【ショート・ショート】意地っ張り達
日本シリーズ。両チーム三勝三敗で、優勝が掛かった最終戦。セ・リーグはG軍、パ・リーグはF軍。
九回裏、F軍の攻撃。同点で二死満塁。高橋投手が抑えれば、延長戦。三塁走者が帰ればF軍のサヨナラ勝ち、という絵に描いたような場面。
カウントは1ボール0ストライク。高橋投手は自信のあるスライダーを打者の膝元に投げ込んだ。橘選手は手を出せずに見送った。
「ボール」
佐藤主審は右手を横に払う。
高橋は脱兎の如くマウンドを駆け下りて、佐藤主審に詰め寄る。安倍捕手が間に割り込む。
「何で今のがボールなんだ。」
「ボール半分、低い」
「あれが低いだと。お前の目は何処についてる」
「やめろ。それ以上言ったら退場になるぞ」
安倍に宥められ、高橋はマウンドに戻った。が、高橋は収まりがつかない。
佐藤主審が右手を挙げてゲームの再開を告げた。
――あいつにしては、やけにすんなりと引き下がったな。
安倍は嫌な予感がした。
案の定、高橋は、安倍のサインに首を縦に振らない。
――また悪い癖が始まった。
「タイム」
安部はマウンドに駆け寄る。安部が口を開く前に高橋が、
「分かっている」
とだけ言った。それでも安部は一言念を押さずにはいられない。
「今日は大事な一戦だぞ」
高橋は黙って頷いた。
――やれ、やれ。
安倍は戻り際、ベンチに目を遣る。監督の安永は拳で胸を叩き、行けとばかりに腕を振る。
――どいつもこいつも……。どうなっても、俺は知らんぞ。
安部は二球目を受けた位置にミットを構える。もうサインは出さない。
三球目。高橋が投げたボールは同じ軌道を辿ってミットに吸い込まれた。佐藤主審の頬がピクリと動いた。
「ボール」
黙って返球を受け取る高橋。
四球目。ボールがミットに収まった瞬間、安部の心は震えた。
――三球とも同じ球種で同じコースだ。こいつ、本当にすごい奴だ。
「……」
判定が聞こえない。安倍は、佐藤主審を振り返る。一呼吸遅れて、
「ボッ、ボール。フォアボール」
佐藤主審が一塁方向に手を向けた。
息を呑んで見つめていた三塁スタンドが歓喜に湧いた。一塁スタンドからはブーイングとヤジの嵐。その中を橘は小躍りして一塁に向かう。
F軍ベンチの全員が、飯塚選手を出迎える。飯塚が両手を挙げて決勝のホームベースを踏んだ。
主審は右手を高く上げて「ゲーム」と終了を宣告した。
高橋は、F軍のお祭騒ぎを横目にマウンドを降りる。高橋はフェアグランドから出る時、佐藤主審に向かってニヤリと笑った。佐藤主審も一瞥したが無表情だった。
G軍ファンのヤジの嵐を浴びながら、高橋は颯爽とベンチに消えていった。
試合後、安永監督は敗戦の責任を取って退団した。
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ちなみに佐藤主審もこの試合を限りに引退した。理由は『一身上の都合』だったそうだ。