#仏教
#372_「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。
「世界に起こる出来ごとを『よいこと』と『よくないこと』に分けてしまいがちで『よくないこと』が『よいこと』に変わるためになにかしようとしたり、それが起こらないようになにかをしたりというのをずっとやっていて、受け入れることをわすれている気がします」
「世界」は「自分」ですから、受け入れることで救われるものは世界ではなく自分。
#364_自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受け入れます。
「この建物の外の音に耳を澄ませます」
「この建物の中の音に耳を澄ませます」
「この部屋の外の音に耳を澄ませます」
「自分の中の音に耳を澄ませます」
外界の音が、自分の意思が届かない出来ごとの気配であるように、自分の中の音は、自分の意思が届かない出来ごとの気配であることに気づきます。
自分の中に起こっている出来ごと、あるいは自分という現象は、自分の意思が届かない出来ごとの結果であることを受
#351_手に入れることがゴールではなく、いらなくなることがゴール。
ケーキをひとくちだけたべようと決めて、ひとくちめを食べて、ふたくちめを我慢しているひと
ケーキのひとくちめをがまんしているひと
ケーキをそもそも必要としないひと
最も自由で、最も遠いところに到達出来るのは、ケーキを必要としないひとであり、世の中の欲求の対象のほとんどすべてはひとつめを手に入れるとふたつめが欲しくなるからひとつめを手に入れるのをやめるのがよいものであり、手に入れることではなくい
#288_鐘の音の消失点のように、お香のかおりの消失点のように、急いでも早くならないもの、消えないように工夫することが出来ないもの、そもそも消失するのを喜んだり悲しんだりしないものとして、あなたが自分と名付けているものに向き合います
「鐘の音を最後まで聴いていると消失します」
「お香のかおりを最後まで聞いていると消失します」
「鐘の音の消失点のように、お香のかおりの消失点のように、急いでも早くならないもの、消えないように工夫することが出来ないもの、そもそも消失するのを喜んだり悲しんだりしないものとして、あなたが自分と名付けているものに向き合います」
#283_こころが波立たないように、揺さぶられないように、じっと動かずに静かに長い時間を過ごして、安心したまま、自分がなくなること
「いまを生きるとか、無になるって、よくわかんないんですけど、どうしたらいいですか?」
「周りにだれもいなくて、自分のことを認識してくれる人がゼロの日が続くと、自分がだれだかわからなくなるでしょ?」
「たぶん」
「それって、ふつうにさびしくてツラいことに思えるんだけど、それがさびしくてツラい理由は、そのままにしておくと自分がなくなっちゃうかもっていう不安があるからだと思わない?」
「はあ」
「だとす
#281_過去も未来も場所も自我もその意味を捨てて、限りなくいまを生きているだけの状態。
ひとつひとつのポーズのあとに、自分で自分を癒す時間が訪れます。
身体に残るポーズの痕跡がゆっくり消えていくのを、心地よくあじわう時間。
身体や意識になにかを起こしているのではなく、ただそこに起きている出来ごとを、ただ心地よく受け入れることの出来る、心と体の関係。
過去も未来も場所も自我もその意味を捨てて、限りなく今を生きているだけの状態。自分がそうであることを、呼吸がただ示している状態。
#279_肉屋さんに並んだ食肉を見て、それが自分を切って並べたのと同じものという事実に、わたしたちは拒絶反応を覚えます。
わたしたちの世界は言葉で出来ていて、わたしたちの自我も言葉で出来ています。
言葉は意味を持っていて、意味はわたしたちにとって世界がどうあって欲しいか、どうあると安心出来るか、どうあると生きていけるかのような欲求をそのまま反映します。
わたしがわたしであり続けるために、わたしを隙間なく囲んで、自我があたかも存在するかのように感じさせてくれる意味を手離すことは、自分が存在するという概念を手離すこと
#277_外から見える自分に起こっていることではなく、外からは見えない自分の中で起こることのためだけに行じることを始めた瞬間、ヨガに。
「たとえば、仰向けに寝て、膝を立てて、両膝を同じ方向に倒すというポーズがあります」
「膝にチカラを入れて深く倒すことも出来るし、チカラを入れずに自然に止まるところに止めておくことも出来ます」
「ヨガでは後者の選択をします」
「いつか見たことのあるヨガの写真では、とても身体の柔らかいモデルさんが、だれにも負けないくらい曲げている写真を見たことがあるかもしれません」
「でもそれをお手本に練習す