学生から社会人に一歩踏み出した先に半端ない別世界が展開していた ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)
【学生をやり尽くした満足感】
子供の頃から政治に興味が有りました。小中学生時代は、児童会·生徒会活動に没頭し尽くしました。そのためか高校受験で志望校だった最難関校に落ちてしまいました。
その辺りは、以下の特に蛇足もご覧になって下さい。
リベンジの始まりです。高校一年からは、受験勉強、特に予備校での学習に専念しました。と言っても通っていた駿台予備校はまるで大学のようでした。そこで思う存分遣りたい勉強をやり尽くしました。
それが良かった。
希望した大学の付属高校には入れなかったのですか、希望したその大学には大学受験で合格できました。
その大学も期待通り。学生を信頼してくれていて自由に学ばさせて頂きました。その環境を最大限活用してサークルも航空宇宙研究にし、研究室も表面物理学を選び、と学究生活も納得できる充実したものになりました。
【就職にあたって考えたこと】
中学生までは政治家になりたいとなんとなく思っていました。しかし、大学時代塾講師のアルバイトをした時の
お金はその方の人生の結晶
という強烈な経験から、政治よりも民間企業に行って企業をインサイダーとして楽しみたいと考えるようになっていました。
大学入学時から金属工学科に入れたのだから王道の基幹産業で、当時は社会的ステータスが極めて高く、丸の内に本社がある鉄鋼会社に行きたいと思っていました。
そしていよいよ大学4年生の春。
お勉強は高校生以降十分したのでお腹いっぱいでした。大学院よりも命を結晶化、真剣勝負のお金で動いている企業の世界に出て行こうと腹を括りました。
就職も希望通り。金属工学科なので王道の鉄鋼会社を希望。理工学部では当時、ドクター、マスターと推薦枠を埋めて行きます。最後に学部生。私は学部生でした。人気の鉄鋼会社でしたが奇跡的に希望していた会社だけ1枠残っていて、運でその枠を勝ち取りました。
(話し合い、譲り合いで調整できないと何とジャンケンで人生を(笑))
その辺りは、以下を参考になさって下さい。
学生生活は、謳歌(おうか)し尽くしたという満足感でいっぱいでした。
【一歩踏み出した先の半端ない別世界】
社会人になるまでは、自分の人生は自分で決めて自分で切り開いてきました。しかし会社員を選択したが故、当たり前ですが希望は出せるものの、専ら人事部が調整役となってキャリアパスが決定される枠組みの中にハマってしまいました。
【社会人の凄さに圧倒される】
運と勘としつこさの人生です。何と配属先もど真ん中の研究所の界面解析研究室でした。表面物理学専攻としてはこれまた王道中の王道でした。他人に決められてしまいましたが、でも
運
(本当にツイていた。)
そこには大学時代に比べると圧倒的に充実した環境が用意されていたのでした。
感動。
〈仕事より先にいきなり自分に素直になっちゃった〉
大学は理工学部でしたので、そもそも女子学生が少なく、所属していた航空宇宙研究会というサークルに付近の大学の女子学生の方が少しだけ参加していました。強いて言えば、家庭教師と塾のアルバイトでは女子中学生や女子高生との接点が有った程度でした。
企業は違いました。女子新入社員が相当数採用になっていて…
私は主に物理系の解析を担当する部門に配属されていました。それに対して化学系の解析を担当する分析センターと呼ばれる部門が有りました。そこも我々同様のスタッフさんを伍していました。
そこに配属された同期の新入社員の方にひとめぼれしました。
運と勘としつこさ
の人生でしたから、即お願い申し上げ、3年後には人生のパートナーになって頂けました。
社会人に一歩踏み出した直後に何と運命の人がいらしたのでした。(. ❛ ᴗ ❛.)
〈広範な研究対象に圧倒される〉
~構造材料、電子材料、生物まで
大学では主にシリコン表面の電子状態を研究しました。配属先では、主に透過型分析電子顕微鏡を駆使して、鋼材、鍍金(めっき)、セラミックス、プラスチックの構造解析をしました。間接的に様々な材料開発に関ることになり、短期間で多様な材料の最先端の状況が頭の中に整理されました。また走査型分析電子顕微鏡を用いて当時まだ実用化前だった微生物を用いた汚水処理関連の生物解析を行っていました。物理屋なので生物はとても新鮮な分野でした。こちらは基礎からでしたが、専門家の指南で直ぐに最先端の知識までキャッチアップできました。
大学では考えられない広範な材料、そして微生物までを対象に解析。
〈最先端·最高の設備のオンパレードに圧倒される〉
解析機器も最先端のものが勢ぞろい。メインテナンスも完璧でした。顕微鏡類、構造·状態分析機器が網羅的に。しかも毎年新規機器の購入予算が数億円と、大学では考えられない世界でした。後に部門ごと計測サービスの会社として独立できた程の本格的な設備体制でした。
〈スタッフの多さに圧倒される〉
新入社員ですが、管理職の方の指導下でいきなり技能系のスタッフの方々のマネージメントも担当しました。シニアな方々ばかりでしたので、実質的には皆さん、新入社員を優しく見守って頂いたというところでしょうか。機器の維持管理、観察試料の用意、定常化された材料解析などまではスタッフの方々で手慣れた感じでこなされて居ました。
大学では1人だけ設備管理担当のスタッフの方がいましたが、基本的にほぼ全てを学生がしていましたので感動しました。
学生から社会人に一歩踏み出した先に半端ない別世界が展開していました。
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