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【ショート・ショート】メール
私の携帯がぶるっと揺れてメールの着信を報せた。画面を開くと、件名に「💗」だけが表示されている。
えっ、懐かしいなあ。
私の心を軽い驚きと喜びと、そして少しばかりの感傷が過る。
圭子はアルバイトで入った娘で、私の職場に配置されてきた。高校を卒業したばかりだった。
圭子は、仕草が可愛い、初々しさが事務服を着たような娘だった。
折角ならアルバイトではなく正規の職に就けばと思うのだが、彼女にはやりたいことがあると言う。だから時間に縛られたくないのだそうだ。
仕事を教えているうちに少しずつ距離が縮まって、私達は付き合うようになった。
毎日でも会いたいと言う圭子は、淋しさを埋めるようによくメールを寄越した。
決まって件名は「💗」だけ。
文面は、「好き」「寂しい」「会いたい」などのストレートに感情を表す単語と「超」「とっても」などの修飾語、それに絵文字が並ぶだけ。文とも言えない稚拙なものだった。
時には「💗💗💗💗💗💗」だけで画面が埋め尽くされることもあった。
だが、当時の私の目にはそれがとても新鮮なものに写った。
圭子は2ヶ月ほどでアルバイトを辞めた。
唐突だった。総務の担当者は気にもしてはいないようだった。アルバイトの子が突然辞めるのはよくあることなんだろう。
圭子に理由を聞いても笑っているだけだった。
その後も圭子とは逢瀬を重ねていた。
元々語彙が少ない娘だった。その分、同じ言葉を色んな意味に使った。例えば「ねえ」だけでも抑揚や口調を変えて10通りぐらいに使い分けていたようだ。でも私に分かったのはその内3つほどだった。
よくこれで会話をしていたものだ。心が満たされない分は、肌を合わせることで埋めていたような気がする。
だが、ある日を限りにその関係は終わった。
何で、別れたんだろう。
でも特にこれといった理由はなかったように思う。
その日、どちらからともなく別れようという話になった。もしもう少しタイミングがずれていれば、つまり一日でも前か後の日だったら、二人はまだ続いていたかも知れないとも思う。
今でもそれは分からないが、恋愛の終わりなんて概ねそんなものだろう。
まあ、毎日何件も届く「💗」のメールが段々鬱陶しくなっていたから、ほっとしたことは確かだ。だが同時に心の中を冷たい風が吹き抜けたのも事実だった。
あれから1年ちょっと。
久しぶりに会ってみるのもいいかな……。
「💗」にカーソルを会わせて、メールを開く。通信状態が悪いのか偉く時間が掛かる。
やきもきしながら待っていると……。
んっ?。
やっと開いた画面には、
「今宵、あなたは一人で寂しくありませんか。あなたに素敵な淑女との出会いの場を提供し……」
ちっ。何だ、これ!。
大きく膨らんだ妄想が、急激にしぼむ。
後には圭子への未練だけだけが残った。
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