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400字エッセイ

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2021年8月の記事一覧

観音様との誓い

JR大船駅に近づくと、山の中から大胆に顔を出す真っ白な像に驚いて思わず声が出る。観光で鎌倉・江ノ島に向かう際は毎回だ。電車内から眺めるだけだったその観音像に、栃木から来た友人と向かった。 男女の性を超越した存在といわれる観音様だけど、街と人々を見守るような暖かい微笑みとふっくらした顔立ちをしている大船観音像が女性のように見える、という友人の意見に異議はない。 お寺の入り口までの急坂を元気なセミの応援歌に押されて登った。日本の夏はまだ終わらないんだという、悲しいけど嬉しくも

早朝に目覚めてしまったとき

目が覚めて恐る恐る時間を確認すると、目をつんざくような容赦ない光と一緒に3時30分という情報をスマホが教えてくれた。完全に目が覚めてしまっていることを大人しく認め、大袈裟なあくびと大きな伸びをする。 いつもより丁寧に布団を畳んだ。それだけで気分が良くなる自分に気づいて嬉しくなる。近くの公園まで散歩した。外は夜と同じ色をしているけれど、夜よりも落ち着いた音色が起き抜けの耳に優しく届く。散歩から戻ると、いつもは食べない朝食を用意する。茶碗一杯分の米を小鍋で炊き、豆腐とネギだけの

最初のプレゼントは形見でもある

親からの最初のプレゼントである名前。貰い手に拒否する権利はないし、ほとんどの場合、貰い手はプレゼントを一生捨てないことが決まっている。プレゼントを用意するためにお金は不要だが、親の人生で最も大きな覚悟が必要となる。考えてみると、これほど特別なプレゼントは他にない。 名前は最初のプレゼントというだけでなく、いずれは親の形見となる。それは、親が天に旅立った後、悲しくて寂しくて、何に寄り添えばよいのかわからない、そして今にも崩れ落ちそうになる気持ちを支えてくれるに違いない。だって

二度と味わえないこと

肌を突き刺すような日差しと、身体に空気がぬめっとまとわりつくような湿気が合わさり、立っているだけで汗ばむ毎日。こんな日々に、誰かに強制されたわけでもないのに、よく1日中外で野球していたもんだ。野球部というだけで「野球部?すごいね!」と周りの人に言われて不思議だったけど、不思議に感じていたのはむしろ向こう側だったんだろうなと今では思う。 ユニホームを着るだけで汗が吹き出すし、アップのメニューだけで吐きそうになるし、グランドに照りつける日差しが反射して目を焼きそうになる。しんど

なんでもやってみたあの頃

中学生のとき、古文を自分なりに現代語訳して短編小説を書く授業があった。小学生の頃から親の本棚から小説を持ち出して読んでいたこともあり、その授業に対するモチベーションは他の生徒より高かったことは間違いない。他の生徒が退屈そうにあくびする一方で、僕は上手く書けるだろうかと緊張しながらも、初めて小説を書く楽しさで気分が高揚してたのを覚えている。 書いた小説が学年の廊下に掲載されることになった。先生の気遣いから、名前は本名ではなくペンネームで公開されたので、他の生徒に僕が書いた小説

自分の気持ちを全肯定してやる

身体が、心が、または両方が疲れているなと感じるときがある。他人の言動を見て嫌な気持ちになるときもある。そんなときは自分の気持ちを素直に認めてやる。自分に嘘をつかない。疲れてるなー、あの人の発言が気に障ったなー、というように、自分が感じていることをそのまま自分で受け取ってやる。 自分の気持ちを素直に認めず、「おれは疲れていない、まだまだやれる!」とか「他人の態度が気にしてしまう自分がダメなんだ」とか思っていると、自分のことがどんどんわからなくなる気がする。自分がどんなときに疲

金曜日の夜

仕事が終わってスーパーに向かう。金曜日だからといって特別な夕食にするつもりはないのだが、スケベ心がいつもより多くの食料を買い物カゴに運びいれる。 変わり映えしない夕食を満喫した後、読みかけの本と一緒に湯船に浸かる。運動不足を少しでも解消したく、手で持つ本にしみこむまで汗をたっぷり流す。本の内容が頭に入ってこなくなるくらいにボーッとしてきたらお風呂を出るサインだ。 外から入る風を濡れた身体が受け止める。気持ちいい。つい先日まで、外に出るのが嫌になるほど風がモワッとしていたの

接客の可能性

スタバの700円ドリンクギフト券を貰ったのだが、いつもコーヒーかカフェレオしか注文しない僕にとって、ドリンクのみで700円というのは想像もつかない。豪華な弁当が一つ買えてしまうではないか。ドリンクを2つ頼むことも考えたが、せっかくの機会なので豪華なドリンクを頼んでみたい。店員さんにヘルプを頼むことにした。 入店するといつものように気持ちの良い挨拶で迎えられる。こちらも自然と笑顔になって挨拶を返す。素敵だ。このやりとりがどこでもあってほしい。 店員さんにギフト券の事情を説明

柔軟な発想ができるときを増やしたい

「これってもしかしたらこういうこと?」 「これはこうやって使えばよくない?」 人並みより柔軟な発想が多くできる人が心底うらやましい。ダイヤモンドより硬い(固い)頭を持っている自分がその機会と出会うのは貴重だ。柔軟な発想ができたと実感したときは、自分でも信じられない気持ちでスキップしたくなる。そして本当にスキップする。 思い出せる中で人生最初の「柔軟な発想」との出会いは炊飯器だ。ある朝、食卓につくと炊飯器が2つある。「こっちはご飯で、もうひとつの方は?」と恐る恐る開けると、

ミニマリズムとの出会い

出身高校は制服がなかったので私服で登校した。私服登校の高校生は皆、ある思い込みに頭を悩ませる。それは「私服パターンを最低5通り用意しなければ」だ。1週間の平日は毎日ちがう服装で登校しなければという使命感に駆られてしまう。ご多分に漏れずその思い込みにはまった僕も、何とか5パターン用意したのを覚えている。 しかし、5パターンもあると、5パターンの中で自然と順位付けがなされる。大好き、好き、そこそこ好き、など。そしていつの間にか、4パターン、3パターンと着るパターンが減ってくる。

愚痴ばかり言う父と、世界の未来

いつも不思議だった。 父は、満足できないサービスや不快な出来事に遭遇したとき、必ず愚痴を漏らす。常に愚痴を言うので、不快な気持ちを心の中に閉じ込めておくのが不可能なようにさえ見えた。一緒にいる人に愚痴を吐くだけではなく、あるときは当事者に面と向かって、不満足で不快な気持ちを皮肉をまじえて訴える。面と向かって皮肉られる当事者はもちろん、一緒にいて愚痴を吐かれる人も良い気分にはならない。そこまでして愚痴を言う父が不思議だった。 「クレームでもなく正義感でもない。ただ、おかしい

今日も今日とてオフィスに出社

小さい頃から、家で過ごす1人の時間が好きだった。暇さえあれば漫画を読んで音楽を聴いた。大人ぶるために両親の本棚から小説を引っ張り出して読んだ。友だちと遊んでいても、家に帰れる時間を気にする自分がいた。クラスではいつも活発でアホなことをやっていたし、ずっと野球部だったことから、周りからはよく「意外」と驚かれる。 今振り返ると、単に1人になれる時間が少なかったから1人の時間を大事にしようとしていたんだと思う。学校、野球部、大家族という大きな居場所に複数所属していたからこそ、1人

毎朝の宝くじ

毎朝、家から最寄駅に向かう途中で宝くじを買う。5つ買う日もあれば1つしか買えない日もある。大当たりの宝くじもあれば、不完全燃焼の当たりもある、もちろんハズレもある。当たることがわかっている宝くじもあるし、まったく予想がつかないときもある。宝くじを買うためにお金は必要ない。必要なのは少しの勇気だけだ。 毎朝、家から最寄駅に向かう途中ですれ違う人に挨拶する、そう、宝くじを買う。これほど気軽に楽しく、そして懐を痛めずに買える宝くじは他に知らない。 挨拶をしても無視する人がいる。

旅の最終日

朝目覚めると見慣れない天井が視界を占める。「ここはどこや?」という疑問が浮かぶ前に、旅に来ているんだと気づく。同時に、今日が旅の最終日であることにも気づいて寂しくなる。 また近いうちに会える人との旅もあれば、次に会えるのがいつなのかわからない人との旅もある。人生について語り合う夜もあれば、独りで考えこむ夜もある。すべてが予定通りにいった旅もあるし、突然の雨で予定変更を余儀なくされたこともある。 旅では綺麗な景色を楽しみ、贅沢なごはんを食べ、いつもよりお酒を飲みすぎる。飲み