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【H】諸省庁の争い—中野剛志『入門 シュンペーター』を読む(前)
今回の記事は中野剛志の最新刊『入門 シュンペーター』の読書録の前編である。
前編の今回は、本書の内容に踏み込む前段階として、本書を「諸省庁の争い」という文脈に置いてみたい。
1、諸省庁の争い―Der Streit der Ministerien
中野氏については、以前に「新しい京都学派」について論じた以下の記事で簡単に触れたことがある。そこで私は「新しい京都学派」の四天王のうちの一人として、一時京大にて准教授だった中野氏を挙げておいた。
さて、京都の積極財政派を「京都学派」という呼ぶこと自体が、上の記事を『インサイド財務省』の引用から始めた通り、財務省主計局の流儀である。再度引用しておこう。
新たな警戒対象として財務省が意識するグループもある。「京都学派」。京大教授で安倍ブレーンの内閣官房参与を務めた藤井聡と、京都選出の西田昌司自民党参院議員を、予算編成を担う主計局ではこう呼ぶ。
そこで、本記事では中野氏の『入門 シュンペーター』を読むにあたり、事態をカントの『諸学部の争い(Der Streit der Fakultäten)』をもじった「諸省庁の争い」という観点から眺めてみる。
1-1、財務省の緊縮財政路線 vs. その他の省庁
中野氏を准教授として招聘した京大教授の藤井氏は土木学者であり、その立場は国土交通省をなんらかの程度で代弁するものとみてよいだろう。他方の中野氏は経済産業省の官僚である。
つまり、ことは財務省 vs. 経産省・国交省ということになる。財務省の緊縮財政路線のなかで、公共事業が削減され、国交省が管理するインフラは劣化し、持続可能性が失われつつある。他方の経産省も予算制約のなかで、思うような産業政策が打てないのだろう。
ある意味で、経産省・国交省は財務省の緊縮財政路線の直接の被害者である。
ただ、こう考えるとき、他の省庁についても事情は同じなのではないかとも思う。
農林水産省だって予算が足りないだろう。農業の職業的魅力が小さいままで、就業者の高齢化が進む。日本の食料自給率は一向に改善せず、食料品の海外からの輸入への依存が激しい。
世界の人口増、気候変動、パンデミックや戦争等による世界的な物流混乱、シーレーン危機、世界の分極化過程で発動される経済制裁ないし兵糧攻めとしての輸出停止…そういった海外からの食糧供給を途絶させるリスクを考えるとき、この海外依存の大きさは大きな不安要因である。
石油の禁輸で半ばヤケになってしまった戦前の過ちを繰り返すようなことがあってはならない。
あるいは文部科学省はどうか。小中高に関して言えば、近年は学校教員の待遇があまりに悪く、募集しても定員が埋まらないというような話題をよく聞く。
大学に関して言えば、独立行政法人化されて運営費交付金が機械的に削減されたり、あるいは予算のいわゆる「競争的」配分が強化されたりしていくなかで、日本の大学が研究機関として地盤沈下していることも周知の事実である。大学教員の雇用は不安定化し、腰を据えた研究ができなかったり、あるいは競争的な予算の獲得のための事務作業に忙殺されていたり、というわけだ。
このように劣化を続けている教育と研究が、その実、国家の根本であることは論を俟たない。
比較的にマシなのは厚生労働省だろうか。ネット上でも国交省(インフラ)・農水省(食料)・文科省(教育・研究)の予算をもっと削れ!という意見はほとんど見ないが、厚労省の管轄である年金・医療関係の予算の削減を求める意見はしばしば見られる。逆に言えば、これまでそれほど予算が削られてきていないのだろう。
コロナ禍という擬似戦争的な緊急事態、政権与党を支えるシルバーデモクラシー、医師会の政治力、そして少子高齢化、そういった要因のために厚労省は緊縮財政下の予算削減を相対的に免れてきたのかもしれない。社会保障費の予算だけが年々膨張していることは事実だろう。
1-2、財務省の緊縮財政路線と主流派経済学との共鳴
さて、ここ三十年を振り返るとき、このように財務省 vs. 他省庁という争いを見出すことができるわけなのだが、ここで財務省と共鳴関係にあったのが主流派経済学だとみることができよう。
なぜ共鳴するかといえば、競争的な市場で達成される均衡を重視する主流派経済学によれば、競争的な市場で達成される均衡こそが最適な資源配分を実現するのであり、政府による規制や介入はそれを撹乱することにしかならないからである。
だから、主流派経済学は政府支出は少ないに越したことはないと考えるのであり、それが財務省の緊縮財政路線と合致したわけだ。
より仔細に見てみよう。
国交省の公共事業に関しては、まずは土建屋との非競争的な癒着が心配である。土建屋は競争せずに政治家と結びついて仕事をもらっているのではないか。そして、競争にさらされることのない政府が作るものなど、そもそも碌でもないものに違いない。
経産省の産業政策に関しては、市場ならぬ国家の産業政策は成功するはずがない。競争にさらされない国家にどの産業が伸びるかを見極める力などないのだ。
農水省の農業政策に対しては「稼ぐ力」を強調する。グローバルな市場競争で勝てないような農家は潰れてしまえばよく、日本国民は安くて競争力のある(が、いつまで安定供給されるかは不明な)海外産の食料を食べればいいのである。それぞれの国が比較優位がある産業に特化すること。それがどの国にとっても一番効率的なのだ。
文科省の教育政策についても同様である。大学も「稼ぐ力」をつけるべきであり、研究者はもっと「競争」すべきなのだ。それが良質の成果を生み出す。だから国家からの予算配分は減らし、競争的な予算を強化して擬似的な競争を作り出す必要があるというわけだ。
1-3、経産省のイデオローグによる21世紀の『経産省宣言』(?)
それにしても、話がわき道に深入りし過ぎたようだ。
このような話を通じて私が言いたかったのは、本書『入門 シュンペーター』は、このような財務省と主流派経済学の共鳴状態が「諸省庁の争い」で他の省庁を抑圧してきたことに対して、ある仕方で経産省のイデオローグであると思われる中野氏が放った反撃の一手であり、まさに21世紀の『経産省宣言』(?)とでも言える内容になっているということである。
その具体的な内容を、次回は追いかけてみることとしよう。
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