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一緒にいただけの春。

一番初めに正社員として勤めた会社は、本社を中部地方に置く会社だった。
3月に大学を卒業し、4月からその職場にお世話に…なってはおらず、8月から入社したいわゆる第二新卒だった。


本来同期になるはずの面々は4か月ほど先輩で、すでに実務にあたっている。
受けるはずの新入社員研修も受けず、すぐに実務を教わる日々。
秋には社員旅行に参加し、夜の宴会では同期になるはずの面々がステージで繰り広げる余興を眺めた。
このくらいの年齢の頃、たった1~2歳程度差や、わずかに違う入社タイミングを、妙に大きなこととして捉えていた気がする。
だから、同期になるはずの面々がどんなに優しく、ウェルカムな空気で接してくれても、わたしから見たらどうしたって先輩だった。
勝手に宙ぶらりんだと感じていたわたしは、いつだってトゲトゲしてつまらなそうな顔をしていたと思う。
はみ出した者、という気がしてならず、先輩方の優しさを素直に受け取ることすらできずにいた。

そんな中、社内で検討された結果、わたしは次の年の新入社員と「同期」となることになった。
入社した翌年の4月、すっかり仕事にも慣れてはいたが、本社で1週間ほどの新入社員研修に参加するのだ。
「同期」ができる喜びと、中途半端なわたしが受け入れられるかどうかの心配を半分ずつ持って、本社へ向かった。

研修初日、学校のように机が並んだ会議室で自席にかけて辺りを見回す。
その年の新卒は9名いて、高卒が4名、大卒が4名、院卒が1名と聞いていた。
年齢はばらばらだし、工場や営業、顧客センター、研究部、と持ち場もばらばらだと。
それでも、内定式を経て「同期」となった9名は互いに顔を見知っていたし、一体感があるような気がした。
果たしてわたしは「同期」になれるのだろうか。
心の中に、じわりと不安が広がった。

しかし、そんなことは全くの杞憂であった。
わたしの自己紹介に「へぇ」という表情ではあったし、上司の「ちょっとだけ君たちより先輩だぞ」という冗談めいた補足に笑い声が上がったけれど、それだけだ。
あとは10人目の「同期」として仲間に入れてくれた。

特に仲が良かったのは、大卒・院卒組だった。
営業配属の男2人、研究部配属の女1人、顧客センター配属の女3人(わたしを含む)の計6名で、組み合わせを変えつつもなんだかんだで一緒にいることが多かった。

すべての研修を終えた日だっただろうか。
仕事を早めに上がれた日があった。
例の6人で、桜が満開の城下公園に出向いた。
誰が言い出したのか、どうしてそうしたのかは忘れてしまったけれど、多分みんな、名残惜しかったのだと思う。
だって、これが同期みんなでいられる最後の日。
これからは、営業所も配属部署もばらばらになるのだから。

たしか、営業配属の男2人は車を置いて後から合流するからとかなんとか。(車がないと通勤できない土地柄だった。)
同期の車に乗せてもらい、先に女4人で向かった。
桜の間を歩きながら、何を話したのだったろう。
あのときの情景はありありと思い出せるのに、話した内容はちっとも思い出せない。
しばらくして2人が帰らなくてはならない時間となった。
「またね」と言って見送った。
その後、残った1人と一緒に、一向にやってこない男2人を待った。
じきに到着した2人と合流し、4人でふらふらと桜の間を縫うように歩いた。
車を置いてきた2人の手には、缶ビールが握られていた気もする。
その時話したことは、やっぱり一つも記憶に残っていなくて、手元には4人で撮った写真が1枚、残っているだけだ。

ただ一緒にいたことしか思い出せないこの春を、わたしは毎年必ず思い出す。
どこまでも優しくあたたかで、夢みたいな春。
この春はじめてわたしは居場所を得られ、自信を持つことができたのだ。

その後、何度か中部地方を訪れ同期と遊んだ。
けれども、”今”に夢中になるあまり、会う機会も、連絡を取ることも減ってゆき、今では連絡先すら分からない。

みんな、優しくしてくれたのに、こんなでごめん。
わたしを同期にしてくれて、ありがとう。

今年もまた、満開の桜の下をスーツで歩いたあの日を思い出す。

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