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高次脳機能障害10

リハビリ病院に入院して5ヵ月。
12月7日、兄は退院した。

朝9時に主人の車で迎えに行き、私は支払いを済ませて兄の病室へ。(退院の時は病室まで行ける)

兄は荷物をまとめ、私が用意した洋服に着替え、ベッドでボーッとして待っていた。
病棟の看護師さんと書類のやり取りなどしていると、リハビリの先生方が挨拶に来てくださった。
「退院おめでとう!」と口々に言ってくださり、兄も嬉しそうに笑い、ちょっと涙ぐんでいた。

さぁ、帰ろう!と車に乗るが、主人はどう接していいのかわからないようで、兄の顔を見ようとしない。何となく気まずい空気。
兄はわかっているのか、いないのか、窓の外を眺めていた。
このリハビリ病院は、兄と私が小さい頃住んでいた家と近く、帰り道は懐かしい思い出がたくさんある場所だった。
兄も外を指差しては懐かしそうに、
「えー、えー、えー」
と何か言っている。
「わかる?」
と聞くと、うんと頷いた。
道や場所もわかるんだ!
これなら、お散歩にもひとりで出られるかもしれないと思えた。

家に着くと、母は5ヵ月ぶりに会う兄を
待っていた。
実家は1階が父のやっていた工場になっていて、2階、3階が自宅になっている。2階までは結構急な階段で、この階段と家の中の2階から3階までの階段の両サイドに手すりをつけた。
が、家に着いた兄は手すりも使わず、スイスイ登っていった!
驚きだった!
リウマチ で足が痛い私の方が登り方がゆっくり。私が両サイドの手すりを掴んで登っている(笑)

兄は大学卒業以来、35年ぶりの母との生活が始まった。

リハビリ病院で聞かされていた以上に、自分のことは自分でできる。
食事も器用に左手で食べている。
お風呂もひとりで入れるし、着替えもできる。
ここまで回復させていただけて、心から感謝している。

意思の疎通が難しいこともあるけれど、
お互い伝わった時はものすごく嬉しい。

退院後、兄名義のマンションを売却したり(この話はそのうち書こうと思っている)、車を売却したり、兄は一つ一つ諦めて、気持ちを整理して、落ち込みながらまた這い上がって、頑張っている。

離婚後も元嫁と娘の生活費その他を、全面的に支払っていたなんて、メチャクチャな生活をしてきた後始末は倒れて1年経った今現在もまだ終わらない。

主人には、巻き込んでしまったなぁと、申し訳なく思うけど、、、
こうなってしまったのだ。これも私の人生だ。私は出来ることをやるだけ。これからも、母と兄に手を差し伸べながら生きていく。


#脳梗塞 #高次脳機能障害 #リハビリ
#兄 #家族

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