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生き方・思考法

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2024年7月の記事一覧

「適当に生きる」とは何か?

"適"とは「かなう」、意味は「思い通りになる、心にかなう」。
"当"とは「あてはめる」。

つまり、適当とはその場しのぎの怠惰な状態ではない。
自らの人生を、心のままに切り開こうとする生き方。

それは、心にないことは「やらない」という選択でもある。

人間ってそこまで優秀じゃないし、感覚でモノを言ってしまう。だからこそ、面倒でも客観的な検証が大切

人間ってそこまで優秀じゃないし、感覚でモノを言ってしまう。だからこそ、面倒でも客観的な検証が大切

現代では様々な研究分野があり、それによって未知だったことがどんどん明らかになっている。

それによって、私たちの生活は便利になったり、健康や安全をそれなりに確保できるようになったり、スマホで情報を簡単に入手することができる。

しかし、そんな長い歴史を経て発達してきた社会においても、人間は多くの間違いを引き起こす。

それは老若男女問わず、誰もが一目置く学者であっても、多くの社会的成功を挙げてきた

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「孤独死」とは結局、個人が選んだ「生き様」の結果である

「孤独死」とは結局、個人が選んだ「生き様」の結果である

”孤独死”という言葉がある。これは誰にも看取られることなく、当人の住居等で遺体として発見されることを指す。

ちなみに、孤独死とは別に”孤立死”という言葉もある。

前者はつながりのある家族が存在しないまま単独で亡くなった状態であり、後者はつながりのある家族が存在しているが、何かしらの理由で単身のまま死を迎えた状態である。

話がややこしくなるので、本記事では”孤独死”で統一することとする。

 

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知識が豊富で色々なことに迅速に対応できる。
そんな「できる自分」になりたいと思う人は多い。

しかし、そんな自分だって体力と時間は有限だし
周囲の期待に応えようと重圧も増えることもある。

「できる自分」の範囲を決めて、それ以外では
「できない自分」でも良い、と許容してはどうか。

「苦難は乗り越えられる人に訪れる」について考える

「苦難は乗り越えられる人に訪れる」について考える

「苦難は乗り越えられる人に訪れる」という言葉があるが、これは果たして本当だろうか?

そもそも、「苦難」とは何だろうか?

おそらくだが、自分が今まで経験したことがないことや、自分の力量では対応しきれないと思われる問題のことを指すと思う。

それに対して、経験したことがなくても知恵を絞ったり、自分の力量を決めつけずに努力することを「乗り越える」と言うのだろう。

また、問題に対して対策を練っている

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「自分の時間を奪われる」という不幸と高齢者虐待を予防する

「自分の時間を奪われる」という不幸と高齢者虐待を予防する

人間にとって時間は貴重である。

1日=24時間=1440分は、誰もが共通である。

本来、この時間の使い方は自由であるはずだ。

しかし、生きていると「自分の時間を奪われる」という事態が起こる。

時間を奪うのは状況だったり、環境だったり、他人だったりする。

時間を奪われることは、誰にとってもストレスを感じることであり、それによって生まれる不幸もある。

介護事業を営んでいる者の視点だが、高齢

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―― 時間があればやりたいことができる。

―― 便利グッズがあれば効率的になる。

―― 人手があれば面白い企画が実現できる。

このような「〇〇があれば~」と何かに期待している
だけの時間はもったいない。

まずは、手元にあるもので ”とりあえず” 行動してみる。

”勝ち負け”なんてこだわらなくても、人生は謳歌できる

”勝ち負け”なんてこだわらなくても、人生は謳歌できる

他人と比較して、少しでも自分が優位であろうとする人がいる。

「自分のほうが知っている」
「自分のほうがもっとうまくできる」

「他の人よりも良い評価をもらえた」
「他の人よりも良い条件で働いている」

「あの人は、自分にだけ本音を言ってくれる」
「あの人は、自分にだけ特別な目線をくれる」

・・・このように「自分」の有能性をアピールしつつ、一方で「他人」よりも優れていることにも余念がない。

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何気ない小さな行動こそ「好きなこと」「得意なこと」につながるかも

何気ない小さな行動こそ「好きなこと」「得意なこと」につながるかも

――― あなたの”好きなこと”は何か?

――― あなたの”得意なこと”は何か?

・・・このような問いかけをされて、すぐ回答できる人は少ないと思う。

昨今では「好きなことを仕事にする」みたいなフレーズがあるが、そこで自分の”得意なこと”を思い浮かべる人がいる。

それは仕事というワードに対して「自分ができること」「人よりも秀でいていること」を連想してしまうためと推察される。

しかし、”好きな

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自分が子どもの頃に「格好いい!」と憧れた大人って
今で言うところの「傾聴」と「受容」ができる人だと
最近気づいた。

コミュニケーションの基本だが、これらが当たり前に
できている姿がクールに見えたんだと思う。

―― さて、そんな憧れの大人になっているのだろうか?

世の中は”真面目さ”を良しとする。

でも、真面目な人ほどメンタルを病むらしい。

なぜだろう?

たぶん、真面目であろうとする動機や対象が「他人」
に向きすぎているからだと思う。

「他人のために」も大切だが、今よりほんの少し
「自分のために」真面目さを向けても罰は当たらない。

ふと、「欲を満たすことが幸福につながるのか?」と考えた。

欲は満たされた瞬間だけの悦びであって、永続性に欠ける。
だから「もっと欲しい」と追い求めても幸福は得られない。

ならば、欲と幸福を切り離して考えてみる。

何もなくても、何もしなくても満たされる感覚が幸福かもしれない。

小さな一歩でも、行動することは大切。
その行動が、思わぬところでつながるかもしれない。

だからこそ、行動力はあったほうが良い。

しかし、自分の行動力を他人に自慢しなくてもいい。
まして、行動しない他人を責めることも違う。

ただひたすらに、自分の生き方として行動するだけ。

その場では自分の正義感が受け入れられても、
100メートルも歩けば誰も見向きもしなくなる。

こだわりをもって社会に大きな成果を出しても
1年もしないうちにみんな忘れてしまう。

正義感やこだわりなんてその程度のもの。

そのことに気づけば、自分にも他人にも過度に期待しなくなる。