平凡社にお願い。最も読みやすい訳である吉井勇訳『源氏物語』を文庫にしてください。できれば注解も加えて。
『源氏物語』の最も読みやすい現代語訳は何か?
『源氏物語』を読み始めようとすれば、どの現代語訳が、短くて、わかりやすい、と誰でも調べる。なぜなら、『源氏物語』はこの裏返し、原文では読めず、長くて、わかりにくい、と知られているからだ。
この課題をすべて解決した現代語訳がある。
吉井勇訳『源氏物語』平凡社 (以下では『吉井源氏』と称する)
という抄訳版である。ほとんど知られていないが、卓絶出色な現代語訳である。
この記事で取り上げた日本文学朗読YouTuber シャボン朗読横丁さんがすでに全編朗読をアップロードしている。つまり、著作権保護期限が過ぎている作品なのだ。
わたしは、田辺聖子『新源氏物語』がらみで、どこかで知ったのだと思うう。
吉井勇さんは1886年 - 1960年 であるから、谷崎潤一郎(1886年 - 1965年)と同世代である。吉井勇さんの作品を、この抄訳『源氏物語』でしか、しらないのだけど、Wikipediaには歌人であったとある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉井勇
吉井勇さんの作品は著作権保護期限がすでに切れており、青空文庫にはいくつか作品が上がっている。
残念ながら『吉井源氏』は上がっていないし、作業中でもない。
まずは、『吉井源氏』がどのような文であるかを、この動画で確認してほしい。シャボン 朗読横丁さんが朗々と語る言葉に、古さなど感じないはずだ。
『吉井源氏』は抄訳であるのだけれど、単にあらすじが述べられているだけではない。長大な『源氏物語』を270頁ほどに凝縮しつつ、内容に飛躍なく、自然な現代的小説として読むことができる。章立ては原作『源氏物語』とおりの54帖で構成されている。描かれる物語は、現代の作家が書けば、このようになるであろう純文学な『源氏物語』なのである。その流麗な文体には、耽美な詩人である吉井勇さん独自の雅致が漂い、谷崎潤一郎訳に劣らない美しさがある。
和歌を廃し、地の文に取り込んでいるのも特徴である。この特長は、田辺聖子さんが『新源氏物語』*1で用いた手法である。 平凡社版 吉井勇訳『源氏物語』ではあとがきを田辺聖子さんが書かれており、このことについてすこし触れられている。
*1 下記を参照のこと
https://ja.wikipedia.org/wiki/新源氏物語_(田辺聖子)
『源氏物語』では和歌が約800首*2 も登場する。これら和歌は『源氏物語』の魅力のひとつではあるが、実際は「慣れた人でもたいへん」なのである。わたしが瀬戸内源氏を読んでいたときは、和歌を飛ばし気味で読み進めていた。和歌は現代小説でいえば心中表現であり、現代的な手法では会話文や一人称として語られる。この意味で『吉井源氏』は現代的な『源氏物語』なのだ。
*2 和歌一覧を WEB: 源氏物語 和歌一覧 で見ることができる。
ところで『吉井源氏』は難点がある。それも致命的に。
注解がないのである。『源氏物語』では有職故実*3 が出てくる。むしろ、時節の有職故実に沿って物語が進められる。平安期では常識であったため、原作『源氏物語』では説明なしに有職故実な語句が現れる。多くの現代語訳では、語注などでこれらを解説している。下記の本も、有職故実の説明にほとんどの頁を費やしている。『源氏物語』のアルティマニアがあるとすれば、そのエリアマップ、アイテム、魔法が有職故実といっていい。
*3 宮中・貴族で行われる、儀式、制度、官職、習慣などのこと。
https://ja.wikipedia.org/wiki/有職故実
『吉井源氏』には有職故実の説明がない。その解説は、古語辞典で調べると載っているし、辞典巻末「年中行事・祭事一覧」を見れば解決する。『源氏物語』を若干でも読んだ後であれば、このようなタームを処理できるように頭が再構築されている。しかし『源氏物語』を読み始めたばかりの読者が、この手間を都度行うだろうか。
さらに、『源氏物語』の時代である平安期での医学と宗教の関わりを把握できるか、という懸念がある。『源氏物語』では、病気になれば修法・祈禱が行われる。
こちらの記事に書いた「瀬戸内源氏オーディオドラマ」では読経のシーンが頻繁に出てくる。平安期では、お経によるプラシーボ効果に強烈な信奉があったようだ。お経がバッハのミサ曲のように聴こえていたのだろう。
このような背景を『吉井源氏』では説明されていない。そのため、WEBや『平安大事典』(「信仰」の章)、などの媒体であらかじめ調べていたがいいだろう。「異世界転生もの」のように、特殊な儀礼と割り切ってしまうのアリだけれども。
現代人に向けて、さらに読みやすくした『田辺源氏』
は『吉井源氏』の増補版といってもいい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/新源氏物語_(田辺聖子) に書かれているとおり、大胆に補填と割愛をして、現代小説の文体でアレンジしている。また『吉井源氏』同様に、和歌は心内語・会話文に換えている。注解なしでも読みとおすことができる。
瀬戸内寂聴さんが「当代女流の中では田辺さんほど古典を読見込んでいる人はいないだろう」といっている。田辺さんにとって、この『新源氏物語』の企画は<おいしい仕事>だったとのことである。
たしかに、『田辺源氏』を読むと『源氏物語』が明らかになっていく。『源氏物語』解説本を読むよりわかりやすいかもしれない。
『源氏物語』の挫折ポイント2つ目に、『源氏物語』の帖(章にあたる)の間の不自然な飛躍がある。代表的な箇所は藤袴~真木柱であろう。真木柱に入った途端に、状況を掴めず、誰でも混乱をしてしまう。何かがスキップされているのである。
『源氏物語』にはこのような欠落は至るところにあり、『谷崎源氏』『瀬戸内源氏』『角田源氏』などの現代語訳で読みつつ、調べつつしていると(本文で解説されていないため)、疲れて挫折してしまう人もでてくるかもしれない。
『田辺源氏』ではこのような「省略」が補われている。『田辺源氏』での、現代人の感覚にあわせた展開であれば、この帖は結局どういうことだったのかが浮かび上がってくる。『源氏物語』2巡目の「謎解き」に『田辺源氏』は好適なのである。
本文に入れ込まれた解説が明瞭なので、第三部にあたる『霧ふかき宇治の恋』上下(新潮文庫)からでも読み始められる。そうして『田辺源氏』をつかえば第一帖からでなくとも、『源氏物語Zero』として光源氏の第一部、『源氏物語スピンアウト』として玉鬘の第二部、と順番を自由に分けて読むこともできる。
この帖ごとの不自然なつながりは、これはこれで興味深い研究対象らしい。
玉鬘系・紫上系から見いだせる、『源氏物語』の執筆順序の謎というべきか。詳しくは https://ja.wikipedia.org/wiki/玉鬘系・紫上系 を見てほしい。ただし、完読する前では、『源氏物語』の構成の奇異さを認知できないはずである。この謎を解明していく過程を小説化した
も『源氏物語』を読み終えた後の楽しみのひとつだろう。わたしは『源氏物語』に手を出すまで、この『輝く日の宮』にまったく関心を持っていなかったが、『源氏物語』を読み終えた後では一気読みするほどの面白さだった。なお、『輝く日の宮』では丸谷さんの独特な言葉遣いに、出だしで面食らうかもしれない。泉鏡花に紛う冒頭だけれど、顕著にでてくるのははじめだけで、すこし読みすすめるとその韜晦の謎が明かされる。
『輝く日の宮』では、難読な冒頭にはじまり、いくつかの謎解きが行われ、すぐには『源氏物語』へと進まない。
と徐々に『源氏物語』に差し掛かってくる。
「その前は粗筋でいい」と提示される読みに際して、『吉井源氏』と『田辺源氏』はズルのないチートとして役立ってくれる。『若菜』だけでも『谷崎源氏』や『瀬戸内源氏』に読み替えても、『源氏物語』の面白さは揺るがない。『源氏物語』には大洋のような大らかさがある。
最後に
平凡社にお願いがあります。吉井勇訳『源氏物語』を文庫にしてください。文庫化の際は、注解も加えてください。
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