高次脳機能障害8
兄がリハビリ病院に入院して2ヶ月を過ぎた頃。
1ヶ月に1回の面談の日。
会議室で待っていると、兄がゆっくり
支えられながら歩いて来た。
「わぁ!歩いてる!」
私は声を出してしまった。
体の回復は目に見えてわかる。
言葉は「あー」「えー」「おー」しか
発声できない。
面談後、「えー、えー、えーえー」
何か気にしているようで、私の方から
「何?○○のこと?」「××のこと?」といくつか尋ねると、「バイクのこと?」で頷いた。大切なバイクの心配をしていた。
「大丈夫!こっちに運んだよ」というと
安心したようだった。
先日の面会の日あんなに心配していた
娘のことは全く聞かなくなってしまった。
自分にはもう何もしてあげられないと
諦めたのだろうか。
記憶が曖昧だが、この面談の時だったか、最近トイレの前まで行き、ジーッと立ち尽くしていることがあると聞かされた。
その頃はまだリハビリパンツで、そのことを看護師さんが私に話していると兄は、
看護師さんに左手の人差し指を左右に振り、妹にそんな話をしちゃダメだよ!と
でも言うような素振りをしたことがある。
その時も私はこちらの言うことは、やっぱりわかっているんじゃないかと思っていた。
リハビリ病院の先生やスタッフの方は皆、口を揃えて、
理解する能力はあまりないようです。
書くこともできません。
ジェスチャーも無理です。
と、あれもできません、これもできません。家で生活するのは厳しいかもしれません。と話せば話すほど私の気持ちは重くなっていくようなことを言う。
その日書類を書くために許可を取り、本当は入ってはいけない病室に兄と一緒に行くと、私が書類の記入をしている間、兄はベッドに腰掛け、リモコンでTVをつけ、相撲を見始めた。
使えないと言われていたリモコン使えるじゃない!
何もわからない人が自分で観たい番組を
選んで観るかな?
と疑問ばかりで帰って来た。
リハビリ病院の方々に対する不満ではないことだけは言っておきたいが、きっと
脳のダメージがほんの少しズレることや、
年齢、性別、体力、それまでの生活や環境。あらゆることが関係して、極論だけど、本当のところは誰にもわからないことなんじゃないかと思える。
医学的なことだけでは説明のつかないこともあるのではないかなと、、、ましてや、全くコミュニケーションが取れなくなっている兄のような場合は。
この面談を最後に面会も面談も全てオンラインになってしまい、退院まで会うことはできなくなってしまった。
仕方ないことだけど、コロナ禍での入院は本人も家族も本当に辛かった。
私は脳梗塞の後遺症、高次脳機能障害、
全失語などについて、ネットや本を読み漁り、今後どうしていくべきか毎日考えていた。