高次脳機能障害9
兄がリハビリ病院に入院して2ヵ月半後には、面会も面談も全てオンラインになってしまい、全く会うことができなくなった。
毎週、だいたい月曜日と木曜日に洗濯物の交換に行っていた。受付で病棟の看護師さんに連絡してもらい、兄の部屋から汚れ物を持って来てもらう。
いつの頃からだったか、
「お兄さん今日来るってわかってたみたいよ!洗濯物まとめてあったよ!」
と何度か言われたことがある。
それって曜日わかってるんだ!と
嬉しくなった。
私が受付で
「〇〇の家族です。洗濯物の交換お願いします」
と言っているのが聞こえて、リハビリ室へ行くために階段を降りてきた兄が私を見つけて、指差していたこともあった。
この時も階段使えるんですか!
と感動してしまった。
兄は体はみるみる回復して、装具や杖も使わず、外にも歩きに出ていると言う。驚きだった。
でも、私が
「洗濯物持ってきたよ」
と言うと、うんと頷くわけでもなく
クルッと向きを変えてスーッと行ってしまった。やはり今までの兄とは違うんだなと思って帰って来た覚えもある。
暑かった季節も終わって、秋が来ても
そんな毎日が続いていた。
そして11月に入った頃、担当の看護師さんから時間を作って欲しいと言われて、
私と看護師さんだけで話をすることがあった。
退院まであと2ヵ月ないぐらいの時。
やはり、兄の失語症はかなり重度で、
これまで一度もリハビリ病院での状況を
見ていない高齢の母と暮らすのは心配だという。
まだ57歳という年齢の兄が、施設に入っても辛いだろう。
退院後、1人で出かけることもできず、どうやって1日を過ごすのか。
スタッフ一同で、何度も何度も話しているが、結論は出ないと。
高次脳機能障害として、失認、失行、記憶障害もある、、、
また、あれもできない、これもできないと
言われた。
で、何が言いたかったのか、
私はどう考えればいいのか、
???と頭にいっぱい?マークで帰宅した。
体は動くようになって来た。トイレも
自分で行けるという。
お風呂は右手が使えないので介助が必要らしいが、なんとかなるだろう!
私は実家に戻って母と暮らしていくのが
いいと思っていたし、母もそうするしかないと覚悟を決めていた。
この前後だったかな?
洗濯物の交換に行った時、偶然にもまた
階段で兄が降りて来てばったり会った。
兄はあぁと軽く挨拶すると、リハビリ室へ行ってしまった。
私は洗濯物を交換し、主人の待つ駐車場
へ戻り、車に乗って動き出した時、ガラス張りのリハビリ室で駐車場側を向いて兄が座っているのが見えた。
兄は車に向かって左手を高く上げピースしていた!
私が車で来ているだろうと想像して、こちらを見ていたのだった。
嬉しかった!
やっぱり兄は色々わかっているんだと
とても嬉しかった。
ここから退院まではあっという間だった。病院からリハビリの担当の先生が実家の確認に来て、こことここに手すりをつけた方がいいとか、部屋はトイレの近くがいいとか、色々アドバイスをいただき、大急ぎで工事の依頼や、買い物に
バタバタだった。
京都にあった家財道具は、ほぼ処分してしまったので一からあれこれ揃え、実家に改めて兄の部屋を用意しなくてはいけなかった。
11月の3週目のオンライン面談の時、
退院日を決めなくてはいけなかった。
まだ、準備が整っていなかったので、
できれば12月の中旬頃と言うと、
兄がカレンダーを指差し、来週退院したいと言う!
まず、カレンダーわかるじゃない!
という驚きと、早く退院したかったんだ!という驚き。
もちろん誰しも入院は嫌だろうけど、
今までそんな素振りも見せなかったので
ちょっとビックリしてしまった。
そんなやりとりをして、じゃ、間をとって
12月7日はどう?と言うと、しぶしぶ了解してくれた。
後から看護師さんに聞いたら、すぐにでも退院したかったらしく、かなりガッカリしていたらしい。
とにかく兄の部屋を整え、階段に手すりを増やし、お風呂の浴槽にも手すりを付け、母には高次脳機能障害とはどういうものなのか、なるべくわかりやすい本を読んでもらい、少しでも兄と2人、穏やかに暮らしてほしいと願うばかりだった。
そして、12月7日。
いよいよ退院日が来た。