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身近な人がコロナウイルスに感染して他界したとき その6 そして穏やかな時に戻った 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 海越しの富士山を愛(め)でながら穏やかな時が流れています。儀式に依るコロナウイルス感染者を出すことなく穏やかな時を迎えクリスマスや年末年始を安寧(あんねい)に迎える状況ができたという話。
(古典的ソリューションである宗教から無縁にした先に穏やかな景色が。)

 クリスマスや年末年始を間近にして、極めて身近な人が今回の感染拡大期に施設内でコロナウイルスに感染し、他界しました。残念でした。

 医療、看護、介護、祭礼関係者等の多くの方々の命を賭したご支援を受け、故人はそうなってしまった後も安寧に最期の時を過ごしました。そして収まるべき場所に無事収めることができました。
  
 30代前半以下の若手中心の参加者で極めてフラットにできました。リベラルな雰囲気でただただひたすらに故人を純粋に偲ぶという儀式が成立しました。

 当然古典的ソリューションである宗教の匂いは無し。

これが良かった。

 そして故人の愛したパートナーのところに速やかに収まりました。形式が無い分より心が籠もった(込もったとも書きたいところです。)時間でした。

 私の人生で最もスマートなお別れの儀式でした。

 全日程とも好天気でした。そして今、夕日と海越しの富士山を愛(め)でながら穏やかな時が流れています。

夕日と海越しの富士山を愛(め)でながら穏やかな時が流れて…

 有り難い。

(有り難い(有り得ない程奇跡的))

蛇足
 コロナ禍が浮き彫りにした新しい景色でした。

超蛇足
 愚輩の小賢しい薄っぺらな前捌き

リスクある儀式と無い儀式の完全分離
(まるでゼロコロナ政策のような)
を超えていた故人の徳。

 流石に高齢者の方はいらっしゃいませんでした。しかし当初最大でも2名としていた参列者が9名に大幅に増えたにもかかわらず、儀式に依るコロナウイルス感染者を出すことはありませんでした。
 今、穏やかな時を迎えることができ、クリスマスや年末年始を安寧(あんねい)に迎える状況ができました。

蛇足
 古典的なソリューションとしてまとめた宗教ですが、法治が整備されるまでの長い期間、法治の代わりに人類の規範として有効に機能していたことを忘れてはいません。
 そして今でも機能している場合が残っていることも。

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