本能寺の変1582 第75話 11光秀の年齢 4最大の敵 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』
第75話 11光秀の年齢 4最大の敵
光秀は、己の老いを自覚した。
甲斐遠征において、改めて、実感させられた。
「そろそろよ」
肉体の衰え。
「老い」
気がつけば、その様な年齢になっていた。
光秀には、先が見えた。
次に、中国大遠征。
その次、九州平定戦。
その後のこともある。
丹波では、戦後の復興に、三年を要した。
そして、信長の「さらなる夢」。
光秀は、苦悩していた。
その心中である。
その時、信長は、まだ、五十前半。
だが、自分は、もう、すっかり、老人になっている。
それでは、・・・・・。
光秀は、滝川一益の上野入国を思い起こした。
武田を攻め滅ぼした後。
一益は、伊勢に帰陣せず。
関東八州の御警固を申しつけ、
そのまま、上野へ入った。
老後の覚えに上野に在国仕り、
(『信長公記』)
【参照】11光秀の年齢 2柴田勝家と滝川一益 70
一益は、信長の命に従った。
そうする他、術(すべ)がなかった。
光秀は、すぐ近くでこれを見ていた。
正に、問答無用。
上意下達。
「明日は我が身」、である。
忘れられぬ、光景だった。
斯くして、一益の老後は、定まった。
伊勢から、遠国へ。
追いやられたのである。
その様な見方も出来る。
光秀にも、国替えの可能性があった。
一益の一件を見れば、そのことが分かる。
東国の儀、御取次、彼れ是れ申しつくべきの旨、
(『信長公記』)
【参照】11光秀の年齢 2柴田勝家と滝川一益 70
近江志賀一郡・丹波一国を返上。
そして、西国の内、何処かの国へ。
その先に、信長の「さらなる夢」があった。
数年後のことである。
それまで、己は、・・・・・。
その時、己は、・・・・・。
光秀にとって、大きな不安だった。
これについては、後述する。
信長は、不意を衝く。
それは、ある日、突然、やって来る。
佐久間信盛の一件。
【参照】4光秀の苦悩 4粛清の怖れ 10 11 12
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光秀は、そのことを熟知していた。
この様な例は、多々あった。
これらについては、後述する。
⇒ 次へつづく 第76話 11光秀の年齢 4最大の敵
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