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安倍晋三と岸田文雄~小川榮太郎『約束の日 安倍晋三試論』から岸田文雄を読む~

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平成24年(西暦2012年)12月26日から令和2年(西暦2020年)9月6日まで、我が国の政権をになった安倍晋三元首相。

安倍氏は憲政史上最長の政権が終了して以降も、令和4年(2022年)7月8日に凶弾にたおれるまで、我が国のためつくしてくださった。

の最悪の事件から、2年と半分。改めて御冥福をお祈りしたい。

日本の憲政史上の連続在職日数2822日を記録した、つまれだけの長きにわたって国民の支持を得続けた安倍晋三首相であるが、平成18年(西暦2006年)9月26日から平成19年(西暦2007年)9月26日までの間にも内閣総理大臣を務め、通算在職日数3188日も憲政史上最長を記録している。

しかし、やはり安倍氏の政治にいては第二次安倍晋三政権(平成24年12月26日~令和2年9月6日)ばかりが注目され、第一次安倍晋三政権(平成18年9月26日~平成19年9月26日)への関心は高くない。

だが、岸田文雄政権を支持した私にとって、第一次安倍晋三政権というのは、岸田政権が続く間、常に頭の片隅かたすみに存在し続けた政権であった。

本稿では、小川榮太郎氏(現:総合安全保障シンクタンク・日本平和学研究所理事長)が平成24年(2012年)8月   つまり安倍晋三が自由民主党総裁に再選される前に出版した、いな、安倍晋三再選の流れを作ったとも言える『約束の日 安倍晋三試論』を片手に、安倍晋三政権と岸田文雄政権にいて論じたい。

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本稿では、安倍晋三氏が平成18年(西暦2006年)9月26日から平成19年(西暦2007年)9月26日までになった政権を「第一次安倍晋三政権」、平成24年(西暦2012年)12月26日から令和2年(西暦2020年)9月6日までになった政権を「第二次安倍晋三政権」、そして岸田文雄氏が令和3年(西暦2021年)10月4日から令和6年(西暦2024年)10月1日までになった政権を「第一次岸田文雄政権」、岸田文雄氏が再登板した場合に成立する政権を「第二次岸田文雄政権」と呼称する。

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私にとって「安倍晋三」は、純粋で芯が通っていて、覚悟があって慈悲じひ深くて、しか老獪ろうかいでバランスを重視する政治家であった。

平成14年(西暦2002年)にうまれた私が「政治」の存在を認識するようになったのは、主に東日本大震災、平成23年(西暦2011年)の頃であった。

近畿に住む私は、小学校の "帰りの会" の前にトイレへ行き、教室へ帰る廊下において揺れを感じた。眩暈めまいかとも思ったが、教室へ入り窓がしまっているのにカーテンが揺れているのを見て、地震であったのだと認識した。

大勢の保護者が、自分の子供を迎えに来ていた。悲惨ひさんな事が起きたのだと思った。

家に帰ってテレビをければ、恐ろしい映像が目にとび込んできた。

東日本大震災にける津波の映像を、「映画を観ているのかと思った」と表現する者がる。だが、私は幼く経験にとぼしかったからか、現実に起きている事なのだと素直に理解できた。

車をみ込んで街をい散らかすどす黒い水のは、脳裏にこびり付いて離れない。

言葉を失う衝撃と、防衛反応的にアドレナリンが放出されたのであろう高揚こうようと、の興奮への困惑と罪悪感と。

の後、福一の事故が起こる。何の知識も無い私は、「福島第一原発」という、「放射能」という危ない物がある所で、「水素爆発」という火の出ない爆発のようなものが起きたのだと理解した。

何だかわからないが、大変な事が起きたのだな、と。

「偉い人達が知恵をしぼっても収まらない問題なのだな、なんて大変な問題なのだろうか」と思った。れが「政治」を強く認識したけであった。

大きくなって民主党政権の実情を知り、人災っぷりに驚愕きょうがくした。実に恐ろしい連中が政権を握っていたのだと。

私に「近畿に住む我々の所にも "放射能" という恐ろしい物が飛んで来るかも知れないらしい」と信じ込ませ、恐怖させた連中の正体も理解した。何の知識も無くあおられた当時の私は、何時いつ "放射能" が飛んで来るのかと恐ろしく、東北どころか関東の物を食べるのも怖かった。

「情報災害」と言うべきか、「情報犯罪」と言うべきか。

福島の桃はこんなにも美味うまいのに。

何の話だったか。

そうそう、私が「政治」を認識したのが2011年であるという話だ。

ゆえに、私は平成18年(西暦2006年)9月26日から平成19年(西暦2007年)9月26日までの「第一次安倍晋三政権」を知らないのである。

無論情報としては知っているが、情景としてはうかばない。

ような私が思いうかべる「安倍晋三」の姿は、第二次安倍晋三政権以降の「老獪ろうかいでバランスを重視する政治家」であるのだ。

しかし、小川榮太郎氏が『約束の日 安倍晋三試論』において描く「安倍晋三」の姿は、ような姿とは似ても似つかないものであった。


 安倍の政治は、この後見ていくように、全てが根源的、冒険的で、過激だ。日本の停滞と衰弱の根っこをぐいと素手で掴み、いきなり引っこ抜く。安倍は周到であるというよりも、原理的に正しいと確信したら突撃する。しかも、パフォーマンス抜きで。(平成25年7月20日 小川榮太郎『約束の日 安倍晋三試論』(文庫版) 幻冬舎文庫 41頁)


第一次安倍晋三政権の安倍晋三をえがく小川氏は、安倍政治を「過激」と表現した。

私の知っている「安倍晋三」の姿ではない。だが、情報として知っているものを考えれば、確かにの表現はに落ちる。

そして私には、情景として思いうかべる事のできる「過激」な総理大臣がる。

岸田文雄である。

「岸田文雄の政治」を「過激」と言って、共感する者は少ないかも知れない。

「無能の媚中メガネ」にる政治が過激であるはずが無いからだ。

だが、岸田文雄は決して「無能の媚中メガネ」ではなかった。

本稿では、第一次安倍晋三政権の軌跡きせき辿たどりながら、「岸田文雄」の真の姿に迫りたい。

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小川榮太郎氏は「第一次安倍晋三政権」を、次のように表現した。


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