ドイツ語のとりこ。

以前、こんなことを書いた。

憧れのウィーンで、エリザベートを観劇した話である。
この観劇をきっかけに、わたしはドイツ語に惚れ込んでしまった。

これまで触れたことのある外国語と言えば、中学と高校で学んだ英語と、大学で授業を取っていた中国語である。
ドイツ語にはちらりとも触れることなく、20代も半ばになっていた。
ウィーンへの並々ならぬ憧れと、大好きなシシィにまつわるたくさんの雑学を持っていたにも関わらず、ドイツ語に興味を抱かなかったというのも妙な気がするのだが、とにかく訪れるまでドイツ語とは全く縁がなかったのだ。

そんなドイツ語を学ぼうと思ったのは、以前書いた通りエリザベートがきっかけである。
大感動して買ったパンフレットは文字通り、「一文字も」読めなかった。
英語なら多少読めたはずだし、中国語なら漢字から想像してみることもできたはず。
けれども、今手元にあるのは全ページがドイツ語で書かれたパンフレットで、わたしは一つも理解することができない。
これは、生まれて初めて味わう感覚だ。


ここに何が書かれているのか読んでみたい。


その思いだけで、ドイツ語を勉強することにした。
はじめはスマホで調べながら読み進めた。
Ein=(英語の)a、Kaiserin=皇后、auf=(英語の)on、reisen=旅行する…
一つ、また一つと単語の意味がわかり、つなぎ合わせるとその一文がどんなことを言っているのか輪郭が見えた。
文法のことは分からないけれど、書かれていることの意味が分かった途端、とてつもなく感動したのだ。
つい数分前は一つも理解することができなかったアルファベットの羅列が、今は意味を持っている。

ドイツ語が読めた!という感動体験に居ても立ってもいられず、すぐに紙の辞書とドイツ語のテキストを買った。
テキストで文法を学びつつ、パンフレットを訳す日々。
ルキーニを演じていたクロシュ・アバッシさんにファンレターも書きたかったから、書く練習のためにドイツ語の日記もつけた。

文法を学ぶにつれ、初めて読んだ日の文章もより鮮やかに見えてくる。
自分が思ったことをドイツ語で書けるようになってきた。
独特な優しい響きも、チャーミングなつづりも、美しい単語も、全部好き。
うまく説明できないけれど、他の言語にはない魅力がドイツ語にはある。
楽しくて楽しくて、毎日夢中になって辞書を引き、ドイツ語を読み書きした。

けれども結局、わたしのドイツ語熱は、約1カ月半で落ち着いてしまった。
退職後の有休が終わり、新しい会社で働き始めたからだ。
1カ月半とはいえ、1日のほとんどをドイツ語に費やしていたから、それなりに上達したし、仕事が始まってからも細々と続けてはいたけれど、夢の世界から現実に戻ってしまった以上、あれほどの情熱を持ち続けられなくなってしまった。
あんなに何を書こうかと考えまくっていたファンレターも書けずじまいである。

すっかり離れて10年近く経ってしまった今も、ふと思い出してはきゅんとするドイツ語。
まさに恋!
来年はまた、少しずつドイツ語を勉強してみようかな…なんてこっそり思っている。
久しぶりの再会に、ドイツ語はどんな顔をするだろうか。

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