救いの手はどこにある?
私は週に何度か夜に散歩をしています。
道中に書店へ寄る事もしばしば。
書店では、仕事帰りと思われる中年たちがベンチスペースで読書に耽る姿をよく見かけます。
「もう9時やで〜みんな家に帰りたくないのかなあ」なんて佇まいから各家庭の有様を勝手に想像。
まあ、そんなことをしている私もどう思われているやらなのですが。
なぜ人は本を求めるのか。
そう自らを問うた時、心が困っているからという答えが振り出されます。
手にする本すべてが、薬であり、宗教なのだろうな。
そんなふうに思っています。
私がその答えにたどりついたのは、大人になって親戚の葬式へ出るようになってからです。
私を含め親族の宗教は真言宗です。
その御経である般若心経に「般若心経は(一部割愛)生死の海を渡る船筏なり」という文言があります。
正しい見解ではないと思うのですが、「なるほど、生まれてから死ぬまでの間に強風や荒波に翻弄されることがあっても、船筏がどうにか運んでくれるって訳やね!」と私は受け止めたのです。
しかし、何気なく暮らしていると読経なぞしないわけで。
ただ心は救いを求めてしまうので代わりに身近な本に手が伸びるのだろうと思います。
本も雑誌も新聞もWEB記事もまったく読まないって人っていますよね。(自分の宗教を知らないって大人も!)
あの人たちも困っていることがあると思うんですけど、どんなかたちで救われているんでしょうか。
お酒とか異性とか博打とかかなあ。
謎です。
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