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ショート・ショート

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今まで投稿したショート・ショートを纏めました。2,000文字以下の短い話ですが、「落ち(下げ)」に拘って書いてます。
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記事一覧

【ショート・ショート】へそくり

【ショート・ショート】へそくり

「ねぇ、ねぇ、見て、見て」
 妻が息急ききって居間に入ってきた。
「何だ?」
「じゃーん」
 妻は後ろ手に隠し持っていたものを、私の目の前に突き出す。
「どうしたんだ、その金?」
 一万円札である。
「箪笥の中を整理してたら、見つけたの」
「それは、見つけたも何も、元々あんたが隠したんだろう。また忘れていたんだな」
「そうだけど。それを言ったら元も子もないじゃない」
「じゃあ、それで何か旨いもので

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【ショート・ショート】ロッキングチェア

【ショート・ショート】ロッキングチェア

「ついに来おったか」
 妻の様子がおかしいのに気づいたのは、三年前のことだった。
 この病気が、遺伝するのかどうか分からない。妻の母親が認知症だったから気に掛けてはいたのだが、こんなに早く発症するとは思いもよらなかった。

 すっかり症状が進んで子供みたいになった妻が、縁側のロッキングチェアに座っている。
 春先の日差しが心地よいのか、私が揺するリズムに眠りこけている。平穏な寝顔を見ていると、病気

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【ショート・ショート】私の鼻は左きき?

【ショート・ショート】私の鼻は左きき?

 1973年にヒットした麻丘めぐみさんの『わたしの彼は左きき』と言う曲の一部だ。

 手に右利き、左利きがあるように、耳にも利き耳がある……と私は思う。
 ほら『聞き耳を立てる』って言うだろう。あっ、でもあれは『聞き耳』で『利き耳』じゃないか。でも使う方は『利き耳』だよね。
 それはともあれ、私の場合、右だ。因みに利き手も右だ。

 と言う訳で、私が電話を受けるときはいつも右耳だ。別に左耳が聞こえ

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【ショート・ショート】花粉症

【ショート・ショート】花粉症

 タガスギは長いこと花粉症を患っています。

 タガスギには長年同病相哀れむ友人がいるのですが、彼は「この頃段々花粉症の症状が鈍くなってきた」と、未だにティッシュの箱が片時も手放せないタガスギの前で笑顔を見せます。
 彼は「年取ってきたからかな」と御高説を垂れますが、彼は医者でも専門家でもないので、タガスギの中では『あくまで個人の感想』という扱いです。
 でも彼は昨年一回も薬を飲まないで済んだそう

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【ショート・ショート】できちゃった婚

【ショート・ショート】できちゃった婚

 『できちゃった婚』。または、『おめでた婚』、『授かり婚』。
 呼び方は時代によって変わる。かつては『婚前妊娠』と呼ばれマイナスのイメージが主であったが、今どきのカップルではそんなに珍しいことでもないのかも知れない。英語(米俗)では、shotgun weddingまたはshotgun marriageと言われることもあるそうで、妊娠した娘の父親が相手の男に散弾銃を突きつけて婚約を迫ったということに

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【ショート・ショート】コーヒーメーカー

【ショート・ショート】コーヒーメーカー

 コーヒーメーカーについて、今更とやかく説明する必要もないだろう。

 私は今春から社会人になった。しばらくは自宅から通勤していたが、段々仕事が忙しくなり、意を決してワンルームマンションを借りて一人暮らしを始めた。
 ワンルームしかなくて何がマンションだとの批判はご尤もだが、それは兎も角、電子レンジ、冷蔵庫、洗濯機、それにエアコンと一通りの電気製品が備わっており、ガスコンロも使えるので、引っ越し当

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【ショート・ショート】パソコン

【ショート・ショート】パソコン

「ちょっと出かけてくるよ」
 それが、あの人の最後の言葉になろうとは夢にも思わなかった。

 あの日、あの人は朝早くから秋葉原まで出掛けていった。
 午後過ぎ、右手にどこかのパソコンショップの紙袋、左手にToposのケーキを持ってのご帰還。求める物が手に入ったようで、すこぶる上機嫌な夫は、私や子供達へのお土産を忘れていない。
「お茶でも入れる?」
「後でいいよ。先にやってしまうから」
 そう言いな

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【ショート・ショート】鍵

【ショート・ショート】鍵

 郵送した方がよかったかしら。
 エレベーターのドアが開いた時、私は後悔した。

 でも、郵便受けにこの鍵を投げ入れれば、それで終わり。
 自分を奮い立たせるように一歩を踏み出した。薄暗い廊下にコツコツと靴音だけが響く。ドアの前に立つと、想い出が走馬燈のように脳裏を巡り、私は軽いめまいを覚えた。

 もう一度会いたい。
 唐突にそんな思いが胸に湧き上がってきた。
 それでどうなるって言うの、苦しい

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【ショート・ショート】時計

【ショート・ショート】時計

 トイレに時計を置こうと言い出したのは、夫だった。

 一日に数回、数分を過ごすだけの狭い空間には要らないと思ったが、それ以外に取り立てて反対する理由もなかった。もし気に入らなければ片付けてしまえばいい。そう軽く考えて同意した。

 数日後。
 外出から戻って玄関のドアを開けるや否や、けたたましい音が私の耳に飛び込んできた。
 どん、どん、どん、と壁を震わせている。何事かと、靴を脱ぐのももどかしく

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【ショート・ショート】何のために

【ショート・ショート】何のために

「これは、なーに?」
 健太が黄ばんだ一枚の紙切れを差し出す。
「ん?」
 手渡された四つ折りを開くと、鉛筆書きの拙い文字で『人は、なぜ生きているのか』と走り書きがある。多分、私の子供の頃の筆跡だ。
「どこで見つけたんだ?」
「この本に、挟んであった」
 それは小学校低学年向けの昆虫の図鑑だった。教科書は疾うの昔に処分したのに、何故かこれだけは捨てられずに残していた。

 私はしばし記憶の森を彷徨

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【ショート・ショート】空からの贈り物

【ショート・ショート】空からの贈り物

 ある日の午後。僕が塾に行こうと外に出たら、空からいっぱい雲が降ってきた。それは、音もなく道に落ちた。僕は、最初その白いふわふわとした塊を綿菓子だと思って拾い上げたが、一口囓って違うことに気づいて捨てた。よく見ると、歯形が付いたのが、道のあちこちに幾つも転がっている。
 ――なーんだ。僕だけじゃなかったんだ。

 僕はコンビニの前で信号を待ちながら、道路に転がった雲を器用に避けて走る車と、その度に

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【ショート・ショート】ある秋の日の公園

【ショート・ショート】ある秋の日の公園

 昨夜の雨が嘘のように、空は晴れ渡っている。雨に洗われた空気が一層透明感を増したようだ。
 早秋の公園は昼下がりでも少し肌寒い。
 久しぶりに訪れた公園の芝は、汚れを流して輝いている。山側に樹々が繁り、海側に芝生が養生されていて、その中を小径が通る。他には余計なものは何もない。そこが私が気に入ってる理由でもある。
 葉を落として軽くなった樹の枝々の間から日が射して、芝の上に日溜まりを作っている。そ

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【ショート・ショート】ある朝の情景

【ショート・ショート】ある朝の情景

「もう、パパ。早く出てよね。急いでいるんだから」
 ドアのノブが、ガチャガチャ鳴る。
「せかすな、今出る」
「早くしてよ、もう」
 二階のトイレ。ドアの外では、まだ不満が足踏みしている。

「また本でも読んでるんでしょう。もう。持ち込まないでって、言ってるのに」
 この騒ぎに、幸子を呼びに来た妻まで加わった。
「ここが一番落ちつくんだよな」
「朝は忙しいのよ。少しは、みんなの迷惑、考えてよ」
 二

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【ショート・ショート】夏みかん

【ショート・ショート】夏みかん

 バス停では既に三人が待っていた。風が冷たい。
 私はコートの襟を立て、ポケットに手を突っ込み、少し背中を丸めながら列の最後尾に付いた。綾子は寒さに強いのか、私が驚くほどの薄着だ。

 暫くして、老夫婦が我々の後に並んだ。
「ほら、ご覧。夏みかんの皮が剥けているよ」
 声の方を向くと、老人が、家の庭先から道路に張り出した、枝もたわわに実る夏みかんの一つを指さしている。両の手で包んでも余りそうな大き

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