高次脳機能障害4
兄が脳梗塞を起こし病院へ駆けつけてから2週間。
コロナ第二波前、面会もなかなか許可されず、片道1時間半かかる病院。
兄の会社とのやり取り。会社は京都。
兄は部下を抱えてバリバリ働いていた。
突然過ぎる状況に会社も私もバタバタだった。
リハビリ病院も決めなくてはいけない。
我が家は飲食店経営。
コロナでお客さんも減り、時短営業要請。経営していけるのか。先が見えない。そんな状況で兄の脳梗塞。
何から手をつけていいのか分からなかった。
いつも、落ち着こう、落ち着こう。
よく考えて。と自分に言い聞かせていた。
兄の様子を電話で確認しながら、あちこち連絡を取り(コレはまた別に詳しく書くことにする)、毎日毎日、頭フル回転で必死だった。
兄は幸い顔の麻痺が弱く、嚥下にもほぼ支障がなかったので、3週間目でゼリー状の食事のリハビリも開始された。
この頃、リハビリ病院を決め、退院前に面談に行き、運良くすぐに受け入れていただけることになり、退院が決まった。
7月9日退院。
朝、病院へ着いて看護ステーションで
「○○の家族です」
と言って手続きをして、病室へ向かうと
声が聞こえていたのか、身を乗り出して
こっちを見ていた。
お迎えを待っていた様子。
2週間ぶりに会う兄は見違えるほど元気そうになり、体の右側は動かないものの、自分でベッドに起き上がり座ってみせた。
そして、運ばれてきた朝ごはんを、ぎこちなく左手で食べ始めた。
トレーの右側にあるサラダと味噌汁には手をつけなかった。
後から知ったのだが、右側の反側空間無視という状態だった。
右脳のダメージで左側の反側空間無視ということが多いらしいが、兄は左脳がダメージを受けているので、右側の反側空間無視。右側にあるものを認知しないらしい。
でも、自力でベッドに起き上がり、食事をする姿に本当に驚いた。
看護師さん達も凄いよぉ〜!と喜んでくれていた。
出張中の脳梗塞だったので、スーツ、革靴、大きなキャリーケースに重いバッグがもうひとつ、会社の方が差し入れてくれた下着やら何やらの紙袋という、大荷物を乗せて、介護タクシーでリハビリ病院へ向かった。
1時間半という移動がまだ不安定な身体に耐えられるのか心配だった。
兄はずっと寝た状態のまま窓の外を眺めていた。
あと20分くらいというところで呼吸が
荒くなって心配したが、何とかリハビリ病院へ到着することができた。
兄は先に病室へ連れて行かれ、私は手続きの書類を記入し、後から病室へ。
私はここで、『高次脳機能障害』という障害がどういうものなのかを初めて知った。