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高次脳機能障害7
兄がリハビリ病院に転院して1ヶ月半。
面会を申し込んだ。
喋れないので、面会は申し込まずにいたが、確認したいことがたくさんあったので、申し込んでみた.
面会は一回10分。家族一人のみ許された。
母も兄に会いたかったと思うが、喋れない兄にどう接すればいいかわからないだろうし、一人では心細いだろうし、可愛そうだけど諦めてもらった。
兄が車椅子で連れてこられた。
白髪が目立ち、一気に歳とった感じがした。
アクリル板で仕切られたテーブル越しに
10分しかないのでお互い必死だった。
まず兄が
「あー、あー、えー」
全然わからない、、、
全失語なのはわかっていたが、私もなかなかどんな感じなのかピンときていなかったため、紙とペンを渡してみた。
紙を私が押さえると、左手で書き出した。
「○○をたのむ」
娘の名前をカタカナで「たのむ」の
「た」は読めたが「の」は「を」に、
「む」は反転したような字で。
私が
「○○をたのむ?」
と聞くとうんうんと頷いた。
何で書けたのか今となっては不思議
で仕方ない。
よっぽど娘のことが心配だったのだろう。自分はもうこのまま死んでしまうかもと思っていたのかもしれない。
私は京都のアパートのことが聞きたくて、部屋の絵を簡単に描き、ここにあった物はいるのか、どうしても持って来たい物はあるかなど、ものすごい勢いで次々質問した。
伝わっていたのかどうかはわからないが、それなりに答えは返ってきた。
兄は大型バイクも所有していて、京都で確認していたので、バイク専門の運送業者を頼んだこと、ロックがかけてあるのでその鍵はどこにあるのかが聞きたかった。
なかなか伝わらないので、鍵の絵を描いた。自慢じゃないが私は絵が幼児並みのレベルだ。
絵を見て兄は顔をしかめ、自分も左手で描き出した。
どう見ても同じ絵だった。遺伝子のなせる技、二人で大笑いしてしまった。
鍵のことは何とか在処がわかり解決した。
私には兄は何でもわかっているように思えてしまった。
それは、たったの10分しか一緒にいる時間がなく、兄と私の中でわかりやすい話ししかしなかったから。
この半月後の面談の際、私が
「こっちの言うことは大体わかるみたいです」
って言った時、主治医もリハビリの先生たちも看護師さんもみんな無言で、誰も私と目を合わせようとしなかったのを思い出す。
そういうものらしい。
家族の中での会話なら何となく通じて、理解していると思えてしまう。
主治医から
「話せない、書けない、右手が使えないっていう状況なので、復職は無理ですよ!」
と仕事大好き人間の本人を目の前に何度もそう言われると、何てこと言う主治医なんだと嫌な気持ちになった。
が、今はわかる。
兄はかなり重度の失語症だった。
それでも兄は生きている。
まだまだリハビリは始まったばかりだった。
この先12月まで兄の入院生活は続く。