朝香ゆう
日々のこと。
札幌でバンドをやっていた時によく行っていた場所を写真に収めて歩いた。 様変わりしていたけれど、 楽器屋さんへ用もなく行って、機材を眺めてロッテリアでぐうたらして、スタジオへ行って練習をして、翌日ライブハウスへ行きライブをするようなそんな日常だった。 バンドをやめて、点をなぞるように巡ったのは初めてだった。 ありていに、楽しかったことや苦しかったこと疎外感に苛まれていたことが浮かんでは消えた。 無性に寂しかったのを今でも覚えている(それは今も変わらないのだけれど) こ
PIERROTとDIR EN GREYが対バンする。 というPIERROTがPRIVETE ENEMYを出してた頃からは考えられないイベントが再度行われた。 中学生くらいのころ、MAD SKYをGEOで買ったのをいまだに覚えてる。そこからクリアスカイ、ハルカ、ラストレターと買ってはスコアも買ってコピーしたりと生きていた。 同級生はゼリ→とかのコピーをしていたのを覚えている。 ファン同士のやり取りも手紙やFAX、そして電話でしていた。ファン同士のコミュニティの会報誌みたい
400m 何も無かった、つい数時間前までは。 存在そのものが希薄に漂っていた。 「別に可愛くないよ、死んだ方がいい笑」 ふいに投げつけられた言葉、 数分考え込んだあと私は、この言葉を吐いた人の呪詛になろうと思った。 生き甲斐が、生きていた理由がようやく出来てホッとした。私はこの人の呪詛になるために死のう。 生きていた理由と死ぬ理由は同義だ、 私はこの人の呪詛になるべく生きてきた。 薄っぺらい好意ばかりを投げつけられる、画面越しの純度100%の悪意に塗れた下心。スマ
旧友と会った、何年経っても何も変わらない。 「面白そう」を軸に僕のことを捉えてくれるので楽しい。 そんな友人とアクセサリーを揃えた。 Tiffanyで目当てのものを見ていて、同じのください。と行った時の店員の表情が一瞬、ほんの一瞬興味に傾いたのを見逃さずに「昔からの友人なんですよ」と彼が告げたことが今になって面白い。 弦を買うかのような気軽さで買ったことも面白い。 当たり前なのだが、バンドをやっていた頃のほうがお互いにストレスを持っていたように思う。バンドが解散してから
たかいたかいビルの屋上 見上げれば、口を大きく開けた鯨の群れ きいきいと喚く哺乳類 私を削いだお前たちの醜い言葉 ぱらぱらと陽が浮かんでは消えていく 金平糖のような雨空と 霰のような星空をグラスに入れて混ぜた 紙を破く度に綻んだ目の色 雷鳴はどこまでも泳いで軌跡すら残さなかった 美しい、と呟いた 口は裂けて、喉からたくさんの花が咲いた 美しい、と思った 骨は溶けて、あらゆる血肉から花が咲いた 受粉しあう其れらが蕩けている あらゆる引き算が行われていく最中で、私は
とある本を読んでいる、世の中執着に塗れたひとばかりだなと思った。 昔の自分、認められていた時の自分、自分に自信があった時の自分、楽しかった時の自分。 同じ場所で足踏みをしていて土壌がぬかるんだことにすら気づかずに自分で作り出した泥に嵌る。 そうして、辛い助けて、と繰り返す。 差し伸べられた手は手を引っ張ることしか出来ない。 そうして、痛い痛いと手を離される。 そのくりかえしを何度も何度も何度も見てきた。 狂うことすらできずに潰えていく。
書く気力が無いので落書き。 怒りとコントロールマニアと執着固着(アディクション)についてまとめる。 思考の先には絡まった糸が解けるイメージを持つ。 アンテナショップ、海、嘘。 何かをする時にはイメージを持つ、自分に対してのコントロールしすぎもよくない。が受動的すぎるのもよくない。 結果論ではあるものの、環境2割。自分8割くらいの感覚値 ブレスレットは毎回つけ方が謎なのにつけられる
生きにくい世界だと知覚している と同時に、小学生でもわかりそうなことを大人がなぜ理解出来なくなるのだろう。と同時に思う。 悪いことをしたら謝る、相手を理解して接するなどなど。 正確にいうと大人ではなく、思春期がひと段落ついた頃だと予測している。 所謂今の社会には過剰な防衛と攻撃が共存しているし、有名人なら何を言われても仕方ないという悪しき習慣が更に悪化して顔も見えない相手ならお互いに何を言われてもノーダメくらいに悪化しているように思う。 何故だ、と考えた時に、 SN
八月の早さを感じる、いまだに海を見ていない。 出かけた時に背中に太陽を浴びてあまりにも暑くて具合悪くなってしまった、残暑に行こうかな。 同世代のバンドマンの訃報を目にして、当時リハーサルを見て格好良くて嫉妬して本番を見れなかったことを思い出した。 なんというか、ロックな佇まいがそこにあって羨ましいなぁというのがあった。 交流はなかったものの、なかなかにショックが大きい。 早すぎると思うし、なんで、とも思う。 が、退いた今何かを告げることもなんだか、というのもある。
「たまには楽しそうだしいいんじゃない?」 そう思えればきっとよかったのだろうけれど、 例えばデザインや写真をどこかで辞めていたとして、それならば「楽しそうだしやろうかな」と、なっていたと思う。 けれど過去に組んでいたバンドでステージに上がる行為は「たまには楽しそうだしいいんじゃない?」で片付けられなかった。 当時は鋭利さを持っていたし、ステージ上だからこそ表せられることがあった。メイク然りパフォーマンス然り。 それが無いままで、いや、あるようにみせることはできるけれど
今日何回目のシャワーだろう、と思いながら男の身体を洗っていた(50代くらいだろうか、肥満体型だ) 安物のボディソープで荒れていく肌と、汚さすら感じる肌がこすり合っていく。 ホテルのシーツはパリッとしていて好きだ。よそ行きの感じがする。家に呼ばれると最悪だった。いつ洗ったのかと問いたくなるようなシーツの上で裸になるのは別途料金が欲しいくらい。 この後もロングで新規が入っている、早く帰りたいな。帰ったらなにしようかな、入れたがる客を躱しながらそんなことばかり考えていた。
7月を振り返ろうの会。 なんにせよ本を出そう、と思い第一に力を貸して欲しい人に力を借りた。 思うように書けない日々が続くも、突発的に書いていたりする。 背景を書き込もうとすると、どうしても舞台になり得る土地に行きたくなるもそんな余暇は案件が立て込んでいる最中では作れないので、削るか話をシンプルにするかとなっていく。 削ると書きたかったことが、伝わるのか。 ストップ、 伝えたいことがあるのかどうか、そもそもが怪しい。 感情や過去の揺れ動く様、ある種のリアリズムと幻
ジンソーダを頼む度に、ジンを飲んでいた彼の人を思い出す。 思い出したくないわけではないけれど、とレモンサワーを注文した。 美味しくないお酒ってこんなに美味しくないんだ、炭酸の抜けたレモンサワーに口をつける。 こんなことならジンソーダを頼めばよかった、と余計に思い出しながら飲み干した。 外は相変わらず蒸し暑く、高層ビルを背に、コンビニエンスストアの前で缶チューハイを飲んだり、パンを食べたり、する人、想像する東京がそのままにあった。 様々なアーティストが東京を題材に作品
回るものたちとその哀れ 「地球が自転している、何人もの気狂いが犠牲になり地球が回っている。」 と言い続けたことを思い出した。 地球が回っていようが止まっていようがどうだってよかった。 飲み屋で煽った粗悪なハイボールが胃を熱くする。 視界が廻っている。視界が回っているのか、自分が眼球を中心に回っているのか。それもどうだってよかった。頭を否応なく叩き続ける金槌は夜の帳と共に打つことをやめた。 空が明るくなれば、目が覚め、空が暗くなり、喧騒が遠ざかって他の国を囃すころに眠
夕方に差し掛かる手前(まだ6時間前しか経ってない、本当に?)に、出かけたくなり休日しか着れない半袖で梅雨梅雨しい中カメラ、パソコン、を持って出かけた。 電車の中で軽く仕事をして、適当にシャッターを切って、スキニーでも買おうかな。と電車に乗り込んだ。 座ってパソコンを開いてひとつ、ふたつと簡易なタスクをこなしていると長めのナロータイが座った時に引っ張られていたせいか首が軽く締まっていたようで浦和駅(都心に行くほどやる気がなかった)に降り立った時にはグロッキーそのものになって
ガリガリと皮膚を削り形や色を流し込まれながら、痛みから逃れようと「あとでこれを調べよう」をたくさん思い浮かべていた。 脱衣所のような湿度めいた外に触れた途端「あとで調べようリスト」は雨に滲んで火傷のような痛みだけが残った。 電車に乗り込むと湿度は匂いと混ざり合い最悪だった、最悪な人混みを運んでいる列車は健気だ。 詰まった排水口が機能を取り戻したかのように、人が放出されていっては、寄せる波のように戻ってくる、牛の反芻もこんな感じなのかな、と疲れと眠気に微睡みながらキイ、キ