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来戸 廉
2024年4月30日 07:49
「ねぇっ、夕食に何が食べたい?」 子供達の部屋に顔を出して、尋ねる。「別にっ、何でもいいよ」 次男が、マンガ本に見入ったまま、顔も上げずに答える。「あんたは」「俺も」 長男は、テレビゲームのコントローラを叩き続けている。「何でもいいわけないでしょ。気に入らないと、食べないくせに、もうっ」 つい声を荒げてしまう。 ――あーあっ、聞いた私が、馬鹿だった。 毎日の献立。考える私も疲れ
2024年4月29日 08:10
今年も我が家の軒下に、ツバメが新しく巣を作り始めた。 ちょうど去年の今頃。 ベランダに出た時、雛が弱々しく翼を震わしているのを見つけた。まだも羽毛も生え揃わず、目も開いていない。「おとうさん、ちょっと来て」 いたたまれなくなって、急いで夫を呼ぶ。「多分ツバメだと思うの、あの巣から落ちたみたい」 夫は、ティッシュを何枚か丸めて巣を作り、その中に雛を入れた。 力無く横たわっている雛を
2024年4月24日 07:40
夫が、私の誕生日プレゼントに手巻き式の腕時計をくれた。「俺のと同じメーカーの物だぞ」 夫はデジタル時計が好きでない。「高かったんでしょう?」「それほどでもない」「いくらしたの?」 答えないところを見ると、結構な額を出したようだ。 私は今使っている電池式で不満はなかったから、前もって聞かれれば他の物をおねだりしたのに。 手巻き式の腕時計は、巻き忘れると直ぐに止まってしまう。その
2024年4月23日 07:49
「それじゃ、だめだよ」 折り目が甘いし、翼の形も左右歪だけれど、君は一向に気にしない。「要は飛べばいいのよ」 私は片目をつぶって左右の翼のバランスを確かめる。君はそんな私を後目に、作りたての紙飛行機を持って庭に飛び出した。「仕様がないなあ」 定規で測ったように左右対称で、触れれば切れそうな程きっちり折り目を付けた私の飛行機は、それだけで美しいと思う。 私は、それを手に君を追いかけた。
2024年4月21日 09:33
いつだったか夫に尋ねたことがある。「子供の頃、何になりたかったの?」「古本屋のオヤジかな」 夫は即答した。その姿を想像したらおかしくて、笑いが止まらなくなった。「やっぱり変かぁ?」「いや、あまりに似合いすぎてる」 涙が出てきた。 あら、この本、結構面白いわね。 私は、ページをめくる手を速める。長い看病生活ですっかり本を読む習慣が身に付いた。そのせいか、夫の世界に少し近づいた気が
2024年4月20日 09:28
「そーっとだぞ」 靴のまま、僕は静かに川に足を入れる。「冷たいっ」 背中は焼けるように熱いのに、流れは痺れるほど冷たい。半ズボンの裾が濡れた。「そっちに回れ」 岸に生い茂った茅の葉が垂れ下がって水面に陰を作っている。そういう所が絶好のポイントだと、父から教わった。「下流の方から、そうっと近寄るんだ。でないと、人の臭いで魚が逃げてしまうぞ」 僕は抜き足差し足で近づく。 夏休み。父の
2024年4月19日 09:22
何で来てしまったんだろう。 学校で毎日顔を合わせていても話せないのに、二人きりで面と向かったら何にも言えず逃げ出してしまいそうだ。 しっかりしろ、聡美。 自分を鼓舞する。 明日は卒業式。高校は別々になるから、今日が自分の気持ちを伝える最後のチャンスだ。 一大決心をしてきたものの、聡美はもう何度も家の前を行ったり来たりしている。聡美にとっては、何時間もの出来事にも思えたが、実際には数分
2024年4月17日 09:48
私の携帯がぶるっと揺れてメールの着信を報せた。画面を開くと、件名に「💗」だけが表示されている。 えっ、懐かしいなあ。 私の心を軽い驚きと喜びと、そして少しばかりの感傷が過る。 圭子はアルバイトで入った娘で、私の職場に配置されてきた。高校を卒業したばかりだった。 圭子は、仕草が可愛い、初々しさが事務服を着たような娘だった。 折角ならアルバイトではなく正規の職に就けばと思うのだが、彼女
2024年4月13日 10:01
「あっ、しまった」 妻が階段を駆け上がってきた。「何? どうしたの?」「ワイシャツを着る前に、ズボンをはいてしまった」「えっ?」 妻は怪訝な顔をする。「いつもはYシャツが先なんだ」「何、それ。馬っ鹿じゃないの。慌ててきて損した」 そんなの、どっちが先でもいいじゃない! 妻は呆れ顔で降りていった。 でも私にすれば、会社員になってから十年一日の如く、ずっとそうしてきた。すでに習慣
2024年4月11日 08:56
「これ、お友達から誕生日のお祝いだって……」 母が消毒済みのタブレットを持って無菌室に入ってきた。 高校の女子サッカー部の仲間からのメッセージビデオらしい。「こんな姿、友達に見せたくない」 私は泣いた。白血病の抗癌剤の副作用で、髪が抜け、顔がむくんでいる。 そんな私のために、母はテレビ電話でお祝いしたいという申し出をうまく断ってくれた。 私は早速ビデオ動画を再生する。「器械への悪
2024年4月10日 07:58
「行ってくるよ」「ちょっと、待って」 出掛けにいつも妻が呼び止める。妻の視線が、私の頭からつま先へと動く。妻はネクタイの曲がりと結び目を軽く直して、「これでよし。いってらっしゃい」 と背中を叩いて送り出してくれた。 独身時代は、毎日同じスーツで同じネクタイを締めていた。見かねた同じ部の女性社員が、私にネクタイをプレゼントしてくれた。「だめですよ、いつも同じ格好じゃ。仕事一途って姿勢も
2024年4月9日 10:56
「五月蠅いっ。静かにしてよ。試験勉強中なんだから」 高二になる娘が、勢いよくドアを開けるなり、怒声だけ投げ込んでいく。「そっと閉めろよ」 バターン。 言っている側から、これだ。 慌ててレコードプレーヤーに走ったが、幸い針は飛ばなかった。 まったく。 私はアンプのボリュームをそっと絞る。 私には、娘が聴いている音楽の方が余程騒音だと思えるのだが、それについては何も言わない。 ただ、
2024年4月8日 10:24
深夜、階下で物音がした。ドアから顔だけ出して見ると、薄暗い三和土で動く影がある。親父だ。ドアを静かに閉める。 もう三十年近く前になるが、私の入社式の日のこと。「スーツに、スニーカーはおかしいでしょう」 お袋の言葉を聞き入れて、親父の知り合いの店で靴を誂えた。「社会に出たら、まず服装や持ち物から、その人が判断されるのよ」 お袋は、親父の造った鞄を手渡した。 親父が鞄職人だったので、
2024年4月6日 08:35
北村さんには”目に入れても痛くない孫、Y君がいる。 Y君は今年から幼稚園に通うそうだ。 入園式から帰ってきたY君。北村さんは心配気に、「どうだ、楽しかったか?」と尋ねる。「うん」「友達はできそうか?」「うん。ケンちゃんとサキちゃんと友達になった」「ほう、もうできたのか。偉いなあ」 北村さんはY君の頭を撫でる。「先生は、女の先生か?」「ううん」「じゃあ、男の先生だ」「