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近江結衣
2023年5月9日 19:53
第一章 春の出逢いと夢のはじまり 高校からの帰り道、│波木《なみき》│風花《ふうか》はいつもの川原に寄り道した。 花がいっぱいの、優しい場所なのだ。 春の花があふれている。 土手に広がる菜の花。 小さくてかわいい花。ほとけのざ、すずめのえんどうに、たんぽぽ。 川岸には大きく枝を広げ、しっかりと根を下ろす桜の木。 風花は土手を駆け下り、桜を見上げた。ちょうど漫開だ。花びらがひら
2023年5月10日 18:46
根元から見る桜色の花びら。 その向こうの青空。川原で揺れる水面。跳ねあがった水しぶきを留める青葉。 この世はきらきらであふれている。きらきらを見れば、心が救われる。 この世の中は悲しいことはかりだ。 その悲しさがなくなることはない。だからこそ、光を見ていたい。 風花は耳を澄ませて、川の流れの水音を聞く。水音もきらめいていた。 風花は長い間、ひたすらきらきらを感じた。気がつ
2023年5月11日 18:10
なんて、きれいなんだろう。 風花はまっすぐに想った。 枝に隠れてよく見えないが、彼は西洋の神話のような白い服を着ている。 その周りはきらきら輝いていた。舞いあがる水が、彼を包むように踊っているのだ。 まるで、護っているようだった。 ふしぎなふしぎな風景だ。……そして、そばにいるだけで浄められる気がした。 泉のような色をした澄んだ瞳。うれしげに水面を見つめる表情。 流れ
2023年5月13日 18:27
「落ち着いて、飛雨。どうせ、すぐに後悔するんだから」 彼女も精霊? 少女は高校生くらいだった。 腰まである長い金の髪に、海のような深い青の瞳。大人びた雰囲気。 風が吹くと、髪がやわらかくなびく。衣と一緒にさらさら揺れた。 彼女も夏澄と同じで、なにか浄らかなふしぎさがあった。「ごめんなさいね、風花」「なんで、わたしの名前……」「私たち、本当に何度も会っているのよ。私はス
2023年5月16日 18:40
確かに風花は水辺が好きだ。 学校帰りに通るこの川原、愛犬の散歩で行く池のある公園。この辺りで一番澄んだ水が湧く湧水群も、たまに行く。 そこに本当に夏澄くんがいたの……? やっぱりあんな風に優しく、水面を見ていたの? 想像すると、どきっとした。 遠くに立つ夏澄を見ると、体がふわふわ浮かぶように気が昂ぶる。 わたし、今本当に精霊と一緒にいるんだ。 風花はひざを抱え、夏澄
2023年5月17日 18:51
こうやって彼らの隣にいるだけで、風花の心まで澄んでいくようだった。 ゆらゆら心が揺れる。「ねえ、スーフィアさん!」 風花はくるっとスーフィアに向きなおった。「初めて逢った時のこと、もっと教えてっ」 訊いたとき、スーフィアは、風花に半分背を向けていた。 川下の夏澄を心配気に見つめている。「ごめんね、風花。ちょっとよそ見……。あのときは……、あっ、なんか今日とそっくりだっ
2023年5月18日 07:52
海の精霊のスーフィアは、静かにため息をつく。 風花の言葉を少し寂しく思った。 風花の記憶を消したのは自分たちだ。 それでも、そのことを寂しいと思ってしまう。 風花は忘れていても、スーフィアは彼女と何度も会っている。その分、親しみがある。 風花とはいろいろな話をした。 お互いに好きな海の話で盛り上がったこともあった。 風花は純粋な子だ。 人らしい無邪気さも好ましいと思
2023年5月18日 18:52
いきなり目の前に立った飛雨に、風花は心底驚いた。 飛雨は軽く視線を逸らし、小さな声でいう。「本当に記憶を消していい? 風花」 ひどく、いいにくそうにつぶやく。さっきと真逆で優しげな口調だ。「ごめんな、ひどいことして。でも必要なことなんだ。人の世界には想像もできないような、その……、奸賊がいてさ。もし、夏澄のことが人の世界に伝わって、そういう人間に知られたら、夏澄の命が危なくなるんだ
2023年5月19日 18:26
目を閉じると、浮かぶのは青い光に包まれていた夏澄だった。 ダイヤモンドダストのような、ふしぎな水蒸気の中の彼はまぶしかった。 ……忘れちゃうんだな。 奇跡みたいだったのに。 それとも、また逢えるかな。……そんなにうまく行くはずない。きっと二度と逢えない。「あの、やっぱり待ってくれない?」 飛雨はぴたっと手を止めた。「なんていった?」「だから、記憶消すのやめたい。せめて
2023年5月20日 18:16
「こ、の、や、ろー!」「……だ、だ、だって、まだ心の準備ができてないんだもん。せめて、あと三十分くらい」 風花は後ずさる。 川原の桜の方に駆けていって、幹に隠れた。「無理っ。オレ帰るんだ!」 飛雨はまた、一瞬で風花の隣に立つ。風のように速く走るのだ。 風花は幹の反対側に回った。「お願い、飛雨くん。お願いしますっ。もうちょっとだけ!」「うるせっ」 飛雨は風花を追いかけ、
2023年5月20日 21:19
「お、おい、夏澄」 飛雨が声をうわずらせる。「出てきたらだめだよ」「ごめん。でも……」 夏澄は風花の体を起こし、幹に寄りかかるようにすわらせた。 擦りむけた風花のひざに手をかざす。すると、なぜか痛みが引いていき、傷も消えていた。 夏澄はほっとしたように肩の力を抜く。春のように優しく微笑んだ。「今のは癒しの霊力だよ。初めまして……、でいいかな? 風花」 近くで見ると、青
2023年5月21日 18:25
「俺と風花は手前から。飛雨とスーフィアは向こう側から癒そう。飛雨の霊力はスーフィアに送ってくれる?」 飛雨たちは戸惑い気味だったが、すぐに枝に手を当てる。 四つの手が枝を包んだ。「……あの、これってわたしの霊力を、夏澄くんが使っているってことですか?」「残念だけど、あなたに霊力はないはずよ。気持ちで一緒に癒してくれるだけでも助かるのよ」 桜の枝が三つの青い光に包まれる。 夏
2023年5月21日 21:31
「……ねえ、夏澄。あなたの幻術で、霧の水輪見せてよ」 唐突にスーフィアがいい、微笑む。夏澄はふしぎそうに彼女を見た。「なんだか疲れたちゃったの。みんなで気持ちを落ち着けましょう。夏澄は今日ずっと霊力を使っているけど、いいわよね」 ねだるような瞳でスーフィアは続ける。 ありがとうと、夏澄は微笑む。祈るように手を胸の前で重ねて、瞳を閉じた。 ずっと、霊力を使っている……? そうい
2023年5月22日 18:55
夏澄はしばらくの間、なにかを念じるようにしていた。 やがて、まぶたを開く。「あの、スーフィアさん。霧の水輪ってなんですか?」「水の精霊の国の自然現象よ。霧が水の輪になって舞うの。無二の光景なのよ」 ゆっくりと、辺りに霧が漂いはじめた。 霧は這うように広がっていく。 地面に近いほど霧は濃かった。一番濃いところの霧が集まって、水滴に変わっていく。 それが輪のような形を作りは