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「自分さえ我慢すれば良い」

生きる上で誰かが関わる以上
本音と建前を使い分けなくてはいけない場面があると思います。
社会を成立させる上でも、ある程度の秩序は必要でしょう。

衝突を減らすための気遣いや、歩み寄りの姿勢は素晴らしいと思います。


しかし相手のことを思って本当は辛くても、つい大丈夫と言ってしまったり
胸の奥に残った靄に対して、

自分さえ我慢すれば物事が上手く進むから。
こんなことで気分悪くするなんて、自分は心が狭いんだな。
あの人のために我慢する。
自分が頑張らないと
そんなことより早く気分転換して忘れよう

と、言い聞かせてしまったことはないでしょうか。


成長していくうちに

もうお姉さん(お兄さん)でしょう?
もう○年生でしょう?
もう大人でしょう?
あいつはワガママで変わってるから。
あの人は協調性がないからね、自分勝手で子供だよ。
波風は立てない方が良い。

などと、我慢することが大人の対応であり、
トラブルを避けるためにも安全な方法であると教えられてきた私達は
我慢する癖を刷り込まれていると思います。

しかしその結果として、本当の気持ちはどこにあるのでしょうか。



抑えた本当の気持ちを納得させるために
これで良かった、仕方なかった。早く忘れなきゃ
と、更に気持ちを抑え続ければ、いずれ置き去りにされた心に限界が来ます。

そうなると相手に対して
「無神経だなあ」
「どうしてこんなに我慢してるのに気づかないの?」
「この人は私のことをなんだと思ってるの?」
「こういう奴だから。」
などと不満や嫌悪感を持ち、相手への尊敬の気持ちがなくなっていくと思います。
爆発すれば、こっちの方が最悪な結果を招く危険性が上がりますし、
余計にこじらせて、自分にも限界が来てしまいます。

それなら我慢せず、言い方に気を付けつつ、早いところ相手と衝突してしまった方が良い場合もあるのでは?と思います。
※あくまで理想ですが

更にこじらせてしまうと
「私は我慢したのに…」
「なんであの人ばかり」
「自分は我慢したんだから、あなた達も我慢しなさいよ」
という、他者にまで我慢を強要する考えにも変わると思うのです。

(これは偏見ですが妬みはおそらく、自分ができなかったことを
他人が「何の障害もなく」できているように見えるから起こり、
嫉妬の正体はおそらく焦りではないかな?と思っています。※話がズレるので割愛します)


我慢することに何か目標はあるのでしょうか。
それは本当に周りの為になり、人から感謝されるでしょうか。
同じことを友人に相談されたら、何と答えるでしょうか。

相手にどんな事情があって、どんな意図があるとしても
嫌な気分を感じたのであれば、それは心が傷ついています。


自分さえ我慢すれば…と思ってしまう場合、少し立ち止まって頂きたいのですが
他人の課題のためにあなたが頑張って、無理をしてあげることではないはずです。

そして悪気がない相手や合わない人、自分ではどうしようもできない物事のために我慢することは
草食動物が、天敵の肉食動物がいても逃げず、体の一部を食べられても逃げないことと一緒ですし

協調の面で言えば
草食動物がわざわざ天敵の肉食動物と仲良くしようと近づくなんてことは、ほぼほぼ起こらないでしょう。
あったとしても、仲良くなる前に、草食動物が食べられて死んでしまうと思います。
まさか草食動物が「逃げなければ肉食動物も変わってくれるかもしれない…」なんて思わないでしょう。


※日本人の特性として、協調性や輪を大切にする、忍耐強いという話はよく聞くと思いますが、
忍耐強さと我慢は違うと思っています。

(忍耐強さはいわば目標に向かい続ける根気であり、その目標を目指す過程で「多少の我慢」が生じるもの、
輪とは認め合いから生まれるものであって、協調性はその歩み寄りの手段、
決して「嫌なことに合わせる」ものでもなければ、「違う人を排除する」ものでもないと思います。)



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「我慢する代わりに気分転換やストレス発散をするのが良い」とアドバイスする人もいます。

ストレス発散という言葉は、優しい人には少し攻撃的な表現に聞こえてしまうかもしれません。

今度は「そのストレス発散や気分転換のやり方が分からない、そんな自分は駄目なんだ」と更に自分を責めてしまう人もいるかもしれません。

私は専門家ではありませんが、おそらく気分転換やストレス発散とは、心の靄を一時的に忘れたり、デトックスのように取り除くための方法で、
それでも過剰のストレスにより心の靄が溜まってしまった状態では、取り除けるものとそうでないものがある気がします。
(おそらく、取り除けなくなっている時は心が毒にやられて病み始めている状態なのかなと…。
手遅れになると、ストレスという毒で体の神経細胞がやられてしまいます。)
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嫌でも我慢しているとき、我慢させられているとき、エネルギーは消耗しています。
本来、優しさは、誰かにも分け与えることで幸せの連鎖を作っていけるものであり、
我慢によって消耗されるべきものではないと思います。

それを利用する人がいるなら、離れるべきだと思いますし
自分さえ良ければ良いという人のために、心を痛めてはいけないと思います。


見返りを求めないこと、人に与えようとする心は素晴らしいことですが
それに対して何も思わない人に尽くしても、エネルギーを奪われていくだけです。

ア○パンマンがお腹を空かせた人に見返りなく顔を分けてあげるシーンも有名ですが、
新しい顔を焼いてくれる人がいなければ、いずれ顔がなくなってしまうでしょう。
そんな彼に対して「しめしめ^^」と近づくキャラクターがいたら、誰しも嫌悪感を持つのではないでしょうか?


探せば相談に乗ってくれる人もいるかと思いますが、
相談したことによって、むしろ相手の言葉が気になって自分の心の声が聞こえなくなってしまっては元も子もありません。
どんなに有り難いアドバイスがあったとしても、結局のところは

「それはそれ。これはこれ。」
「相手は相手。自分は自分。」です。
あなたはあなたに優しくしてあげましょう。


長くなりましたが
自己犠牲が強く優しい人が傷つきすぎないよう、
そしてそんな人がつけ込まれないよう、ここに書いたことが役立てば幸いです。


後日、心の声の聞き方についても書いてみたいと思います。

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