学科も実にカジュアルに決定してしまった。

特定の職業を目指し、奮闘した過去を持つ母は
「文学部って何するの?就職大丈夫なの?」
とやや不安そうであったが、ブランド力と四大絶対派の父はわたしの決定を快く認めてくれたと記憶している。
(こういう耳心地の良さに惹かれてしまうところ、父譲りだなぁ…)

大学を卒業してから10年以上経つが、この選択をしたことに後悔はまったくない。
人並みに、「もしあの時、違う選択をしていたら…」
と考えることはあるが、何度考えてもこの道を選んでよかったと感じている。
なぜなら、この道を選んでいなければ、こんなにおもしろい人生になっていなかったと思うからだ。
選び方ははちゃめちゃだったけれど、良い選択だったよ、当時のわたし。

それから、最後に。
わたしが「〇〇大学の文学部出身です」と、科まで言わないのは
”英語科=賢い=文学部賢い”
の図式にちゃっかり乗っかるためである。
我ながら、つくづく姑息だなぁと呆れてしまうが、なんちゃってお嬢様だから仕方あるまいと開き直っている。

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