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映画「ルックバック」

島の小さな映画館

相川の京町通り、静かな民家が立ち並ぶ中に、島唯一の小さな映画館がある。
古民家を改装して造られた、「ガシマシネマ」さんだ。


月替わりで映画を上映しているというその映画館に、ずっと行きたいと思っていた。
次男が生まれてからいろいろありすぎて、時間にも心にも余裕がなくて行けずにいたのだけど、今月は這ってでも観に行かねばならない作品があり、ついに昨日初鑑賞を叶えてきた。

「ガシマシネマ」のフォントが良い
注文&喫茶&上映待機スペース
古箪笥の上にスピーカー。良過ぎる

座卓のところに座って観ることも出来るし、いろんな種類、配置の椅子から自分の好きな場所を選ぶことも出来る。
私と長男は事前に予約していたので、スクリーン正面の良席を確保してもらっていた。
予約なしに入っても大丈夫とのことなので、次回はフラッと入って自分で好みの席を探すこともしたい。

劇場特典と子どもへのサービスドリンク

私達含めて8名くらいが劇場内にいたと思う。夏休み効果で、これでも多い方なのだとか。
みな各々ドリンクやスイーツを注文し、近くのテーブルに置いて鑑賞中に飲食も出来るスタイルだった。私も次回はドリンクとスイーツを注文しようと思う。

まぁ、とにかくこの空間の全てが素晴らしくて、映画が始まる前から私の胸は高鳴りっぱなしだった。

映画「ルックバック」感想

藤本タツキ氏の短編漫画「ルックバック」を原作とした、アニメーション映画。
私はジャンプ+というアプリでその漫画を読んだことがあり、ストーリーは知っていた。(と言っても昨日の時点で細部はほぼ覚えていなかったけど)

漫画の時点で泣いた私が、映像化されて泣かないわけがない。
というわけで、覚悟の上でカバンにティッシュをたくさん詰め込んで臨んだ。
結論から言うと、それでもティッシュは全然足りなかった。
ここから先はネタバレ全開で感想を書かせてほしい。

最初から最後まで、劇伴の音楽が素晴らしかった。心情に寄り添うように作られた耳心地の良い音。
あまりにも良かったので、サントラを今朝からずっと聴いている。
小さな劇場ながら音響が素晴らしく、感情を揺さぶる音に全身を包み込まれて、タイトルが出た時点でもう泣いていた。
学年新聞に載せる四コマ漫画を、何度も何度も描き直す藤野(小学四年生)の後ろ姿に重なるタイトル。いや、泣くでしょ。普通に。

漫画では、この冒頭のシーンは無い。
完成した四コマ漫画と、「あーこれ?5分くらいで描いたけど?」と天才を気取る藤野の姿から始まる。

ところが劇場版では、夜遅くまで試行錯誤して何度も漫画を描き直す様子から始まった。
そして、藤野の脳内ではこんな映像が流れていたんですよ、という四コマ漫画のアイデアの元となったシュールな映像も流れる。
たった四コマの漫画にも、これだけの想像力と、それを白紙の上に落とし込む努力があるのだ。読み手がそれを20秒足らずでパッと読んで終わりにしたとしても。描き手の苦悩や血の滲むような努力に気付かなかったとしても。
いやー、よく出来てる。世界中のすべての絵描き達に見せたい。

この映画の作画は、すごく漫画の線に近いなと感じた。デジタルの整った曲線ではなく、クリエイターの魂を感じる、見ていて心地の良い手描きの線。
生き生きとした動きのある絵。すごく好き。

藤野が余暇の全てを費やしてスケッチブックに絵を描きまくるシーンも良かった。音楽と、過ぎ去る時間と、積み重なる努力。グッとくるよね。
一度それを全てやめてしまって、空手に通ったり、家族と映画を観る時間、友人と過ごす時間が増えるのもリアルで良い。圧倒的な才能の前に心が折れる経験をしたことがある人は、大いに共感するところ。
でもそういう寄り道もまた制作の糧になるということを、私は知っている。きっとみんなも知っている。いやほんと恐ろしい作品だわ。

どんなに頑張っても敵わない画力の京本から、とんでもない羨望の眼差しを向けられた藤野が雨の中を無茶苦茶な動きで走るシーン。大好き。ヘタクソなスキップ。描きたい気持ちが募り、夢中で部屋に書き込んで漫画を描く背中。
もちろん泣いた。

二人で漫画を描く様子、コンビニで入賞を知る描写、街に繰り出して遊ぶ二人。どれも良かった。
10万円でお家が買えちゃうと思ってるあたり、まだ子どもで可愛い。思いっきり豪遊するつもりでお金を使ったのに五千円程度で済んでしまうのも可愛い。
まだ若いのに、自分の力を信じて、お互いの才能を信じて一緒に夢を追いかける姿は、とても眩しかった。羨ましくもあった。
あんな風に自分の力を出し切る経験が自分にはあっただろうか、と思ってしまう。

そのひたむきでキラキラした少女時代から、道を違えた二人。連載漫画家となった藤野と、美大生になった京本。
隣にはいないけど。二人で作品を作ってはいないけど。二人とも、絵を描き続ける。
電話口で「京本みたいな」とは決して言わない藤野だけど、求めるものを全て満たすアシスタントは、京本以外にはいないと思っているんだろうな。

というところからの、事件を知らせるニュース。母からの電話の着信音。携帯を落とす音。
どれもこれも心臓をギュッと潰されるようだった。

自分が漫画を描いたせいで京本が死んだ、と考えてしまう藤野。辛すぎる。
破いた四コマ漫画の「出てこないで!」だけが扉の下に入り、過去の京本に届く。
ここでもう一つの、あったかもしれない人生の分岐が生まれる。

京本があの日部屋を出なかった場合の世界線から届く、一枚の四コマ漫画。なんてドラマチックなんだろう。
追いかけた背中に、預けあった背中に、共に過ごした過去に、違う運命があったかもしれない過去に、想いが駆け巡る。

中学生の藤野の部屋に貼ってあった、映画「バタフライ・エフェクト」のポスター。過去に戻ってやり直すたびに未来が変わってしまうというSF物語のポスターが、この展開の暗示にもなっていたわけだ。
「時をかける少女」のポスターもあったような気がしたんだけど、細部までじっくり見る余裕が無かったので二度目の鑑賞時にまた確認したい。時をかける少女もまた、過去を何度もやり直して未来を変えてしまうという話である。

あの日描いた四コマ漫画が変えてしまったかもしれない未来。
あの日四コマ漫画を描いたおかげで過ごせた二人の時間。
どんな想いで藤野はその“存在するはずのない四コマ漫画”を受け止めたんだろう。
両方の未来を見せられたこちら側としては、泣くしかないわけだが。

思い出す京本との時間。京本の笑顔。描いて、描いて、描きまくった二人。
きっとまた一緒に漫画を描くつもりだった。藤野も京本も。
その未来が突然理不尽に奪われた怒りや悲しみに、心が壊れてしまいそうだ。こんなに悲しいことがあるだろうか。

それでもまた立ち上がり、机に向かい漫画を描く藤野の背中。
悲しくても、怒りで苦しくても、やるせなくても、悔やんでも、描き続ける。
二人を繋いだ四コマ漫画を窓に貼って。

この映画は、クリエイター達へのエールであり、賛歌であり、祈りのようなものでもあるように感じた。
描くことを楽しんで。一人でも、誰かと一緒でも、何かに打ち込む時間は素晴らしいと知って。苦しくても続けるその美徳に気付いて。そしてどうかその筆を、理不尽な暴力や言葉で折られませんように。

エンドロールに流れるたくさんのクリエイターさん達の名前を見ながら、それらの重みをしかと受け取った。
ただ流れていく名前ではない。その人達がこのエンドロールに載るまで、それぞれの物語があり、その名前の裏にはかけがえのない人生がある。

絵を描く人だけに限った話ではない。文章を書く人達、音楽を作る人達、服をデザインする人達。
その道で成功した人も、志している人も、挫折した人も、趣味で楽しんでいる人も、一人残らずクリエイターであり、積み重ねた日々は尊く美しい。

私達は、常にそのことを忘れてはいけない。
名も知らぬ人々とすれ違う日々の暮らしの中で。
匿名の人間同士が言葉を交わす世界で。

長男と話したこと

映画を観た後で、長男の感想を聞けたらと思ったけど、どう聞き出したらいいのか分からず、とりあえず話したくなるまで待とうと思った。

もしかしたらよく理解できなかったかもしれないし、グズグズ泣いている私と真逆で涼しい顔をしてサイダーを飲んでいたので、感傷的になりにくいタイプなんだと思う。
ガーディアンズオブギャラクシー2でも泣いてなかったし。

結局そのまま、映画館を出て買い物をして、いつも通りの日常に戻った。
それでも私はこの映画を一緒に観られて満足だったし、いつか打ち込める何かを見つけた時に、心のどこかにこの映画が残っていて思い出してくれたらそれでいいと思った。
あるいは、何か映画館で観ながらサイダー飲んだな、という記憶だけでも。それでも良かった。

ところが、その日の夜、眠りにつく直前にふと長男が言った。

「僕、カービィのアニメが見たいんだよね。でも無いから、自分で作ろうかな」
「アニメを作るの?いいね」
「どうやって作るのかな?今日もらったあの紙(入場者特典の絵コンテ)みたいなのをまず描けばいい?」
「そうだね。ざっくりストーリーを決めて、場面ごとの絵を描いて、それを繋げるために何千枚も絵を描くことになるかな」
「そんなに?」
「そんなにだよ。今日見た映画もそうやって何千枚も何万枚も絵を繋げて動画にしてるんだよ」
「凄すぎて意味が分からない」

長男は以前、カービィのぬいぐるみをちまちま動かして写真を撮り、それを繋げてコマ撮りアニメを作ったことがあった。
5秒程度の動画にするために、何十枚も写真を撮って。

その時の話をして、「あの時写真で撮ったように少しずつ動かした絵を描いていって繋げればアニメになるよ」と教えたら、理解できたようだった。

「僕にもできるかな」
「出来るよ。スケッチブックを何冊も埋めるくらい絵を描く力が、あなたにもあるんだよ」
「ある...かなぁ〜」

半信半疑といった反応が返ってきたけど、私もアシスタントやるからさ、と言ったら、ちょっと安心したみたいに「いいね」と返ってきた。

息子なりに、何か心に残ることがあったんだなぁ。嬉しいな。
一緒に観に行けて本当によかった。

きっとこの鑑賞体験は、私の宝物になる。時折思い出して、また浸ろう。

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