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高次脳機能障害11

兄がリハビリ病院を退院して約7ヵ月。

最初の頃は母も兄も35年ぶりの親子での
生活に戸惑っていた。

父が亡くなった時、母は52歳だった。
今の私より若い。それから全て自分のことは自分でやって、旅行に行っり、編み物に通ったり、ゴルフをやってみたり、歩く会に入ってあちこち歩きに行ったり。
そして、80歳を迎えた時、直腸癌が見つかり手術をしてからは家でのんびり過ごすことがが多くなっていた。

残りの人生のんびりゆっくり生きていこう、そんなタイミングで兄が脳梗塞になってしまった。

高齢の母は、兄の全失語という状況をなかなか理解できないでいた。ましてや、聞いたこともない高次脳機能障害なんて、説明してもまぁわからない。

私だってよくわからない。
ただ、私は一緒に病院へ行ったり、銀行へ行ったり、いろいろな場面で、今までの兄とは違う瞬間を目の当たりにしているので、あぁ、これはわからないんだ。これは出来るんだという経験を実際にしている。
例えば、リハビリ病院を退院後、違う病院へ通院することになり行った時、入り口で手の消毒をしようとしたが、兄はそれが何か分からず、手ではなく体にかけようとしていた。
今は兄も何度も経験して理解したので、スッと手を出すようになった。

退院後初めて電車に乗った時も、Suicaの使い方が分からず、切符を入れるところに押し込もうとしていた。が、こっちにタッチだよと教えてあげると、電車を降りて改札を通る時にはもう1人でタッチができていた。

最初の頃は、割と何にでも「うん」と答えていた兄。自分なりの理解なのか、面倒くさくて、とりあえず「うん」と言うのかはわからないが、母はわかっているもんだと思い、実際は伝わってなくて混乱したり、イライラしたり。

少し経つと兄の方が、伝わらないもどかしさとイライラで、2人の間はギスギスしていた。

母は喋れない兄を子供のように扱う。

それは違うと言ってもなかなか変えられないようで、いろいろなことに手を出してしまい、やることが多くなって疲れ切っている母。

兄はマイペース。
病院や床屋さんなどに行く時は、私が一緒に行くが、普段は自分で1日のスケジュールを立てて(今日はこの番組を観ようとか、お散歩に行こうとか、電車に乗ってみようとか、ご飯はこれを食べようとか)、リハビリのある日、ない日で自分なりの予定を立てて過ごしている。
ただ、その自分のスケジュールを邪魔されると混乱してしまう。
混乱というかすごく嫌がる。

訪問リハビリも最初週4回だったが、どうしても月、水、金の3回がいいと言うので、今は週3回で落ち着いた。

時間にもすごくこだわる。
これは病気のせいなのか、元々の性格でそれを理性で抑えることができないのかわからないが、食事の時間も、お風呂の時間も、寝る時間も毎日キッチリ同じじゃないと嫌がる。

兄は3月に1度、後遺症のてんかん発作だったのか一瞬意識を失い倒れ、検査のため10日間入院した。結局、入院中は何も異常が見つからず、ハッキリしなかったが、10日間寝ていたので、退院後は体力が落ち気持ちも落ちてしまった時期がある。

その退院後と、具合が悪かったのか先週1日中寝ていた日があって、その後何日間か、白米しか食べないということがあった。
塩をかけるでもなく、おかずも全く口をつけず、白米だけを食べる。

3月の時は、どうしよう困ったなと思ったが、リハビリの先生に言ってもらったり、私が兄の好きなものを買って行ったりしているうちに、自然と何でも食べるように戻った。

何かに強くこだわるのも、脳のダメージのせいなのだろうか?

とにかく、全てにおいてよくわからない、というのが本当のところだ。

いろんな本を読んでもネットを見ても、兄と同じ!という情報にはあまり遭遇できない。
どこかに兄と同じような方がいるのだろうか。

母と私と主人と主治医の先生とリハビリの先生という、狭い世界になってしまった兄の生活を、いつか広げることができる時がくればいいなと漠然と思っている。


#脳梗塞 #高次脳機能障害 #リハビリ
#兄 #家族

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