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私はあの頃、ルックバックの藤野だった

 Amazonプライムにて、藤本タツキ先生の作品「ルックバック」の視聴がスタートした。

↑アニメタイムズ公式より(本予告)

 視聴し始めた瞬間、私は体から血の気がスッと引いていくのを感じる。理由は、主人公の藤野が漫画の才能に嫉妬した「京本」への対応が、昔の自分とそのまんまだったからだ。

 「読書感想文、読んだよ。凄いねぇ」

 中学生の頃、友達から唐突に声をかけられた。友達の目は、きらきらと輝いていて宝石みたい。純粋な眼差しは、あまりにも真っ直ぐで、私は思わず狼狽えた。

 彼女はクールな雰囲気の子で、滅多に人を褒めるタイプではない。いや、周りの人を褒めるというより、もっと遠くを見ていた気がする。哲学とか、地球が抱える課題とか。

 彼女の口から発せられる話は、いずれも共感を得られるものではなく。どちらかと言えば、彼女のアイデンティティに纏わるものが多かった。難しい話が多いので、いつも「ふぅん」「そうなんだ」とだけ答えていた。

 あの子、人を褒める子なんだ。というか、私にもちゃんと興味があったんだ。褒められた瞬間、嬉しくて頬が綻ぶ。

 友達が読書感想文を褒めてくれたのは、学校の文集に友人と私の作品が選ばれたからである。私は自分の作品が載ったことで、すでに満足していたし、承認欲求も満たされていた。

 我ながら、傑作を書けた。文集には当然の如く選ばれるだろう。今思えばかなり傲慢な女子中学生だった。もちろん、他の作品は一切読んでいない。

 その一方で、友人は他の作品も拝読し、いい作品を書く人には、自ら声をかけていたのである。積極的なタイプではなく、むしろ滅多に心開かないタイプだというのに。

 当時の私は、評価されたらゴールだと思っていた。けれど、彼女は評価を「スタート」と捉え、他の作品も勉強のためにと目を通していたのだ。

 この時点で、みなさんお分かりだろうか。伸びる人、そうじゃない人との違いというものを。

 藤野が京本の実家に出向き、幾多にも積み重なるスケッチブックに目をやる瞬間。天才と思い込み、自らが敗北を感じた相手が、圧倒的な努力をしていたことを知る。

 スケッチブックの数を見て、自分にここまでの努力ができるのだろうか。あの時、藤野が感じた戸惑いと、似たものを昔感じていたことがある。才能のせいになんかできない。

 努力が自分には、ただ足りなかっただけ。その現実を突きつけられる瞬間を思い出し、呆然としながら私は画面を見つめ続けた。

 彼女とは部活が同じだったことと、家の方向がたまたま一緒だったという理由により、一時期一緒に帰っていた。

 彼女からは褒められるよりも、「それはやっちゃダメだよ」と諭されるか、または「大丈夫?」と心配されるか。そんな感じだった記憶がある。もはや同級生というより、親じゃないか。

 あの子が褒めるなんて、よっぽど私の読書感想文は良かったんだろうか。文章の才能、あるのかもしれない。へへへ。そう天狗になりかけた鼻は、すぐにへし折られる。

 文集には、私と彼女の感想文が仲良く並んでいた。彼女の作品を見るなり、みるみる真っ青になる。体中に電気がビリビリと走る感覚。そして、途端に自分の作品を真っ黒に塗りつぶしたくなる衝撃。

 こんな凄い作品の隣に、私のものが並んだら比較されて笑われてしまうだけじゃないか。恥ずかしい。穴があったら入りたい。彼女の作品を読み終えるなり、私はそう思った。

 あの頃の私は、素直に彼女を褒めようとしなかった。完全敗北。悔しい。私は負けたのだ。でも、それを認めたくなかった。

 彼女を褒めたら、負けを認めたことになる。だから必死に歯を食いしばる。今思えば、そう思った時点で既に負けだった。彼女の素晴らしさを認め、讃えることで、一歩前に踏み出せたかもしれないというのに。

 彼女に対する対応は、ルックバックの藤野と全く同じ。お恥ずかしい限りではあるが、彼女に褒められた瞬間、少し偉そうな態度もとった記憶がある。そんな私に対し、彼女は苛立つこともなく、終始ニコニコしていた。

 敗北による悔しさを胸に隠しつつ、精一杯の強がりで対応する。友達の対応も京本ほどビクビクはしていないけど、目を輝かせて話す感じはよく似ていた。

「どうやって書いたの?」

「みんな、本の感想を書くでしょう?だから私は、本の感想を書くんじゃなくて、私の思いを一気に書いたの」

 友達はそう言って、屈託なく笑う。読書感想文なのに、本の感想を書かずに「自分の思い」を書いて選ばれてしまうとは。発想も斬新だし、その想いを形にできる力も凄い。何もかもが規格外すぎて、私は言葉を失った。

 読書感想文について語る彼女の表情は、とてもきらきらしていた。書くことも、読むことも。本当に好きなんだろうなぁ。悔しいけれど、彼女は私の文を褒めるのも抜群に上手かった。隅から隅までしっかり読んでいること。そして、リスペクトも感じられる感想だった。

 あなたの方が、はるかにずっと凄いのに。どうして、そんなに素敵な感想まで人に伝えられるのだろうか。私はあなたに結局、何も言えていないというのに。

 それから何年かしたのち、彼女は大きな賞を取り、作家になった。

 どういう形でかはわからないけど、彼女はいつか大物になるかもしれない。そんなことをぼんやりと思っていたが、まさか本当に作家になるとは。

 本屋に立ち並ぶ彼女の本に、そっと手を取る。分厚い書籍は、ずしりとした重みを感じる。この本を仕上げるまでに、一体どれだけの時間がかかったのだろう。

 隣で一緒に自転車を漕いでいたあの子は、今やすっかり遠い存在になってしまった。

 ルックバックを見た瞬間、走馬灯のように当時を思い出す。あの頃の私は、確かにルックバックの藤野だった。後悔していることといえば、あの時にちゃんと彼女を褒められなかったこと。

 今は、言葉によって誰かの背中を押すパワーがあることを理解している。彼女の場合、私じゃなくても誰かが褒めてくれたかもしれないけど。

 少なくとも私は、彼女に「良かったよ」と褒められたことを30年経った今でも覚えている。この言葉に支えられてきたからこそ、私は今「ライター」という形で文章に携わる仕事をしている。

 今では、気づいたら忘れないうちに人を褒めるようにもなった。もしかしたらその言葉が、誰かの心の支えになったり、救いになるかもしれないから。そう信じて、私は今日も言葉を紡ぎ続けている。

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