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高次脳機能障害

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2020年6月に心原性脳梗塞を発症した兄の 全失語を含む高次脳機能障害についての記録。 読む、聞く、書く、話す、全てを奪われた兄のことが少しでも理解できたらと思いnoteを始めま…
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#リハビリ

高次脳機能障害24

高次脳機能障害24

兄は昨年の6月に心原性脳梗塞を起こし、
全失語、右片マヒ、高次脳機能障害という後遺症がある。

離婚して1人で暮らしていたので、現在は
我が家から歩いて10分ぐらいの高齢の母の住む実家で2人で住んでいる。

今日は、先生の都合でいつもと違う曜日、時間での言語のリハビリだった。

以前なら、リハビリの時間や曜日が変わると混乱してしまい、嫌がっていたが、
今週は週3回のリハビリが、全て曜日、時間が変更

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高次脳機能障害23

高次脳機能障害23

先日、昨年6月に脳梗塞を起こし、右片マヒと全失語、高次脳機能障害の後遺症がある兄の通院日だった。

雨が今にも降り出しそうな日だった。

心不全が原因の脳梗塞だった兄は、ハートクリニックと脳神経外科の2箇所で診察してもらうので、駅の西口から東口に移動しなくてはならない。

傘をさして歩くのは大変かなと心配だったが、幸い移動する時は雨に降られず一安心。

ハートクリニックは予約なので、それ程時間がか

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高次脳機能障害21

母と兄の住む実家へ行ってきた。
今日はクラクラする程の暑さだった。

こんな日でも兄はエアコンはいらないと
言う。
母と私は暑くてたまらず、ゆるくエアコンをつけたが、兄は昼食を済ませると、そそくさと自分の部屋へ行ってしまった。

エアコンも扇風機も付けずにテレビを見ていた。
母は熱中症になるんじゃないかと騒いでいた。

しばらくすると、爪を切って欲しいと兄がやって来た。
時々、こうやって切って欲し

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高次脳機能障害19

高次脳機能障害19

あんなに暑かったのが嘘のようにここ何日か涼しくなって、昨日は寒いくらいだった。

兄は脳梗塞で倒れてから、多分10キロぐらい体重が減ってると思う。
以前はLサイズだった洋服も今はMサイズが大きく感じる程になってしまった。

出張先で脳梗塞を起こす前、心不全で1週間程入院していた。すぐ退院できると思っていたのだろう。
この時、母や私には連絡してこなかった。

着替えや必要な物は一緒に出張先にいた会社

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高次脳機能障害3

昨年6月16日に脳梗塞を起こした兄の
病院へ駆けつけ、なす術もなく一旦帰宅した。

兄が落ち着いた時点でまた面会できるということで連絡を待ち、1週間後に病院へ行くことになった。

片道1時間半。高齢の母には行かなくてもいいよと言ったが、そんな訳にはいかないと言うので、また3人で病院へ向かった。 

脳の浮腫、出血の可能性もひとまず落ち着いたらしい。
が、兄は物凄い数の管に繋がれて、とても苦しそうに

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高次脳機能障害4

高次脳機能障害4

兄が脳梗塞を起こし病院へ駆けつけてから2週間。

コロナ第二波前、面会もなかなか許可されず、片道1時間半かかる病院。 

兄の会社とのやり取り。会社は京都。
兄は部下を抱えてバリバリ働いていた。
突然過ぎる状況に会社も私もバタバタだった。

リハビリ病院も決めなくてはいけない。

我が家は飲食店経営。
コロナでお客さんも減り、時短営業要請。経営していけるのか。先が見えない。そんな状況で兄の脳梗塞。

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高次脳機能障害5

高次脳機能障害5

千葉の急性期病院からリハビリ専門病院へ転院した兄。
病院まで片道1時間半から片道10分になって、物理的にも精神的にも楽になった。

リハビリ病院に着いた私は書類を何枚も書き、手続きを終わらせ、先に連れて行かれた兄の病室へ向かった。
兄は着替えを済ませ、車椅子からベッドに移るところだった。
担当の看護師さんが、兄に向かって私のことを、
「この人は誰ですか?」
と問いかけた。
「1、奥さん」
「2、妹

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高次脳機能障害6

高次脳機能障害6

兄がリハビリ病院へ転院して1ヶ月。
1ヶ月に1回、主治医、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、看護師、ソーシャルワーカー、本人、家族という大人数での面談があった。
初めての面談。1ヶ月ぶりに会う兄。
兄は車椅子に乗せられて病室から会議室にやって来た。私は兄の左側に座らされた。やはり右側の空間無視があるらしい。

私の顔を見ると、
「おぉ!」
と挨拶。
顔色も良くなり、元気そうに見えた。
話しかける

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高次脳機能障害7

高次脳機能障害7

兄がリハビリ病院に転院して1ヶ月半。
面会を申し込んだ。

喋れないので、面会は申し込まずにいたが、確認したいことがたくさんあったので、申し込んでみた.
面会は一回10分。家族一人のみ許された。
母も兄に会いたかったと思うが、喋れない兄にどう接すればいいかわからないだろうし、一人では心細いだろうし、可愛そうだけど諦めてもらった。

兄が車椅子で連れてこられた。
白髪が目立ち、一気に歳とった感じがし

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高次脳機能障害8

高次脳機能障害8

兄がリハビリ病院に入院して2ヶ月を過ぎた頃。

1ヶ月に1回の面談の日。
会議室で待っていると、兄がゆっくり
支えられながら歩いて来た。
「わぁ!歩いてる!」
私は声を出してしまった。

体の回復は目に見えてわかる。
言葉は「あー」「えー」「おー」しか
発声できない。
面談後、「えー、えー、えーえー」
何か気にしているようで、私の方から
「何?○○のこと?」「××のこと?」といくつか尋ねると、「バ

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高次脳機能障害9

高次脳機能障害9

兄がリハビリ病院に入院して2ヵ月半後には、面会も面談も全てオンラインになってしまい、全く会うことができなくなった。

毎週、だいたい月曜日と木曜日に洗濯物の交換に行っていた。受付で病棟の看護師さんに連絡してもらい、兄の部屋から汚れ物を持って来てもらう。
いつの頃からだったか、
「お兄さん今日来るってわかってたみたいよ!洗濯物まとめてあったよ!」
と何度か言われたことがある。

それって曜日わかって

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高次脳機能障害10

高次脳機能障害10

リハビリ病院に入院して5ヵ月。
12月7日、兄は退院した。

朝9時に主人の車で迎えに行き、私は支払いを済ませて兄の病室へ。(退院の時は病室まで行ける)

兄は荷物をまとめ、私が用意した洋服に着替え、ベッドでボーッとして待っていた。
病棟の看護師さんと書類のやり取りなどしていると、リハビリの先生方が挨拶に来てくださった。
「退院おめでとう!」と口々に言ってくださり、兄も嬉しそうに笑い、ちょっと涙ぐ

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高次脳機能障害11

高次脳機能障害11

兄がリハビリ病院を退院して約7ヵ月。

最初の頃は母も兄も35年ぶりの親子での
生活に戸惑っていた。

父が亡くなった時、母は52歳だった。
今の私より若い。それから全て自分のことは自分でやって、旅行に行っり、編み物に通ったり、ゴルフをやってみたり、歩く会に入ってあちこち歩きに行ったり。
そして、80歳を迎えた時、直腸癌が見つかり手術をしてからは家でのんびり過ごすことがが多くなっていた。

残りの

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高次脳機能障害12

高次脳機能障害12

兄はリハビリ病院を退院してから、自宅近くの小規模だけど入院もできる病院に通院することが決まっていた。
私がついて行きやすい距離だし、退院間近までは、通院で言語のリハビリを受けられると言うことでここに決めた。

ただ、退院1週間前に急に言語聴覚士の方が辞めたらしく、通院でのリハビリはできなくなってしまった。
ソーシャルワーカーの方と相談して、通院はこの病院の脳神経外科と循環器科にして、リハビリは医療

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